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【小説】レフトアローン(第3話)

第16章 泡粒たち
1988年

 啄郎のアパートは仙台駅の北西、JR仙山線の北山駅の近くにあった。
 新しめの綺麗なアパートで部屋はワンルーム、床が三角形だった。正確に言うと二つの隅が90センチほどの壁になっていたため五角形だったが大まかに見れば三角形でみんな「三角部屋」と呼んでいた。どれも狭いながらも部屋の外にキッチン、トイレ、風呂付き。当時流行り始めたフローリングで八畳ほどの広さがあり、黒電話が置かれた木目合板の机と肘付き椅子は何かの事務所風。レコード棚の上にコンポ。そして古い背の低い冷蔵庫の上に一四型ブラウン管テレビが置かれ、それ以外は白い壁紙にジャズのポスターが数枚、全てアルミの額に入れられて整然と飾られた、男所帯の割には綺麗でお洒落な部屋だった。
 だから、というか啄郎の人柄のためか大学から約2キロも離れているのに関わらず、隆次や和哉、亨甫はもちろん、サークル以外の友達や後輩がよく訪れ、夜はよく飲み会の会場になった。
 中でも亨甫とは一番趣味が合い、よくアイラーや三島について語った。
 大学二年の春。琢郎の部屋で享甫とアイラーを聴きながら話していた。亨甫はベッドに腰掛けながら床に寝そべっている琢郎に話した。
 「そういえば、昨日すげえことに気付いたんだ」
 「なんだよ、すげえことって」
 「1970年11月25日といえば?」
 「あー、アイラーがイーストリバーに変死体で浮かんでた日だろ」
 「その通り。さすがアイラーフリーク」
 「で?」
 「実はな、昨日三島の本の巻末の筆者紹介を見ていて気付いたんだけど、1970年11月25日は三島の命日。つまり、三島由紀夫がクーデターに失敗し、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日なんだ」
 「へえ、そりゃすげえな」
 「偶然にも、俺らの2大スターは全く同じ日に死んだってことだ」
 「なんか運命的なものを感じるな。生き方もどっちも破滅型だし」
 「確かに。アイラーと三島はどっちもややこしい生き方をして、全く同じ日にややこしい死に方をした。二人とも何かに抗ってた。だから俺らみたいな変わり者は興味を持つのかも知れないけど、よくよく考えてみればこの二人は真逆の人間じゃねえか?」
 「何が」
 「三島は時代を戻して日本古来の伝統的な秩序みたいなものを護ろうとした超保守的な人で、アイラーはジャズの伝統的な秩序を壊してより自由なものを作った超革新的な人」
 「言われてみればそうだな」
 「つまり俺たちの興味になんの思想も脈絡も無いってことだ。何も解るわけがないさ。俺たちは二流大学の学生で今一番興味があるのはサークルにどんな可愛い1年生の女子が入ってくるかだもんな。ま、三島もアイラーもなんかカッコいいし楽しきゃいいのさ」
 「確かに」
 その頃の享甫はまだ、その時代の大学生らしい軽さを持っていた。
 ただその後、大学3年頃から少しずつ亨甫は何故か右寄りの思想に傾いて行った。

 大学4年の10月の終わり、啄郎はシーズン打ち上げのコンパで知佳と少しだけ親しくなり、その次の日に映画に誘った。知佳がコンパで「SFやアクションは苦手で古い映画が好き」と言っていたところにちょうど名画座で「ローマの休日」を上映していたから誘いやすかった。そしてラストシーンのグレゴリー・ペックの男らしさに感化された勢いで啄郎は一番町通り三階にある老舗の喫茶店で「これから一緒にいないか?」と言い、知佳はオードリー・ヘプバーンに感化されたかどうかは分からないが「はい」と答えた。
 知佳の同級生には可愛い子が多く、知佳が飛び抜けて目立っていた訳ではないが、啄郎は知佳が入部してきた時から知らず知らずのうちにその姿を目で追っていた。それに当時どこの大学でも圧倒的に多数派だった「遊び重視派」の女の子らと違い、先輩を敬う誠実な受け答えの仕方が啄郎は気に入った。
 知佳にとっての啄郎は一目惚れに近かった。コートで一度ラリーを交わし、ちょっとだけ言葉を交わしただけで啄郎が気になり、啄郎を取り巻く集団の中に近づきたいと思うようになった。
 啄郎はオープンな付き合いをしたかったが知佳が嫌がった。啄郎は四年生で知佳は1年生。知佳は大学でせっかくできた友達と縁遠くなるのが嫌だと言った。確かに啄郎も四年近い大学生活の中で彼氏ができた途端に離れていく女の子同士の友達関係を見てきた。カップルがサークル内などの内輪であればなおさらその確率は高く、それは男にはあまり理解できないし見られない現象だったが、啄郎は知佳の意思を尊重した。ただ知佳の承諾を得て隆次と和哉、亨甫の3人にだけ伝えることにした。
 啄郎は「緊急会見」と言って3人を自分のアパートに集めた。隆次は何となく察していたが他の二人は「ブルー・ハーツのチケットが手に入ったのか?尾崎か?」などと的外れなことを言っていた。
 チャイムが鳴り、啄郎がドアを開けて知佳が入ってきた。それで和哉も亨甫も察した。和哉も驚いていたが亨甫は表情が固まっていた。
 「知佳と付き合うことになった。だけどここだけの話にして欲しい。頼む」
 「心配すんな。何となく分かってたよ」と隆次がすぐに返した。
 「マジか?内々に上手くことを運びやがったな」と和哉は茶化すように言った。
 「すぐ卒業じゃん。卒業してからどうすんだ」と亨甫が踏み込んだことを聞いたが隆次が制止して言った。「そんなの二人の勝手だろ」
 「これからのことはこれから二人で考える」と琢郎は答えた。

 啄郎と知佳の幸せ過ぎる4か月間、隆次達も含めた笑い声に満ちた四か月間が始まった。
 それから啄郎のアパートに隆次らが行く時は電話を入れてから行くようになった。知佳は隆次らとも親しくなり、四人グループは四人+αになった。五人で飲みに行くことがあった。電車やバスを乗り継いで松島や仙台港に行ったり、レンタカーを借りてそのシーズンのオープンしたばかりの蔵王にスキーをしに行った。レンタルのウェアはダサく、しかもみんなお揃いでお互いを見て笑い転げた。啄郎だけが知佳と呼び、あとの三人が知佳ちゃんと呼ぶ以外、誰が知佳の彼氏なのか分からないぐらい五人の時間は楽しかった。啄郎以外に彼女がいる者はなかったが知佳が四人の妹的存在でみんなそれでよかった、と思っていた。
 二人の時間だけ知佳は啄郎を「たくちゃん」と呼んだ。すでに啄郎は卒業してから遠距離恋愛をし、知佳の卒業を待って結婚しようと思っていたし、知佳も啄郎との幸せな将来を思い描いていた。 
 啄郎が所属していたテニスサークルはB5版一枚の片面を一人分に充てた自己紹介の冊子を毎年、年度初めに作っていた。ワープロもあまり普及していない時代、みんな手書き原稿を書き、印刷して製本した。名前、生年月日、星座、血液型、好きな言葉、好きな有名人、好きな食べ物、嫌いな食べ物など。これがかなり人柄が出て面白かった。30人近くいた女子メンバーの中で一番字が綺麗なのが知佳だった。知佳は好きな言葉として、ペン習字のような丁寧な字で「未来」と書いた。
 その名簿の好きな有名人のところに啄郎は隆次と書き、隆次は和哉と書き、和哉は亨甫と書き、亨甫は啄郎と書いた。後輩には冗談半分で「同性愛説」が囁かれた。好きな言葉のところに啄郎は「至上の愛」とよく意味も解らずにコルトレーンの名盤の題名を書き、隆次は「ワンレン・ボディコン」と書き、和哉は「5時から男」と書き、亨甫は「憂国」と書いた。
 啄郎は盛岡の高校でインターハイ直前まで行った腕前だったがその大会での怪我のため競技テニスは引退し、このサークルに入った。隆次と亨甫もそれなりの腕前だったが和哉はソフトテニス出身で上達云々は二の次で本人が公言する通り「大学生活をエンジョイ」するためにイメージ的に一番カッコが良くて楽しそうなテニスサークルに入ってきた。

 啄郎の部屋が「三角部屋」と呼ばれたのに対し、亨甫の部屋は「ジャズ部屋」と呼ばれた。新築のアパートで享甫が最初の住人だった。ほぼ同時期にジャズにハマりだした二人だったがオーソドックス路線を聴いていた啄郎に対して亨甫はアバンギャルドな路線を聴いた。啄郎も亨甫の影響でフリージャズを聴くようになった。
 亨甫にはジャズを指南する同じ大学を卒業した先輩がいた。彼は国分町のビルの地下で「KINKAKU」というジャズバーをやっていて亨甫は3年生の秋頃から少しずつ通うようになった。啄郎も亨甫に誘われて一度行ったが二度と行かなかった。この店はジャズを聴かせる以外に大きな目的がある店で啄郎はそれを感じたからだ。その象徴としてコルトレーンやアイラーのポスターの中、マスターが立つ後ろの一番目立つ所に軍服姿の三島由紀夫の引き伸ばした写真が額に入れて飾られていた。
 民族派右翼学生連合「楯」。これが組織の名前。小さいながら全国組織でその東北支部がそこだった。
 亨甫も最初は純粋にジャズを聴きに行っていたが3年生の終わり頃から啄郎達と別行動を取ることが少しずつ増えてきた。
 だが、享甫がビラ配りなどの活動をしていても啄郎達は縁を切ったりすることなく仲間で居続けた。亨甫も三人といる時に思想や組織の話をしなかった。もちろん三人との時間が楽しく、友情を壊したくなかったからだ。
 ただ大学4年の暮れ、五人でスキーに行った一週間後の忘年会で亨甫は酔ってくどくなり、琢郎に思想の話で突っかかった。四人は忘年会の輪から外れ亨甫を連れ出した。隆次や和哉が「日の丸バンザーイ」と言って万歳をしたり、君が代を歌ったりして亨甫をなだめたが啄郎にはできなかった。その頃には琢郎なりの信条が出来ていた。護憲派左翼系の組織ならまだ解るがなぜ反憲派右翼系なのか。それを問うと亨甫は「この国は天皇陛下の国だ。『象徴』とは何事だ」と琢郎を睨むように言った。知佳は隆次達の後ろに隠れ、ただ怖がっていた。
 そして啄郎達からではなく、亨甫が啄郎達から離れて行った。
                * 
 1988年もクリスマスが近付き、仙台の街は光のページェントに覆われ輝いていた。
 啄郎達は就職活動をしていなかった亨甫を除き、三人とも公務員になることが決まっていた。時代はバブルの絶頂期。初任給が30万円、最初のボーナスが100万円という企業もざらにあって法学部卒であることなどお構いなしに不動産や金融関係に就職する友達が多い中、三人は堅い選択をし、「やっぱり似た者同士だな」と言い合った。
 そして啄郎達は亨甫を繋ぎ止めることに必死になっていた。亨甫はアパートにいなくなり、キャンパスでも見かけなくなったが啄郎達は置手紙をポストに入れたり「KINKAKU」に行ったりもしたが「KINKAKU」のマスターは「知らねえ」と言うばかりだった。携帯電話が無い時代、全く連絡の取りようが無くなった。そして三人で啄郎のアパートに集まることが多くなり、壁には「亨甫奪還」と隆次が書いたチラシの裏紙が貼られ、それはそれで何かのアジトのようだった。
 「思想の自由だからしゃあないのか」、和哉は無力さを感じ始めていた。
 「いや俺は諦められない。ここまで四人であんなに楽しくやってきたんだぜ。大袈裟かも知んないけど俺は奇跡的な出会いだと思ってる。四人で卒業しようや」、隆次は声を震わせて言った。
 「思想は自由だ。尊重するべきだ。だけど俺は亨甫を思想に取られるのは嫌だ」、啄郎は出来ることなら思想自体を変えさせたいとまだ思っていた。
 それに対して和哉も泣きそうになりながら言った。「思想が亨甫を連れてった訳じゃなくて亨甫が選んだんだろ」
 「そりゃそうだけど…。とにかくやれることを続けよう。四人で卒業するために。置手紙が無くなってるってことは亨甫は絶対に仙台にいる」と啄郎が言い、隆次と和哉が頷いた。

 一方啄郎と知佳は知佳のアパートで会うことが多くなった。順調な交際を重ね、将来の話までするようになっていた。
 日本の歴史上最高に国民が浮かれまくり、盛り上がったといえるその年のクリスマスイブの夜に啄郎は仙台港までレンタカーで知佳を連れ出し、港と船の灯りや海の香りが演出する雰囲気だけでうっとりしている知佳にトランクに隠しておいた花束を「メリークリスマス」と言って渡し、同じように隠してあったシャンパングラスに一口分だけスパークリングワインを注いで乾杯した。知佳は灯りに照らされた綺麗な涙を流し、啄郎は初めて知佳にキスをした。その後、琢郎の部屋に戻った二人は折り畳み式の小さな座卓にケーキを乗せて向い合い、二人だけのクリスマスパーティーをした。啄郎がクリスマスソングを集めて作ったカセットテープから、山下達郎やブライアン・アダムスが流れた。そしてそのままお互いにとって初めての夜を過ごした。それはぎこちないが聖なる夜にぴったりの誠実で純粋な交わりだった。
               *
 明けて1989年、世界は分岐点にあった。
 天安門での人民クーデターは失敗したがベルリンの壁は壊れた。ブッシュとゴルバチョフがマルタ島で会った。
 日本もそうだった。
 平成に年号が変わった。
 「神」と呼ばれた人がたくさん死んだ。昭和天皇は崩御され、美空ひばりが死に、手塚治虫も松下幸之助も死んだ。その度に「真の意味で昭和が終わった」とマスコミは言い、さらに立て続きに起きる想像を絶する悲惨な事件を報道した。連続幼女殺人事件や弁護士一家殺人事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件が起きた。
 世界も日本も大きな音を立てて動いていた。
 なのに日本人のほとんどは何も気付かない。浮かれて海外でエルメスやヴィトン、ロレックスを買いあさり、リゾートのビーチで紫外線の怖さも考えずに肌を焼いた。
 そんな時、予想だにしなかった激震が啄郎と隆次、和哉、そして知佳を襲った。

 2月24日。啄郎達は就職が決まり、最後の試験も卒論の提出も終わり、後は引っ越しと卒業式を待つだけという状態だった。
 一通の速達が啄郎に届いた。
 「招待状 『ジャズ部屋』でみんなが来てくれるのを待ってる。佐山亨甫」
 便せん1枚と鍵が入っていた。
 啄郎にはピンと来た。かなりヤバいことが起こる。亨甫とは忘年会から会えなかった。「みんな」とは啄郎と隆次、和哉、それに知佳を指すことは明らかだったが啄郎は知佳に知らせず、三人で亨甫のアパートに行った。

 亨甫のアパートは1階だった。
 怖かった。三人はとにかく怖かった。そこに何がある。
 かすかに音楽らしきものが聞こえる。
 ジャズだ。
 啄郎が鍵を開けて、玄関ドアを開けた。
 「ううぉおおおおお」と隆次が唸った。
 和哉は「うっ」と言って、すぐに目を逸らした。
 啄郎は目を逸らせなかった。

 「ジャズ部屋」は惨状だった。
 玄関から向かって奥に窓があり、左側にベッドがあったが、そこではなく右側のフローリングの床の真ん中に亨甫が頭を玄関に向けて仰向けで倒れていた。床は血まみれで特に亨甫の右手付近が酷かった。血が付いた包丁が転がっていた。テレビにもレコード棚にも血が飛び散っている。その上、亨甫の右側の白い壁紙に大きな赤い丸らしきものが血で書かれていた。啄郎は朦朧とした頭で日の丸だろうと思った。そこには以前、コルトレーンやアイラー、ドルフィーのポスターやらピンナップやらが隙間が無いほど貼られていたのだが全部剥がされていた。亨甫は目を見開き、日の丸を睨んでいた。
 血が付いたステレオからはマル・ウォルドロンの「レフト・アローン」が静かに流れていた。カセットテープはエンドレスにセットされていた。ジャッキー・マクリーンの絶望的に暗く沈んだアルトサックスはその部屋の恐ろしい光景と驚くほどマッチしていた。
 奥の窓際に立て掛けられた亨甫のテニスラケットだけがその光景から浮いていた。
   *
 警察による現場検証と事情聴取がされた。発見した三人の他に知佳も聴取された。司法解剖もされた。
 取り調べの結果、死亡推定時刻は発見した日の午前0時。右翼思想による自殺、いわゆる昭和天皇崩御への殉死として処理された。

 亨甫の両親はひたすら啄郎達に「本当に申し訳ありませんでした」と泣きながら頭を下げてばかりだった。右翼思想や活動のことで散々困っていたのだろう。悲しみは図り知れないが驚きは少ない様子だった。亨甫にはまだ小学5年生の妹がいた。家族三人と啄郎達、知佳、サークルの仲間達に見守られながら、亨甫は仙台で荼毘に付せられ、郷里の弘前に帰って行った。啄郎は火葬で棺が炉に入っていく時、それを睨めていた亨甫の妹の亨甫にそっくりな鋭い目がその後忘れられなかった。

 葬儀を終えて啄郎の部屋に集まった隆次と和哉は「何でそこまで」と言いながら止められなかった自分を責めた。
 「演出までしやがって」と隆次は憎むような口調で言った。
 「レフト・アローンか…寂しかったのか…」と和哉もやりきれないように言った。
 皆が亨甫の無言の遺言を解読しようとしていた。
 そんな中、啄郎は二人と同じ思いを持ちながら腑に落ちないものを抱いた。腑に落ちないのは啄郎に鍵が送られてきたことだった。確かに思想について一番突っかかれたのは自分だったが、それ以上の意味があるのではないか。そうだとしたら知佳だ。亨甫は知佳が好きだったのか。知佳に思い当たるか、と聞いたら首を振った。

 亨甫が死んだのは昭和天皇の大喪の礼が行われた日で亨甫の思惑通りだったのか、昭和とともに啄郎達の青春にも幕が下りた。
   *
 別れを切り出したのは知佳だった。
 啄郎は知佳のアパート近くのコンビニ前に電話で呼び出された。
 「終わりにしてください」
 啄郎はいろんな意味で呆然としたまま頷いた。
   *
 卒業式では亨甫の事件があった分、後輩が気を遣って盛大に見送りをしてくれた。クラッカーの紙テープや紙吹雪の中、三人は他の卒業生とともに、もみくちゃにされ、テニスコートに移動して総勢約50人で記念写真を撮った。が、そこに亨甫はもちろん、知佳もいなかった。
 啄郎は隆次と和哉と固い握手をして別れた。隆次と和哉も握手をした。その時言葉は何も交わさなかった。三人は4年間で語るべきことを全て語り切っていた。ただ啄郎は知佳と交わすべき言葉があるような気がしてならなかった。だがその機会はすでに無かった。

 第17章 愛おしいもの
 2008年

 9月上旬の日曜、啄郎は新幹線で仙台に向かっていた。隆次の結婚式とパーティーは仙台駅と隣接した高層ホテルで行われる。啄郎が仙台を訪れるのは四年振りだった。家族五人で七夕祭りを見に来た。その頃は長男もまだ小学生でクラブ活動やら課外授業やらが無くて旅行がしやすかった。
 運良く鬱ではなく躁も感じない。ちょうど良いフラットな気分だ。
 啄郎は午後1時からの式なのに朝早い新幹線に乗って独り大学方面に足を延ばした。
 いつもは2万円の安物スーツしか買わないが里恵にも勧められてブランドスーツをイージーオーダーした。それは織り方によるグラデーションのストライプが入った黒の二つボタン、ノータックのタイトなスーツでそれにハイカラーの白いワイシャツ、シルバーと薄紫のレジメンタルのネクタイを合わせた。黒い靴とベルトも新調した。祝儀をジャケットの内ポケットに入れ、手ぶらだ。和哉と折半にして隆次にプレゼントする記念品は和哉が買って持って来ることになっている。
 仙台駅から仙山線に乗り換えて15分で北山駅に着く。この日の仙台は残暑が抜け、涼しい風が秋の始まりを感じさせるちょうどいい気候だった。
 北山駅で降りると大学に向かった。大学はまだ夏休み中で静かだ。学生はまばらにしかいない。懐かしいテニスコートは面を新しく張り替えたばかりのようだった。四階建ての棟が二つ建てられ増えてその分だけキャンパスが狭くなったように感じる。ふと知佳の研究室はどこだろうと考えたが逆に逃げるようにキャンパスを後にし、北山駅の反対側の自分のアパートまで歩いた。啄郎のアパートはまだあった。外壁の色がクリーム色から薄い水色に塗り替えられていたが他はだいたい綺麗で「三角部屋」にもまだ誰か住んでいるようだ。
 北山駅に戻る途中の小路を入ったところにかつて亨甫のアパートはあった。まだ築4年だったが亨甫の件ですぐに取り壊され、しばらく更地になっていたのは知っている。
 そこは100坪ほどの墓地になっていた。結局土地に関してはあの事件の噂が風化し切れなかったのかも知れない。もともと大きな墓地霊園が多い北山地区だから地主としたらこういう売却の仕方が最善だったのだろうと啄郎は思った。その入り口には地蔵が建てられていた。これは亨甫の鎮魂の意味で建てられたのかも知れないと思い、啄郎はしばらく手を合わせた。住宅地は静かで遠くでバイクの排気音が聞こえるだけだった。

 啄郎はホテルに着くとエレベーターに乗りながらシルバーのポケットチーフを左胸にセットし、二五階の結婚式の会場に向かった。エレベーターから出た啄郎は受付を確認し、そして和哉の姿を探した。和哉に会うのは卒業10周年で隆次も含めて仙台に集まった時以来だから10年振りだ。綺麗に装った人込みをしばらく探した。
 しかし見つけたのは和哉ではなく、隆次でもない、懐かしすぎて、切なすぎて、愛おしいもの。膝丈の黒いサテンのドレスを着て、こちらを見つめている知佳の姿だった。
               *
 「愛おしいもの」
 それはこういうものだったのか。妻も我が子も愛おしいがそれとは違う、どこか「哀しみ」を帯びた愛おしさ。その「哀しみ」が怖かったが封は切られてしまった。
 知佳と目が合い、見つめ合い、そして多くを語り合った。具体的なものは何もないが目と目で深く語り合った。
 10秒ほどの時間だった。
 そこに和哉が来た。「久しぶり。随分ビシッと決めてきたじゃん」
 「お前も田舎の役人には見えないよ」
 和哉は「懐かしいなあ」と言いながら視線を動かし、知佳を見つけた。   「え、知佳ちゃん?」
 知佳がやっと啄郎のほうに歩み寄った。「お久しぶりです」
 アップにした栗毛色の髪の耳元にダイヤらしいピアスが光った。
 「びっくりした。知佳ちゃんも隆次に呼ばれたの?」と和哉が聞いた。
 「いいえ、私は新婦の文香ちゃんのほう。私のゼミの出身なんです」
 「そっかあ」、和哉は知佳の左手の薬指に気が付いて言った。「知佳ちゃん、もしかして独身?」
 「はい」
 琢郎は二人の会話をただ黙って聞いていた。
 「そうなんだ。それにしても知佳ちゃん、いつまでも若くて綺麗だね」と和哉は言い、ふと自分の立場を察して「俺、先に受付してくるわ」と言って受付に向かった。
 すると啄郎がようやく知佳に対して口を開いた。「本当に若くて綺麗だ。うらやましいよ」
 「私は幸せな家庭がある人がうらやましい時もある。ごくたまにね」
 啄郎は知佳の声も言葉も噛み締めるように聞いた。そしてあらためて近くで知佳を見た。あれから20年経っているとは思えなかった。20年前よりも綺麗だった。マスコミに登場したりするための手入れだけではない、知佳の生き方が綺麗だったのだろうと啄郎は思った。
 そして何やら知佳に注がれる周囲の視線がやたら多いことに気付いて言った。「なんか凄い視線だな」
 「困った報道されて」
 「どんな?」
 「うん…」
 啄郎にそんなつまらないことを話したくはなかった。話したいことの第一万位ぐらい。啄郎もそれを察して話題を変えた。「本読んだよ『渦と泡沫』」
 「ホントに?」
 「ああ。読み終わって泣いた」
 「小説じゃないんだから」
 「うん。でも泣いた」
 「今度はバブルだけに焦点を当てて書いてる。文香ちゃんの友達で私の助手の奈那子ちゃんと一緒にまとめ作業に入ってるとこ。出版社も決まった。題名は『政治経済と文化におけるバブル期の功罪』」になる予定…」
 「前の題名みたいなほうが好きだな」
 「私も違う題名にしたかったけど出版社がダメだって。漠然としてるのは。当たり前だけど」
 「それじゃあ仕方ないか」
 「そういえば隆次先輩に必ず二次会に出るように言われたんだけど」
 「俺も絶対って言われた」
 「それじゃあパーティーの後もお話できるね」
 「ああ」
 受付を済ますようにホテルマンから声がかかった。啄郎はちょっとの間話ができないのさえ勿体なく感じながら気になっていたことを聞いた。「俺が来るのは知ってたの?」
 「たぶん来られるだろうと」
 「そっか」
 知佳は軽く会釈をして受付に行った。
 啄郎は――俺は知佳が来ると知っていたらここに来ただろうか、と考えた。たぶん来なかったんじゃないか。「哀しみ」が怖かったから。

 受付を済まし、ホテル内の明るさに満ちたチャペルに通された。祭壇の後ろ、十字架の向こうには仙台市街が一望できる。神父が祭壇の上に立ち、さらに白い軍服姿の隆次が祭壇の下に立つ。刑務官らしい正装だった。とてもよく似合っている。ワグナーの「結婚行進曲」がオルガンで弾かれると後ろの扉が開き、文香と文香の父親が腕を組んで入場する。隆次は白い手袋を左手に持ちながら「気を付け」の姿勢で待つ。
 啄郎と知佳はバージンロードを挟んで反対側で知佳が二列前だった。
 文香の父親の腕から文香の腕は離れ、隆次に渡る。隆次は綺麗に四五度の礼をする。そして二人は五段の階段を上り祭壇へ。
 知佳と奈那子はハンカチで目を押さえていた。その知佳の様子を啄郎はちらちらと見ていた。和哉は隣でやはり泣いていた。
 誓いの言葉や指輪の交換、キス。文香はずっと泣いているように見えた。啄郎は隆次も泣くんじゃないかと思った。大学時代から熱くて涙もろい男だった。だが隆次は毅然としていた。男らしく、刑務官らしく、所作の一つ一つが美しくさすがだった。
 啄郎は隆次の20年間をあらためて感じた。――すげえな。と心の中で呟いた。

 式は終わり、隆次と文香がチャペルの出口の階段でフラワーシャワーを浴びていた。中段で立ち止まると文香は後ろ向きになった。奈那子が知佳を誘ったが知佳は下に降りず、奈那子だけがブーケトスを競いに行った。文香がブーケを高く投げたがその行き先を啄郎と知佳は知らなかった。啄郎と知佳は華やかな歓声を間に挟みながらずっと見つめ合っていた。

 パーティーは3階へ降りて行われた。客は50人ほどで新郎新婦が座るメインの席以外に六つの円卓が置かれた。啄郎はメイン席に向かって左後ろ側の席で和哉の隣。知佳と奈那子は右後ろの席だった。
 司会はプロらしく、内容はお色直しや余興などがなく自由に新郎新婦の席に行って話ができる時間が多かった。
 新郎新婦の生い立ちが大きなスクリーンにスライドショーで紹介され、学生時代の隆次の写真には4年生の夏に啄郎、和哉、亨甫と四人で山形の海にレンタカーでドライブに行った時のものが使われた。海岸の岩場で皆が縦に並び、日本海の夕日を指差している写真や、やはり全員が片足を岩に乗せてあちらこちらを渋い顔で見ている写真が映され、場内の笑いを誘った。
 啄郎は久しぶりに見た亨甫の顔に一瞬たじろいだ。和哉も知佳もそうだった。「青春を撮ろうぜ」と言ったのは亨甫だった。啄郎は亨甫のアイディアで岩場に苦労して三脚を立て、タイマーを使って撮ったのを思い出した。そして隆次が亨甫の写真を外さなかったことをめでたい席だけに意外に思ったが、逆に隆次らしいとも思った。
 1時間ほどしてパーティーは中盤に入り、テーブルスピーチが始まった。テーブルスピーチのバックにはリンダ・ロンシュタットのアルバム「フォー・センチメンタル・リーズンズ」が選曲された。リンダの「美しくて甘い」以外に形容しがたい歌声が流れ、会場を静かに華やかにしていた。
 全員が話すわけではなかったがパーティーの前にあらかじめ司会から告げられ、啄郎と和哉、知佳もスピーチすることになっていた。新婦の中学校時代の友人から始まり、三人の中で最初に和哉の番が来た。
 和哉は昔から酒に弱く酔っていた。そしてマイクを持つなり泣き始めた。女性なら解るが男性がこのタイミングで泣き始めたことが意外で会場は戸惑っている様子だった。和哉の気持が解るのは啄郎と知佳、そして隆次だけだった。どうにか気を取り直して和哉は話し出した。
 「隆次、文香さん、おめでとうございます。須藤和哉という者です。私と隆次は大学のゼミで知り合い、サークルにも俺がくっ付いて行って結局、4年間ゼミもサークルも一緒でした。さっきの海辺での写真の中の四人はいつも一緒でした。後輩から「ただの友達関係じゃないんじゃないか」と冗談半分の噂が出る程仲が良かったんです。その中でも隆次はリーダー的な存在で熱くて男気があって後輩からも慕われる男でした。ここにいる啄郎は冷静だけど友情を何より大事にする奴で俺はただお茶らけてばかりでした。もう一人亨甫という男がいました。こいつも啄郎と同じで友達を大切にする男でしたがこの席にはいません。そいつだけは俺達と一緒に卒業しませんでした。隆次、よくあの写真を出してくれた。お陰で久しぶりに亨甫に会った。俺ならできない…。文香さん、隆次は大切だと思うものをいつまでもいつまでも大切にする男です。その証拠に俺のところには毎年、お中元の季節に隆次の赴任先から、俺がすごく苦手な辛い名産品が届きます。そういう洒落も利く男です。だから、というわけではないですが安心して付いて行ってください。あらためて今日はおめでとうございます」
 和哉は話し終わるとまた泣き始め、白いハンカチで目を押さえた。和哉の肩をトントン叩いていると啄郎が指名された。
 「隆次、文香さん、ご結婚おめでとうございます。咲山啄郎と言います。自己紹介は和哉が言ってくれたので省略します。隆次は先日電話で文香さんのことを『蜘蛛の糸』と言いました。渇いた生活から潤いのある幸せな生活に導いてくれる『蜘蛛の糸』だと。私達はバブルという潤いに満ちた時代に青春時代を過ごしました。仕送りは少なくてもアルバイトが余る程ありました。四人で飲み、四人で歌い、四人で踊り、四人で笑いました。ただ私達のバブルはあることがきっかけで世の中よりも早く崩壊しました。もう少しで四人で卒業できたのに。潤いが減り、渇きの時代、隆次は独りで頑張ってきました。文香さん、あなたはもう『蜘蛛の糸』ではありません。隆次は潤いのある地上に這い上がりました。今日からは二人で助け合って行ってください。隆次は懐が深い男です。文香さんもいっぱい支えられてください。本日は本当におめでとうございます」
 啄郎は簡単なスピーチだった上に、仕事のことだけを指した訳ではないが「渇きの時代」などと言ってしまい、隆次の同僚に失礼だったのではないかと今更ながら思ったが、隆次を見ると笑顔で口が「ありがとう」と動いていたから安心した。
 知佳の番が来た。酔った文香側の客の一人が「よっ、未来の国会議員」と叫び、場内はざわつき、啄郎はさっきの知佳の注目のされ方の理由が解った。少しだけ動揺した様子だったが知佳は話し始めた。
 「隆次先輩、文香ちゃん、ご結婚おめでとうございます。私は隆次先輩のサークルの3年後輩で文香ちゃんは私が大学に勤めてからのゼミの生徒になります。お二人を学生時代や普段に慣れ親しんだお名前でお呼びさせていただくことをお許しください。最初にこのご縁を伺った時、世の中狭いなあというような暢気なものでは無く、偶然への驚きに一瞬唖然としました。そして今回はたまたま私がお二人を存じ上げていただけで世の中のほとんどが必然ではなくてこういう偶然で成り立っているのかな、と思いました。だから出会いは素敵なのですね。私は隆次先輩と先ほどスピーチされた和哉先輩、啄郎先輩にもとてもお世話になり、可愛がってもらい、車や電車でいろんなところに連れて行ってもらいました。仙台の街や八木山、青葉城趾はもちろん、仙台港、松島、蔵王。あの四人の先輩と過ごした4か月間は短かったですが、本当に濃密で私の大学生活で間違いなく一番楽しく光り輝いた四か月間でした。出来ることならもう少し長く、と思うほどでした…。文香ちゃんはとても勉強熱心でどんな課題にもしっかりと熟考してから取り組むタイプでした。だから大学院生時代に私の研究を手伝ってもらった時、とても信頼して仕事を任せることができました。文香ちゃんは男性に関しても熟考してから行動するタイプだったようで、昔から「私はじっくり選んで男らしい大人の男性を選ぶの」と言っていましたがその通りになりましたね。さすが文香ちゃん。隆次先輩はまさにぴったりの人です。最後に隆次先輩に一つだけお願いをして私のスピーチを終わらせていただきます。ときどきで構いませんから私達の夜の食事会に文香ちゃんを貸してください。もちろん隆次先輩がご一緒でも大歓迎します。お願いします。本日は誠におめでとうございます」
 知佳のスピーチはさすが大学の准教授という感じで滑らかだった。啄郎は知佳が文香だけでなく自分達のことに触れたことが嬉しかった。そして「4か月間」という言葉に嬉しい響きと哀しい響きを同時に感じてしんみりした。
 パーティーは式と違い、新郎新婦ともに笑顔のまま終えた。

 二次会はホテルから徒歩5分ほどの5階建て雑居ビルの4階、バーと呼ぶには照明が明るく白を基調にしたインテリアのパブで行われた。テーブル席側に青葉通りを見下ろせる大きな窓がある。式やパーティーには出なかったが二次会だけの出席というメンバーもいて20人ほどの人数だった。さすがに20代の結婚式の二次会とは違い、弾ける感じは無くみんな落ち着いていた。啄郎と和哉、知佳は隆次から絶対に出てくれと頼まれていたから来てはいたが啄郎と和哉は翌日が月曜ということもあり、帰りの新幹線の時間を気にしなくてはならなかった。ただ和哉が気を効かせて啄郎と知佳はカウンターの端の席でやっと二人で話ができた。和哉は奈那子達と楽しそうに飲んでいた。
 啄郎はパーティーまで酒をセーブしていた分、久しぶりにハーパーをロックで飲んでいた。
 「ハーパー飲んでる。懐かしい」
 「同じの飲むか?カクテルにする?」
 「ハーパーの水割り。この前もね、自分で買って飲んだんだ」
 「昔はソルティードックだったよな」
  啄郎は知佳のハ水割りを注文した。
 「今はビール。オバサンだね。ハーパーは昔を懐かしんで」
 「選挙に出るのか?」
 「要請はあったけど、出ないよ」
 「そっかぁ。でも何となくもったいない気がする」
 「もったいない?」
 「知佳…って呼んでいいか…」
 「もちろん」
 知佳のところに水割りがきた。
 啄郎は嬉しく思ったが感情が表に出そうになるのを誤魔化すためにハーパーを一口多めに飲んで話し続けた。
 「知佳の可能性がもったいない」
 「可能性?」
 「凄いよ。青葉から東北(とんぺい)(大学)の博士課程に合格して進んだんだから」
 「違う。私は勉強と研究以外にすることがなかった。結果オーライな生き方よ」
 「いややっぱり凄いよ。いろんな意味で」
 「そうだとしたらもしかしたらたくちゃんのお陰かも」
 「凄い皮肉だな」
 「皮肉です」
 お互いにこんな話題じゃない話をしたかったが昔話をするのはどことなく怖かった。
 「でも研究はするだけじゃ意味がないんじゃないか」
 「そういう研究もあるかも知れないけど私は研究しっぱなしがいいの」
 「実践してこその研究なんじゃないか」
 「今のままで私は幸せ」
 「マスコミで批評するより自分が行動したほうがいいんじゃないか。知佳は選ばれたんだから」
 「なんでたくちゃんがそんなこと言うの」
 「解らない。でもこの国はますますおかしくなってないか?俺と似た病気の人間がどんどん増えてる気がする。そして変な事件を起こして隆次のとこに行く人間も。世間ではバブルを批判する奴がいっぱいいるけど今の方がずっとおかしい。せっかく政権交代しても何も変わりやしない。でも知佳が国会に行けば俺達は期待できる」
 「何が?」
 「具体的には解らないけど何一つ期待できなかった自分の国の未来にちょっとだけでも期待できる。これは大きいよ」
 啄郎は多少酔ってきている自分を意識していた。 
 「たくちゃん、どこか病気なの?」
 「双極性障害。和哉はパニック障害だって。多分原因は同じ」
 「双極性障害…今は?」
 「普通な感じ。明日辺りから鬱入りの予定。知佳は何も無いか?」
 「何も無い。たくちゃんが私には見せなかったから。ありがと」
 「いや当たり前だよ。何となく予想はついてたからな」
 知佳は嘘をついた。

 「♪パッパパラパッパパッパー…」
 パブにはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」が流れた。有線のようだ。モダンジャズの中でも実にメジャーな曲でジャズを知らない人にも馴染みがあるメロディーは場の雰囲気に合った。そして啄郎の古い記憶が甦った。
 「そういえば『AVANT』、すぐ近くだな」
 「無くなったよ『AVANT』。10年以上前に」
 「そっかぁ。やっぱり戻れないんだな。当たり前か」
 「そうだね」
 二人の会話が途切れた。
 そして啄郎が知佳の論文の話をしようとした時、隆次が和哉と一緒に賑やかな輪を外れて来て言った。「向かいのバーも借りてる。話がある。そっちに移動しよう」


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