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【短編小説】きききの吊り橋

 ねえ、そのタイムトンネルを通り抜ければ、あの日に戻れるのかな。


 汽笛に僕は意外なくらい驚き、電車はトンネルに入った。その驚きを静める間も無く明るさは戻った。トンネルは三つあって、どれも5秒位の短いトンネルだった。驚いたのは僕が少し緊張してたからだろう。車窓からの風景は、東西の低い山並みに挟まれた狭い町っていう感じ。小さな川が線路と並行して流れてる。手が届きそうなほど近付いた山々には5月初旬の新緑の中、川岸の所々に濃いピンクの桜が見える。東京はもう初夏だけど、ここにはまだ春が残ってるんだね。青空の中、西の空には厚い一塊の灰色の雲があって、雨が近付いてるのかもしれない。
 今のところ青空はこの旅の僕の同伴者でいてくれている。僕の心境と裏腹な天気だけど、晴れてるに越したことはない。目的が曖昧な、ひたすら北へ向かう旅で、小さな運に恵まれてる。
 女性の声の自動アナウンスが「こずや」と話し、間も無く停車した。左側に小さな駅舎がある。古い木造の駅舎は屋根が青く、壁は白く綺麗に塗られてる。可愛い駅舎だ。跨線橋も同じ色合いに塗られてる。駅舎の向こうにはやはり古い建物だけが見え、バックの山並みに溶け込んでる。物は古くなるにつれて自然と馴染んでくる。
 「小鳥谷」と書いて「こずや」。謎解きの過程で知ってたけど、確かに「ことりのたに」って読んだほうが可愛い駅名かもね。由来も知らずに余計なお世話だけど。
 小鳥谷駅を出発して間もなく、30秒位の長めのトンネルをくぐった。タイムトンネルの町にたどり着く直前のトンネルとしてはなかなかいい長さだ。とうとう、タイムトンネルの町に到着する

        *

 『突然ですが、私に会いに来てくれませんか。銀河鉄道で小鳥の谷を越えた町にある、タイムトンネルの向こうで待っています。』

 あのメールが君からのものだっていう確証は全く無い。文面に僕の名前の「拓巳(たくみ)」も君の名前の「未華(みか)」も無かった。君とは20歳の秋の終わり頃を最後に連絡を取っていない。君の連絡先はスマートフォンから消してたし、番号もメールアドレスも覚えてない。あのメールはフリーメールで、アドレスにも君を推定出来るワードは無かった。正直、迷惑メールだって思った。今でも半信半疑。ただ、昔の君は謎解きみたいなメールをよくくれて、いつも僕の反応を楽しんでた。『ニューヨーク時刻、午後11時にセントラルパークで待っています。』とか。つまりは「正午に高円寺中央公園で待っています」っていう意味で、単にややこしいだけだったんだけど。
 僕が行こうとしてる場所が的を射てるのか分からない。そこに本当に君がいるのかも。さらに「君が本当に僕が思ってる君」なのかも。

 あのメールがジャケットの内ポケットに入ってたスマートフォンに届いた時、僕は母さんの余命が長くて3か月だって医者から告知されてた。    
 母さんは家の台所で倒れて、見つけた僕が救急車を呼び、病院に搬送された。搬送されたのは、いつも母さんが罹ってた総合病院で、処置後、ナースステーションの奥の部屋で主治医から説明を受けた。CTスキャンの画像を見ると、母さんの肝臓から出血があるのが分かった。約十年前に見つかったC型肝炎がじわじわ進行して肝癌になり、その腫瘍が破裂したのだという。
 「カテーテルを通して止血したので、今すぐにどうこうという状態は脱しましたが、いずれ、後は痛みを伴いながら衰弱していきます」と若い男の主治医は説明して、同時に「緩和ケアに移りたいと思いますが」と同意を求めた。
 「お願いします」と僕は言って、書類にサインをした。
 去年の年の暮れ、ちょうどクリスマスと大晦日の間の日だった。
 緩和ケアに入ったと言っても、最初、母さんの意識ははっきりしてた。 
 「エンゼルはあなたに任せる」
 「うん」
 「できれば残して欲しいけどね」
 「うん」
 「無理だな。そんなに口が重い人に客商売は無理」
 「・・・」
 母さんは、近く死ぬことを前提に話すようになって、僕は返事の仕方に困るようになった。この時返事に困ったのには、エンゼルを再開しないことをもう決めてたからっていうのもあるけど。
 「ごめんね。一番いい頃なのに」
 「ううん」
 「私はその年頃くらいまでが、いっちばん楽しかった」
 「へえ」
 一番いい頃。青春?青春ね……。
 母さんはベッドの上で泣かなかった。少なくとも僕の前では。普段通りに明るい口調で話した。本当に平静だったのか、平静を装ってたのかは分からない。でも多分、後者だろう。

        *

 午後2時15分、いわて銀河鉄道の一戸(いちのへ)駅のホームに降りた。 
 あらゆる意味で東京と対極にあるように思えるこの町もかろうじて青空だ。厚い灰色の雲はさっきより近付いたけど、まだ西の空にある。
 約4時間の移動から解放された僕は思わず思い切り体を伸ばした。線路に並行して延びる背の低い町並みの他は、見渡す限り緑で空気は草木の匂いしかしない。薄いジャンパーを脱いでリュックに仕舞う。東京より確実に3度以上低いだろう気温は、グレーのカットソーとカーキ色のカーゴパンツ、スニーカーにリュック姿の僕にちょうどいい暖かさだ。緊張が取れ、ごく僅かにテンションが上がる。でも、君に会えても会えなくても、ここからさらに北へ向かう当て所の無い旅が続くことに変わりはない。
 小さな駅なのにホームから地下をくぐって改札に向かう変わった構造だ。改札窓口に立つ若い男性の駅員に切符を渡す。コンクリート造り2階建ての綺麗な構内でコンビニエンスストアを併設してる。
 外に出ると広い駐車場があった。ホームから見た線路の敷地も広かったし、昔は賑やかな町だったのかもしれない。ただ、今はバスとタクシーが一台ずつ停まってるだけだ。どちらの車両もかなり古い。周囲にはやはり古い3階建てのビルが二つ。読むのも難しいほど色褪せた日本酒の銘柄の看板が最上部に取り付けられてるビルは一階が食堂らしいけど、今もやってるのか定かじゃない。他にも食堂や商店、旅館らしき建物が見られる。その奥には寂れた商店街が通ってるようだ。新しい建物はほとんど見られない。歩いてるのは数人の老人だけで、まるで昭和の町のジオラマのようだ。
 ところが、それらの風景よりも先に、強烈に目に飛び込んでくるものがあった。線路やホームは駐車場よりも高い所にあって、その段差が壁になってる。高さが2メートル、長さが30メートル位の壁には緑と白の巨大なトリックアートが描かれてる。ほぼ等身大の何十人ものスーツ姿のサラリーマンが駅に向かって列をなして歩いてる。一見、白をバックにした緑のサラリーマンだけど、下半身は緑の部分がバックに、白い部分が足に入れ替わってる。何を意図してるのかさっぱり分からない。この駅でスーツ姿の男性がたくさん乗降するとは全く思えない。
 意味が分からない色鮮やかで巨大なトリックアート。それを囲む寂れた昭和のジオラマ。実にミスマッチ。でも大らかな感じもする。この町の第一印象。
 タクシーに乗る。
 「きききの吊り橋へお願いします」
 「はい」
 還暦を過ぎてるように見える男性の運転手が訛りを含みながら明るく答える。

         *

 君は母さんをよく知ってるよね。高校生の時によくうちの喫茶店エンゼルに来ていたから。仲良しって言ってもいいほどだった。
 エンゼルは昭和の雰囲気が漂うあか抜けない店だった。最初はじいちゃんが始めた店で、父さんが死んで家に戻って来た母さんが手伝った。しばらくしてじいちゃんが引退して、一人っ子の母さんが跡を継ぎ、アルバイトを一人雇いながら続けてきた。じいちゃんの代から店内には有線のジャズが流れてた。4人掛けのテーブル席が五つあって、カウンター席が六つ。カウンターもテーブルも椅子も全部木製で渋い茶色。白いクロス張りの壁には常連の一人が好きな東京のJリーグチームのポスターや母さんの数人の友達が描いた絵が飾られていて統一感がなかった。入口近くの一枚の壁は公民館での催し物やサークルメンバーの募集、高校の吹奏楽部の定期演奏会のチラシなんかが、所狭しと貼られてた。テーブルには灰皿が置かれていて、店内はコーヒーと煙草の匂いが相まってた。僕は煙草を吸わないけど、その匂いはいつも僕を落ち着かせてくれた。
 母さんがサイフォンで淹れるブレンドコーヒーは世界一美味しかった。息子だから言うんじゃないよ。店の常連はみんなそう言ってた。君もそう思っていてくれたらどんなに嬉しいだろう。君もいつもコーヒーを飲んでいたよね。砂糖をスプーン一杯とクリームを入れるんだ。一口目を飲んでは必ず「美味しい」って言った。
 母さんは僕の仲間からは飲み物の代金を取らなかった。だから野球部の仲間は三年の夏の大会が終わってから、やたらとエンゼルをたまり場にしたんだ。うちはその程度の代金をもらわなくても全然困らなかった。あの店があった三階建ての古いビルは母さんのものだったんだ。1階がエンゼルの他に二つのテナント用スペース。2階と3階はアパートで、10部屋あった。高円寺駅南口から徒歩五分の商店街にあったから、ほぼ空くことはなかった。だから、不動産だけで十分すぎるほど収入があった。エンゼルは母さんの趣味みたいなものだったんだ。
 母さんはいつも友達に囲まれてた。店にはたいてい誰かしら友達が来てた。話し好きで、君も知っての通り、めちゃくちゃ明るい人だった。料理も好きだったし、そういう意味で喫茶店の仕事は天職だったのかもしれない。店に出る時はいつもお洒落に気を使ってた。僕の仲間はよく「お前の母さんは美人だな」って言ってくれた。自慢の母さんだった。
 手芸が趣味で、定休日には友達の家に行ってキルトのバッグや手編みのぬいぐるみなんかを作って帰って来た。僕には布製の野球のグローブカバーや、刺繍糸で編んだ緑の御守りなんかをくれた。どちらにも「健康祈願」って金色の糸で縫ってあった。御守りの袋の中には小さな折り鶴が入っていてね。緑色と折り鶴は健康運を上げるんだって。新しい御守りをくれる時に古い御守りと取り換えるんだ。高校生の頃から毎年決まって三月だった。その頃の母さんは見つかったC型肝炎が手遅れで肝癌に向かって進行するだけだということを知ってた。御守りをくれる時は、優しい声で「何より健康第一だよ」って必ず言った。
 母さんは、ベッドの上で、僕が4歳の時に死んだ父さんの話を何度もした。僕は一人っ子だから、母さんが何かを伝えるべき人間は僕だけだった。
 「単純」。その話の中で何度も出てきたワード。
 「大学の映画サークルで、自主映画を撮るグループに入らないで二人とも観る専門。お父さんは古い映画、中でも『ローマの休日』が好きでね。そのグレゴリー・ペックに憧れて新聞記者になったんだよ。単純でしょ」
 「『新聞記者ならどこでもいい』って言って、福岡出身で東京の大学卒業なのに、唯一試験に受かった縁もゆかりもない静岡の新聞社に就職したんだ。ほんと単純」
 本当に楽しそうに話した。大体の死期を知ってる中、どうしてこんなに楽しそうに話せるのか、そう考えると逆に僕が泣きそうになった。
 僕が3歳の時に父さんが脳腫瘍であっけなく死んで、母さんは僕を連れて静岡から東京へ戻った。エンゼルを引退したじいちゃんは、ジャズのレコードを昼に聴き、夜は近所の友達と焼き鳥屋で一杯やって大抵の一日を過ごした。僕も時々、じいちゃんと一緒にジャズを聴いて、指南を受けてた。僕が年齢に似つかわしくないジャズにちょっと詳しい理由さ。ばあちゃんは日本舞踊の名取で家でお弟子さん達に教えてた。二人とも充実した老後を過ごしてた。でも引退した五年後にじいちゃんが肺がんで死んだ。若い頃から煙草を吸わない人だったのに。その2年後にばあちゃんが胃がんで死んだ。塩っ辛い物を食べないとか、健康に気を付けていた人だったのに。二人ともまだ60代だった。僕が中学、高校生の時だった。二人の火葬や納骨を見て僕は、「人間は無力で、最後はゼロになる」って漠然と思った
 父さん方の祖父母とは会ったことがないと思う。母さんの話では、祖父母と父さんは折り合いが悪く、学歴重視の祖父母が九州の国立大学の法学部を目指して浪人しろっていうのを父さんは無視して東京の私立大学の文学部に入学した。そこで母さんと出会ったんだ。奨学金と掛け持ちのアルバイトだけで大学を卒業したらしい。父さんは自分が死んだことすら伝えるなって母さんに言ってた。母さんは伝えなかった。そもそも連絡先を知らなかったって。父さんの死を未だに知らないはずは無いし、僕の存在を知らないはずもない。でも、僕はそれ以上知らない。
 ベッドの上で母さんは頻繁に結婚写真を眺めてた。そして結婚式の話もしてくれた。
 結婚式は鎌倉の鶴岡八幡宮でしたんだって。
 「鎌倉は学生時代からの二人の思い出の場所」
 「どんな?」
 「どんなのだと思う?」
 「……」
 「教えない」
 何度か訊いたけど、結局教えてくれなかった。
 出席者はじいちゃんとばあちゃんだけ。二人は自分たちと、じいちゃん、ばあちゃんのためだけに結婚式を挙げたんだ。
 写真はたったの1枚。見開きの台紙に入ってたけど、記念写真にしては小さなサイズだった。スタジオとかじゃなくて、朱色の神社の建物と青空、木々の緑をバックにしたとても素敵な写真だった。何より二人ともリラックスしていて穏やかに微笑んでいた。綿帽子を被った母さんは息子の僕から見ても綺麗だって思ったし、紋付き袴の父さんは微笑みながらも凛々しかった。僕の背が高いのは父さんに似たんだって思った。

         *

 年配の運転手と古い車内に似合わない軽快な邦ロックがラジオから流れてる。運転手が喫煙者なのか、昔の客のものが染みついたのか、禁煙の車内に煙草の匂いがする。
 「駅にあった緑と白の壁画は何ですか?」
 「ああ、なんだか偉い人がデザインしたものらしいです。すみません、名前も忘れました。」
 運転手さんは頑張って標準語を話そうとしてるけど、訛りは抑えきれない。「し」が「す」になってる。
 スーパーマーケットや病院らしき建物が見える比較的新しいエリアを通り過ぎ、今度は坂を上ると、交通量が多い道路に出た。標識を見ると国道4号線とのこと。それを南下すると、大きな塔が立っていて、「御所野縄文公園」とあった。神秘的な仮面らしきものも描かれてる。そこを山側に左折すると、間もなく広い駐車場が見えた。マイクロバスが一台、乗用車が3台停まってる。
 タクシーの運転手は駐車してるバスよりもさらに奥で車を停め、「着きましたよ。きききの吊り橋です」と言った。今度は「つりばし」が「つるばす」に聞こえた。
 料金を支払って、お礼を言い、タクシーを降りる。タクシーはすぐに去って行った。
 一戸駅より一段と強い緑の匂いに包まれる。まさしく山間(やまあい)だ。5メートルほど離れたところが、きききの吊り橋という屋根付き橋の入り口。すぐ中に入らずに10メートル程右側に歩き、橋の外観をしばらく眺めた。

        *

 去年、母さんは墓地を新しくした。引っ越し先の家を自分好みにリフォームするような気持ちだったんだろうか。古い墓石を黒光りした御影石にして、敷石の玉砂利も新しくした。
 そして魂入れをした時に菩提寺の住職から、「仏教の基本的な教え」としてこう言われたって、ベッドの上で話してくれた。
 「人間が生きて死ぬという決まりは苦であるとされることが多いが、生きて死ぬから苦なのではない。生きて死ぬ存在であるにもかかわらず、それを生きたくない、死にたくないと観るから苦が生じる。人間は生きなくてはならないし、死ななくてはならない。この点を忘れてはならない」
 概ねそんな内容だった。
 この話を聞いた母さんはどんな気持ちだったんだろう。幾らかでも「死」への怖れが和らいでいてくれれば、息子として嬉しい。
 「人間は生きなくてはならない」
 そうだろうか。
 入院して2か月ほど経った頃、母さんの意識が急に曖昧になって、すぐに個室に移った。痛むんだろう、唸ってることが増えた。僕は四六時中付き添った。
 その頃の母さんの顔はすっかり黄色くなってた。医者の説明だと「アンモニア脳症」っていうらしい。排尿ができなくなり、そのアンモニアが脳に回って、意識が混濁してくる。人間って上手く出来てるって思わないか。「死」への怖れすら曖昧になるんだ。ただ、同時に僕の存在も曖昧になった。
 モニターが大きなものに取り換えられ、酸素マスクを着けた。自動注入機がセットされ、痛みを緩和するためのモルヒネが点滴から落とされた。モルヒネだけは看護師が必ず二人で来て注入し、書類にサインらしきものをして行く。それだけ責任が重い治療の段階に入ったっていうことだよね。
 医者が「会わせたい人がいたら」ってドラマのような台詞を言った3日目の夕方だった。母さんの呼吸は明らかに荒れて激しくなり、苦しそうになった。ベッドの横には僕だけだった。計器類を見ると、脈拍は限りなく早く、血圧は低い。主治医が来て、自ら痰を吸引した。その時、一瞬だけ母さんの呼吸が和らいだ。そして、わずかに目を開け、手を握ってる僕に向かって言った。
 「拓ちゃん、可愛いねえ……」
 母さんが最期に見てたのは24歳の僕ではなく、幼い僕だった。

         *

 「きききの吊り橋」という名のタイムトンネルは木(もく)橋(きょう)だ。

 一見、吊り橋って言うより、「空中トンネル」と言った様相。長さはおよそ百メートル。僕が想像してたよりもずっと長い。しかも緩やかに右カーブしてるせいで、茂みに頭と尾の先を突っ込んだ龍の胴体にも見える類の無い形状だ。駐車場脇の深さ10メートルほどの窪地と、そこを流れる小さな川を渡り、縄文公園に行くための橋のようだ。
 入り口方向から見ると、入り口だけてっぺんがM型になってるけど、あとは正方形を45度傾けた菱形で、上になった2面が屋根になる。下になった橋桁に当たる2面は橋の構造が剥き出しになっていて、太い木材同士が形作るたくさんの三角形が規則正しく組まれてる。全体的に程よく傷み、色褪せてるせいで牧歌的な風景とうまく馴染んでる。
 吊り橋と言っても両端からワイヤーで吊ってる訳でなく、 窪地の中央に立てられた鉄柱からワイヤーで橋の中央部を吊ってる変わった構造だ。東京で超ハイテク構造の建造物に囲まれてる僕だけど、この木造りの橋の外観を見ながら、「人間って凄い」って感服した。
 すると、「とうとう着いた」と「凄い」が相まって、思いがけず体温より少しだけ温かいように感じるものが瞼に込み上げてきた。風が頭上の高いところで「ヒュン」と音をたててる。

        *

 君は覚えてるだろうか。高校2年の秋だった。あの頃の僕は甲子園のことしか考えていなかった。
 文芸部が文化祭に合わせて発行した文芸誌があった。そこには君の短歌が載ってた。
 ――恋しきは 芝生を揺らす風になり 白球を追う君の7番
 学校中で話題になった。周囲に訊かれた君は「7番」が僕のことだって、はっきりと公言してた。女の子にモテたことなんかなかった僕は急激に君の存在を意識し始めた。
 君はいつの間にか友達と一緒にエンゼルに来て勉強をするようになって、持ち前の明るさで母さんとも仲が良くなった。僕と話すより先に。
 告白されたのもエンゼルだった。次の年のバレンタインデーに君から宅配ピザが入っていそうな大きい箱をもらった。ピンクの包装紙に水色のリボンが付いてた。君は二重で小さめの目を細くして、くしゃくしゃの笑顔で「はい!」って言いながら僕にくれた。カウンターの前、お互いの友達と母さんの目の前で。「おー!」って友達らから歓声があがった。
 君が帰ってから箱を開けてみたら、これまたでっかいハート型のチョコレートが入ってた。上にはホワイトチョコで「甲子園!」って。照れ隠ししてた僕より母さんのほうが嬉しそうな顔をしてた。
 「板チョコを10枚以上使ってるよ」
 「へえ」
 「なにが『へえ』よ。これはブランドの高級チョコの何倍も高級だよ」
 「……」
 「こういう時の拓巳はいつもテンテンテンだね」
 「……」
 かあさんは呆れた顔をしたかと思ったら、続けて穏やかに言った。
 「よかったね」
 君がエンゼルに来なくなってから、母さんは何度か言ってたんだよ。「未華ちゃん、元気かな」って。
 あのバレンタインデーの朝日みたいに眩しい君の笑顔と夕焼けみたいに優しい母さんの笑顔が忘れられない。

 僕らの高校は私立のまあまあの進学校だった。君ほどじゃなかったけど、野球をやってる割に僕の成績も悪くなかった。特に世界史が好きで、都内の大学に行って、アメリカ史を学びたい気持ちもあった。アメリカに留学して、歴史を学びながら本場の野球も学ぶ。卒業後は高校の世界史の教師になって、野球部の指導をするのも悪くないって思ってたし、かなり現実的な将来像だとも思ってた。でも日本の大学野球を選んだ。野球を続けたかった。しかも高いレベルで真剣勝負がしたかったんだ。今思えば、この時が人生の分岐点だったかもしれない。
 甲子園にあと一歩で行けなかったけど、東東京大会ベスト四のチームの四番バッターだった僕に大学のスカウトが複数来てくれた。その中で東都大学リーグ一部の大学を選んで進んだ。学部は経済学部で商学科だった。
 君は京都の大学の文学部国文学科に進んだ。この頃までは君と年に数回会ってたし、電話やメールのやり取りも頻繁にしてた。
 たった一度だけ手を繋いで歩いたよね。大学1年の8月、僕は盆休みで練習が無くて、君は帰省中だった。すごく暑い日だった。
 吉祥寺駅側から井の頭公園に入って並んで歩いた。たしかジブリ美術館の横を抜けて野球場に向かう道で、僕のほうから手を繋いだんだ。カチコチに緊張していて、あの時はあれで精一杯だった。でも、君は僕の顔を見上げて嬉しそうに笑ってくれた。そして、手を繋いで立ったまま、バックネット裏で少年野球の試合をしばらく見てた。
 「結局、野球」
 君はまたくしゃくしゃの笑顔で言った。
 だけど、あのプレーを境に君との距離が遠退いた。正確に言えばあのプレーを境に僕が君から離れた。 

 秋の始めのとても暑い日だった。大学2年生になって最初の公式戦。甲子園には行けなかったけど、大学野球の聖地、神宮球場に僕は立ってた。ただ、初めてスターティングメンバーに入って多少舞い上がってた。
 3回の裏、相手の攻撃。ホームラン性の打球が僕の守るレフトに飛んで来た。最初の目測で「フェンスぎりぎり手前」と落下地点を予測し、一瞬ボールから視線を切って走り、ボールをもう一度目視した。ボールは思ったより延びてきた。左手のグラブを差し出し、右手でフェンスを探って捕球体制に入ろうとした。そこで僕の野球人生は終わった。
 フェンスに激突した僕は脳震盪を起こして意識を無くし、立ち上がれなかった。担架で球場の救護室に運ばれた辺りから意識は戻ったけど、右の手首の激痛に耐えられず、大きな声で唸り、すぐに救急搬送された。
 結局、右の手首を複雑骨折した。手首には後遺症が残り、可動域がかなり狭くなった。全力投球しようとすると痛みが走り、遠投距離は半分になった。つまり、野球はできなくなった。少なくとも僕がしたかった本格的な野球は。 エナメルバッグに付けてた「健康祈願」って縫われた緑色の御守りはご利益がなかった。いや、母さんの願いに僕が応えられなかったんだ。
 君のメールに僕は返信しなくなった。それでもメールをくれてた君に僕はさよならのメールを送った。今度は君から返信が来なかった。そんな終わりだった。

 僕は野球部を辞め、ちょっと体格がいい何の目的も無い大学生になった。そして商学科の流れで中堅の飲料品メーカーに就職した。大手メーカーが出してる売れ筋商品の二番煎じ的ジュース類が主力で、それを安価で製造販売するメーカーだった。僕の担当はいわゆる営業だった。でも自社製品への愛着なんか無かった。もちろん成績はビリ。正直どうでもよかった。
 営業課長から言われたよ。
 「会社のためじゃなければ、ましてや客のためでもない。自分のために、家族のためにみんなが当たり前に頑張っていることを頑張れないお前は会社員としてじゃなく、人として失格だ」
 その通り。入社した翌年、つまり去年の3月の給料をもらった直後に会社を辞めた。
 駄目な自分を確認することができた有意義で無駄な1年だった。
 僕はほとんど外出しなくなり、エンゼルを閉じた母さんの肝癌が進行していくことを見守るだけの人間になった。

         *

 ぎりぎりのところで北の空に逸れそうな一塊の雨雲の下を、いくつものちぎれ雲が追い越していく。
 拓巳は、枠が木製で他は透明なプラ板製の開き戸を押し、ようやく橋の中に入った。そして橋の奥から吹いてくる清々しい木の匂いを含んだ弱い風が、瞼に浮かんだ涙を乾かしてくれるのを待っていた。
 通路は板張りで、左右には手摺りを兼ねた透明なフェンスが延びている。
 拓巳が歩き出す。橋の内部を支える円形の大きな部材が約5メートル間隔であり、それがまさにトンネルをイメージさせる。そして、その部材をくぐるごと、拓巳に光と影が交互に訪れた。プラ板製の透明な屋根と板張りの屋根が交互しているのだ。さらに、カーブのせいで、行き先が見えず、側面の所々には土器が飾られている。
 ――なんて凝った演出をするんだろう。確かにタイムトンネルのよう。
 拓巳は思った。
 歩を進めて、橋の中間付近を過ぎると川のせせらぎが大きくなった。透けている橋桁越しに右斜め下を見る。揺れは感じず、怖さを感じるような高さではない。窪地には小さな区画の水田や、軽トラックぐらいなら入れそうな畦道も見える。水田にはまだ水が張られておらず、人影は無い。川は簡単に歩いて渡ることができそうな細い川で、「沢」と言ってもいいものだが、流れが急で蛇行しているせいか、意外なほどにせせらぎが響く。
 ふと、年配の夫婦らしき二人が前から来た。揃いの白いハットをかぶっていて、楽しそうに話しながら歩いて来る。すれ違いざまに二人とも軽く会釈をしてきた。拓巳も軽く会釈してすれ違い、間もなくきききの吊り橋を出た。            
                             
           *

 再び緑の匂いに包まれる。ふと野球場の外野の芝生の匂いを思い出す。
 橋を通り抜けた先にある、打ちっ放しのコンクリート造りの博物館を通り過ぎると、一気に視界が開かれ、一瞬で拓巳の目は癒された。思わず深呼吸をする。どこまで続いているのか分からないほど、広大な緑の芝生が広がる。点在しているのは竪穴式住居や高床式倉庫、掘立柱建物。さらに、栗や楢、胡桃などのこんもりとした林たち。すなわち縄文のムラだ。芝生には無数のタンポポが咲いている。
 ――ここにも春が残ってた。
 ゆっくりと回転し、360度を眺めながら、しばらく歩を進めた拓巳は、一番近くにあった、屋根に土が乗り、タンポポと草に覆われた大きな竪穴式住居に入った。太い枝と縄だけで出来た短いハシゴを恐る恐る降り、半地下の土間に立つ。真ん中に石で囲んだだけのシンプルなかまどがあり、室内には燃えかすの匂いが立ち込めていた。見上げると、天窓の隙間から青空が見える。
 竪穴式住居から出ると、50メートルほど離れた所に、輪になった中学生らしき一団がいた。よく見るとストーンサークルを囲んでいて、その中心でアースグリーンの作業着を着た女性が説明している。声は聞こえなかったが、その横顔で拓巳には分かった。
 一団は引率の男性教師に促されて女性に礼を言い、博物館や吊り橋の方向へ帰る。女性はそれを見送ると、拓巳と反対側の北西のなだらかな山の方向を眺めて、ホッと息を吐いた。
 未華だった。
 拓巳の謎解きは正解だった。
 「未華」
 10メートルほどまで近付いていた拓巳が声を掛けると、未華は大きくビクッとして振り向いた。
 拓巳は未華の少し大きめに見える作業着姿を見つめた。大学生時代と変わらない薄化粧だが、ふっくらとしていた顔が少しだけ痩せたように見える。長い髪を後ろで一つにまとめている。
 「来てくれたんだ」
 未華はすぐに笑顔になり、拓巳に歩み寄りながら言い、さらに続けた。
 「さすが拓ちゃん、あの暗号メール、よく分かったね」
 拓巳は久しぶりに未華の笑顔を見て、嬉しさと切なさが入り混じった気持ちになった。そして、それと同時に、未華の眼に自分がどう映っているのかを気にした。情けない姿に映っているに違いないと。
 「結構、手こずったよ。ネットの力を借りたのに。そっちこそ俺のアドレス……」
 「だって、変わってなかったでしょ、前と。あのメールは拓ちゃんにバレないようにフリーメールで送ったんだ。どっちみち拓ちゃんは私のアドレスも番号もとっくの昔に消しちゃったと思うけど」
 拓巳が返事をできずにいると未華が続けた。
 「それより、ごめんね。大変な時にあんな呑気なメールして。
 「いや」
 「あんな素敵なお母さんだったのに。私なんかにもいっぱい優しくしてくれた」
 未果は声は揺れていた。
 「ご焼香にお邪魔しようか迷ったのよ。だけどやめた。私のタイミングで今の拓ちゃんに会っちゃいけない気がして」
 未華が続ける。
 「拓ちゃん、付き添いからずっと心も体も疲れて大変だったでしょう」
 「ああ」
 「落ち着いた?」
 「ああ、全部落ち着かせてきた」
 今度は未華が返事をせず、代わりに、そもそもの疑問を拓巳が訊いた。
 「どうして知ってるんだ?」
 平静を取り戻してきた未華は、拓巳にさらに歩み寄って答えた。
 「ゴールデンウイークの前半に帰省してエンゼルに行ったの。メールは届いたはずなのに何の反応も無いな、、届いてないのかな、拓ちゃんどうしてるのかなって思って。それなりに意を決して行ったのよ。そしたらエンゼルが閉まってたから、隣の美容院に行って訊いたの。そこで教えてもらった。エンゼルが去年の暮れから休業していて、3月にお母さんが亡くなったって」
 拓巳は未華の行動が純粋に嬉しかったが、その気持ちを押しやり、冷静を装い訊いた。
 「時間、大丈夫なのか?」
 「うん、見学の説明はだいたい新米の私の仕事。あとは博物館で遺跡の報告書作り。まあ、締め切りはあるけど結構マイペースな仕事」
 未華は博物館を小さく指差して拓巳を促し、二人は二メートルほど離れて、ゆっくりゆっくり並んで歩いた。
 「どうして」
 拓巳は心から不思議だった。未華が考古学とは。
 「文学部で学芸員の資格が取れるって知ったから、どうせだったら取ろうと思ったの。それで考古学の講義があって、興味を持ったからその先生の発掘作業に付いていった。それで完全にハマった。この業界では有名な先生でね。四年生から史学科にコース変更してその先生のゼミに入った」
 「どんなとこにハマったんだ?」
 「単純に言えば『宝探し』。一獲千金とかじゃなく、私自身の宝物」
 「意味が分からない」
 未華は近付いていた竪穴式住居の入口で拓巳に手招きをした。拓巳は未華に続いてまた恐る恐る短い梯子を下り、さっきと違う竪穴式住居に入った。
 「私たちが掘るとこれが出てくるのよ。もちろん出てくるのは跡だけだし、これは私が掘ったんじゃないけど」
 「ごめん、やっぱりよく分からない」
 「記録から歴史の中心を知るんじゃなくて、自分の手で一庶民の小さな物語を発掘して、それを感じたいって思ったの」
 未華は拓巳に初めて見せる、凜とした顔で話すと、すぐさま表情を和らげ、続けて言った。
 「ごめん、かっこつけ過ぎだね」
 ふと拓巳は、暗くて狭い空間の中に未華と二人きりであることを意識し、半歩下がって距離を取った。
 「縄文時代は人間がとてもシンプルに食糧としての木の実や獲物をとって、自分が生き抜くこと、家族を守ることを考えてた時代。住居も倉庫も土器も石器も全部そのために考えて作った」
 未華は意識的に抑えているようだったが、言葉の奥底に熱さが感じられた。拓巳はそれに押される形でただ聞いた。そして、未華の満ち足りているように見える生活と自分を対比して下を向いた。
 「本能のままの理性を欠いた行動とか、醜い争いとかもあったかもしれない。でもね、それらを含めて、人間が人間らしく生きた時代。その時代を生きた人たちの息吹を感じてると、私まで人間の原点に戻れるような気がするの。そこには綺麗な風が吹いてるの。ここの何倍も。おかしいね、どっちもここの話なのに。それに、こんなことを話してる私も、博物館に戻ればパソコンとにらめっこ」
 一転して見せた未華の悪戯っぽい笑顔を久しぶりに見た拓巳は、嬉しかったが、笑顔は形にならなかった。
 「4000年前にここに人間が住んでた、それだけのこと。4000年後、私はここに生きてる、それだけのこと。結局、それを感じたいだけかも」
 未華はまたきっぱりと言った。拓巳はまた下を向きそうになったが、逆にそれを隠すように天窓から見える青空を見上げながら言った。
 「強い雨が降ったらどうしたんだ?」
 「雨が当たらない場所に居ればいい。家族みんなで体を寄せ合って」
 拓巳は何も返さず、「体を寄せ合って」の部分を無意識のうちに心で反芻していた。
 竪穴式住居から未華、拓巳の順に出た。
 「ここでこの仕事をしてるとね、人間は神様や宇宙に生かされてる存在なんだけど、ただ生かされてちゃダメなんだなって思うの。その中で右往左往しながら一生懸命生き抜かなきゃダメなんだって」
 未華が優しく、しかし力強く話す。そして、かすかに吹いている風を感じようとしているかのように、わずかに両腕を広げてくるりと回り、拓巳を向いて笑って言った。
 「当たり前か」
 マイペースな仕事と言ってはいたが、時間的にそろそろまずいだろうと思った拓巳は博物館の方向に歩いた。未華は何も言わずに並んで歩いた。川のせせらぎが聞こえ、きききの吊り橋が見えてきた。反対側から見ても圧倒的な存在感で尚且つ美しいと拓巳は思った。
 「お世辞じゃなく、本当に素敵な橋だ」
 博物館側の入り口で拓巳が言った。
 「でしょう。大学時代にこの遺跡の報告書を読んで、一度来てみたいって思ってたの。そしたら運よく正職員の募集があって、試験の時に初めてこの遺跡に来た時に思った。ダイヤモンドの指輪の付録にダイヤモンドのネックレスが付いてきたって。指輪もネックレスもあまり興味が無いけど」と言って、未華はまた悪戯っぽい笑顔を見せた。
 「『ききき』ってどういう意味?」
 拓巳は素朴な疑問を口にした。
 「木造の木や、奇妙の奇、喜びの喜なんかって言われてるけど、その人がその人なりに感じればいいって説明してる。別に解釈を固定しなくていいんじゃないかな。素敵で不思議な橋に素敵で不思議な名前。私はそれでいい」 
 そう言って未華はまた笑った。
 「この町の人はみんな優しいけど、私もね、結構孤独だし、大変だよ」
 少しだけトーンを落として未華が続けて言った。
 「うん」
 拓巳は自分の足下に向かって返事をした。
 「タクシーだよね」
 「ああ」
 「ちょっと待ってて」
 そう言うと、未華は博物館の玄関口から入って行くと、2分ほどで戻って来て、指でOKを示した。左手にはさっきまで持っていなかったベージュのポーチを持っている。
 吊り橋に拓巳が入ると未華も入って来た。
 「もうここでいいよ」
 「もうちょっとそこまで」
 未華の足取りがゆっくりになって、拓巳も合わせる。未華は途中に飾ってある土器についてももう何も語らなかった。二人が感傷的になっているのを木の匂いが癒す。
 橋の真ん中付近に来た時、未華が急に足を止めて言った。
 「来てくれてありがとう。ホンットーに嬉しかったよ」
 出口まで一緒に来て見送るのかと思っていた拓巳は不意を突かれて黙っていた。未華が続けて言う。
 「元気でね」
 「ああ」
 拓巳は目を合わせられず、未華の左肩の辺りを見ていた。
 「絶対元気でね。何より健康第一だよ」
 そう話すと未華はポーチのファスナーを開いて、中から緑色の御守りを出した。拓巳のリュックのポケットに入っている御守りと同じ物だった。表面にはやはり「健康祈願」と金色の糸で縫ってある。
 「健康第一はお母さんと私の約束なんだ」
 右の掌に御守りを乗せている未華の目から涙が溢れ、今度は明らかに声が震えていた。思いもよらないものを目にし、状況をはっきりと掴めていないのに拓巳の目も潤んできた。
 「お母さんがね、『拓巳はホワイトデーのお返しなんかしないだろうから』って言って、手作りのクッキーと一緒にくれたんだよ。しかも3年続けて。お母さんの予想通り、3回あったホワイトデーを拓ちゃんは見事にスルー」
 泣き笑いの未華の声はさらに震えている。
 「『未華ちゃん、何より健康第一だよ』ってくれたんだ」
 拓巳はかすむ目で未華の掌の上のものを見つめている。
 「私はね、これをもらってから病院のお世話になったことが無いんだよ」
 拓巳は黙って聞いている。
 「本当に素敵すぎるお母さんだった」
 未華はハンカチで涙を拭いながら気を取り直そうと努めた。拓巳はとうとう涙を袖で拭った。
 しばらく時が経った。すると、ようやく笑顔らしきものを作った未華が言った。
 「ここから私を見ながら後ろ向きに歩いて行って。手すりを頼りに。転ばないでね」
 川のせせらぎと交じりながら、未華の声が木造りのトンネルに優しく反響する。まだ何も話せないでいる拓巳はもう一度涙を拭い、未華の意図が分からないいまま言われた通りにした。
 「さよなら」
 気を取り直した未華はこの世で最も寂しい言葉を四年前と変わらないくしゃくしゃの笑顔で言った。御守りを持った右手を小さく振っている。後退りをしていた拓巳は未華が4年前に言えなかった「さよなら」を言うために自分をここに呼んだのではないかと反射的に感じながら言った。
 「さよなら」
 拓巳も笑顔を作ろうと思ったが、全く無理ですぐに諦めた。
 20メートルほど離れた辺りで拓巳に未華の意図がようやく分かった。吊り橋のカーブは少しずつ未華の姿を消し去ろうとする。突として焦燥感に駆られた拓巳は、まるでこれまでの二人の会話の比率を等分にしようとするかのように、あの神宮球場での試合以来の大声で言った。
 「ねえ!このタイムトンネルで、あのバレンタインデーに戻れるかな!」
 それはトンネルの中で大きく渦を巻きながら進み、未華に届いた。しかし、手を振ることを止めていた未華は穏やかな笑顔のまま、静かに首を横に振っただけだった。拓巳の言葉は未華を通り過ぎると、橋の奥の時空に吸い込まれていった。
 そして、後退りを続ける拓巳が出口に近付いた辺りで、未華の姿は左半身から消え始め、とうとうタイムトンネルの向こう側に幻のように消えてしまった。

        *

 タクシーの中で僕が考えてたのは、たった一つだった。
 昭和の町の駅に戻って来た僕は、改めてトリックアートを眺めた。相変わらず緑と白のサラリーマンたちは整然と行列を組み、駅に向かって歩いてる。
 やっぱり鄙びた駅前に現代的で色鮮やかなトリックアートは似合わない。でもね、不思議と嫌な感じがしない。ジャズピアノの不協和音を聴いたときみたいな、違和感と心地良さが僕の中に共存してる。さらに、よく見ると緑と白のサラリーマンがところどころ剥げてることに気付き、きりりと心が痛んだ。
 現代的なトリックアート、昭和の町、縄文のムラ、そしてタイムトンネル。時間の感覚が曖昧になってしまうような、実にチグハグな町。でも、どこか癖になりそうな町。
 時刻は午後3時35分。僕はあの遺跡に一時間もいなかったんだ。
 駅の待合室に入り、券売機の横の時刻表を見る。南へ向かう上り盛岡行きの電車は約10分後、北へ向かう下り八戸行きは約40分後の発車。自動販売機でホットの缶コーヒーを買い、カーゴパンツの右のポケットに入れる。腿がほんのり熱い。左のポケットにはタクシーの中でリュックから取り出した御守りが入っていて、そちらは温かい。
 ホームから眺めると、ちぎれ雲だけを残して灰色の雲は北の空へ去り、他の雲と混じった。
 南へ向かう、いわて銀河鉄道に乗り、先頭車両の運転席に一番近いベンチ席に座った。同じ車両に客は数人。僕が座ったベンチ席には他に誰もいない。
 長いトンネルを抜け、小鳥谷駅に着く前に僕は君にメールを送った。
 『右往左往してみます。』
 小鳥谷駅を発車した頃に返信は届いた。
 『きききの吊り橋でまた会いましょう。』
 汽笛が鳴って二つの短いトンネルに入り、その度にまた明暗が訪れた。
 僕は立ち上がり、左手で吊革に掴まりながら進行方向を睨んだ。また汽笛が鳴って三つ目のトンネルに入り、暗闇が訪れたけど、フロントガラス越しの小さな光はあっという間に大きくなり、車内は光に溢れた。
 間も無く列車は壁が白く、屋根が緑色の小さくて可愛い無人駅に停まった。そこは「小さな繋がり」と書く小繋(こつなぎ)という名前の駅だった。
 吊革に掴まったままの僕は、君から来た2通のメールと僕が送った一通のメールをもう一度読み直して、心の奥底っていうものがあるのだとしたら、そこにしまい込んだ上で削除し、スマートフォンから君の形跡を消した。                  (了)

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