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【連載小説:盛岡】十八のモラトリアムの三月に(1)

 1   モリオカ

 ケータイに起こされるのは心外だったけど仕方がない。いわゆる背に腹は代えられないっていう奴だ。自分にそう言い聞かせる。
 ホテルに備え付けのアラームが最初に鳴って、続けて10分おきにセットしたケータイのアラームが鳴り、その2回目で私は起きた。その後も3回鳴るようにセットしてあった。
 ぎりぎりでお母さんのモーニングコールに頼らずに済んだ。心配しているだろうお母さんには、ちゃんと起きたことをLINEで知らせた。
 人間は核兵器なんかじゃなくて便利という「科学」兵器に滅ぼされるんじゃないか…。エレベーターの中で数字が減って行くのを見ながら私は思った。いや、心配しなきゃならないのは、人間の未来じゃなく、こんなことを考えている自分の現在かも知れないと私はすぐに気付いた。
 即、さらに自分を客観的に見て、相変わらず変な女子高生だと思う。よく言えば文学少女。つまり単に本の読み過ぎ…。

 玄関を出ると、盛岡は寒くはなく、痛いほどに冷たかった。快晴だ。空の青が濃い。これこそ「放射冷却現象」なんだと初めて体感した。東京の「放射冷却現象」なんか生ぬるい。
 夕べ泊まった盛岡駅前のビジネスホテルを7時にチェックアウトして、コンビニでサンドイッチと水、甘い缶コーヒーを買い、滑る足下に気を付けながら地下道をくぐってタクシー乗り場に向かった。
 大げさかと思いながら買ったムートンブーツも、この街では全く違和感が無く、靴の裏の滑り止めが凄く役立つ。
 ――こんなところで滑っていられない。
 タクシー乗り場は私と同じ受験生らしき人たちで混んでいた。
 「岩手大学までお願いします」
 「はい」
 お父さんよりもずっと上、還暦は過ぎていそうな運転手さんが、慎重に発進させる。
「お客さん、受験生ですか?」
 「はい」
 「それなりゃ、やっぱりここは真っ直ぐだ」
 「はあ?」
 「この正面の橋ね、『開運橋』っていうんですよ。『開く運の開運』」
 「ああ、そうなんですか。それなら通ってもらわないと。でも…」
 「大丈夫、ほとんど遠回りにはなりません。それにまだメーターは止めていますし」
 「ありがとうございます」
 信号が青に変わり、タクシーが動き出した。
 開運橋は鉄骨がアーチ型になった橋で別に情緒や風情がある橋ではなかったけど、左の窓から見える景色は素晴らしく、岩手山と北上川と青空が1枚の絵のように私の目に映った。

 「ふるさとの 
  山に向ひて言ふことなし 
  ふるさとの山はありがたきかな」

 昨日の夕方、観光マップを頼りに盛岡駅前広場の歌碑を見たばかりの歌が頭に浮かぶ。
 石川啄木。
 私が岩手大学を志望した理由だ。彼の歌はだいたいをそらで言える。だから、ここは私にとって受験会場の地でもあり、憧れの人の生まれ故郷なのだ。だけど、さすがに運転手さんから啄木のことを聞く余裕など無く、10分程でタクシーは岩手大学に着いた。
 緑のフェンスに囲まれた初めて見る広いキャンパスには、雪がたくさん残る中、新旧様々なデザインの建物が点在していて、私は漠然とした大らかさを感じた。
 「モリオカ」。この地名の響きも好きだ。「ヨコハマ」や「カマクラ」、「キョウト」なんかより素敵だと思う。
 案内通りに進むと簡単に試験会場の教室は見つかった。席に着いて出掛けに買ったサンドイッチと缶コーヒーを取り出す。まだ試験開始まで1時間近くある。
 今日は一般試験の前期日程。
 正直私には余裕がある。センター試験は思ったより高得点だった。今日の一般試験で余程の失敗をしない限り合格はできる。いや、合格しなければならない。
 この大学を志望した、盛岡に来たかった理由が啄木以外にもう1つあるからだ。

「夕闇の長い廊下の奥の灯(ひ)を睨めど見えぬ卒業の先」

 啄木の短歌同様にこの歌は私の心を打った。去年の全国高等学校短歌コンクールで最優秀賞を取った作品だ。作者は私と同い年。そして盛岡の高校の男子生徒。
 Googleに作者の名前を入力して検索したら数件ヒットし、地元紙のホームページで彼の写真を見た。啄木かと思った。坊主頭が少し伸びた髪型を含め、童顔で啄木そっくりだと思った。私は、本気で「啄木の生まれ変わり」だと信じた。そして憧れた。
 彼は受賞インタビューで、作品について、
 「夜の高校の廊下で、100メートル向こうの外灯を見て、自分の未来に漠然とした不安を感じ、それをそのまま歌っただけ」
 と答え、今後について、
 「自分は盛岡から離れられないから、市内の大学に進みたい。短歌は続けるかどうか分からない」
 と語っていた。
 盛岡市内に大学は2つしかない。岩手大学と看護系大学だ。私は考えた。彼は短歌を書くぐらいだからおそらく文系。人文社会学部と教育学部がある岩手大学に進むと考えるのが妥当だ。
 そう、私は彼に会いたくてこの大学を受験したのだ。バカみたいなこの志望動機を私は誰にも話していない。
 私の推理が当たっていて、彼が岩手大学に入学するかどうか分からない。盛岡近郊の市にも3つ大学があり、そっちの大学の可能性だってある。さらに、彼がどんな人間かも全く分からない。自分でも呆れるぐらいバカな志望動機。
 親には「啄木の故郷で暮らしてみたい」と言った。お父さんは「4年間ぐらい地方を見るのもいいだろう」と言い、お母さんも「一人暮らしはいい経験になるね」と言ってくれた。ただ、お父さんは「卒業したら東京に必ず戻ってくること」と釘を刺した。
 親から、いや、神様から与えられた四年間のモラトリアム。その間に私は彼に本当に会えるのだろうか。
 参考書を見ている人たちがほとんどの中、私はサンドイッチを食べ終わり、缶コーヒーの最後の一口を飲み干した。窓からは真っ白な岩手山が見える。啄木の「ふるさとの山」だ。私にとって試験中の強い味方ができた。間もなく数学の試験が始まった。

 試験は余裕だった。基本的に出来る問題を解くだけで終わり。知らない問題を考えることはしない。後はスルー。それで充分だという勝利への計算。英語も同じ。
 自分で言うのも何だが、私の偏差値ならもうワンランク上の国立大学だって狙える。立教の文学部も3日前に合格した。だけど、私にとって魅力がある大学はただ一つだった。
 試験中に何度岩手山を見たことだろう。そして何度彼の名前を心の中で呟いただろう。
 「藤代(ふじしろ)灯(とう)野(や)」
 筆名のような名前だと思った。きっと親も文才のある人なのだろう。私の彼に関する想像力は果てしない。
 東京へは明日帰る。今日は「啄木新婚の家」や「盛岡城跡公園」を見学して、夕べと別の中心街のホテルに泊まる。
 会場の建物から出るとまだ昼で明るかったけど、知らない町にたった一人でいる自分を初めて意識した。不安のような気持ちが走る。

 「さいはての駅に下り立ち
    雪あかり
    さびしき町に あゆみ入りにき」

 本来であれば昨日頭に浮かぶべき歌が、試験が終わったせいか今になって浮かんできた。結局私は緊張していたのだと思った。当然と言えば当然。
 校門を出てバス停に立つと、制服を着た女の子が声を掛けてきた。
 「隣の席でしたよね」
 確かに試験中に右隣に座っていた子だ。
 「そうですね」
 「どちらからですか?」
 言葉遣いだけでなく丁寧な物腰だった。
 「東京です」
 「やっぱり。岩手じゃないなって思って」
 「どうして?」
 「だって私服だし」
 言われてみれば、試験会場では私服と制服が混在していた。
 「現役ですか?」
 「そう」
 「そっかあ、やっぱり東京の子は大人っぽいな。綺麗な髪。縮毛矯正?」
 あっという間に言葉が打ち解けてきた。彼女は黒いピーコートにグレー地のチェックのマフラー。下は紺の制服のスカートに黒いストッキング姿。足下はローファーだ。
 「ううん。何もしてない。あなたの髪だって綺麗」
 彼女の髪は私より短いセミロング。
 「全然。毎日アイロンしてこの程度。ところで、どうして東京の人がここを受けたの?」
 一瞬躊躇したけど、これで二度と会うことがない人かも知れないと思うと気が楽になった。
 「石川啄木が好きで」
 「啄木に憧れて?こんな田舎に?」
 彼女は未知の生物を見るような目で私を見つめた。
 「それだけじゃないけど」
 「何?」
 凄い好奇心だ。
 「会いたい人がいるの」
 「え?意味が解らない」
 「会いたい人を探しに来たの」
 「誰?お父さんとか?」
 「違う、違う」 
 「男の人?」
 「一応」
 「へえ…」
 これ以上のことを話す筋合いではないと思った。彼女もそれを察したようだ。
 「そっかあ。でもなんか素敵だね。会いたい人を探して北の街か」
 「そんなロマンティックなんじゃないよ」
 と言いながら、自分は随分とロマンティックなことをしているんだと意識した。
 「これから帰るの?」
 彼女に聞かれて、自分の今後のスケジュールをあらためて思い出した。
 「啄木新婚の家に行って、それから盛岡城跡公園」
 「それならバスで行く距離じゃないよ。私、暇だし家が近いから新婚の家まで案内してあげる」
 「え、いいの?」
 「うん。親には試験の出来映えを報告したし。私も久しぶりに行ってみたくなった。小学校の社会見学以来」
 「ありがとう。ところでこんな凍った道、ローファーで大丈夫なの?」
 「大丈夫。裏にね」
 と言って彼女は後ろ向きになって私に靴の裏を見せた。そこには滑り止めが付いていた。
 「ローファー北国仕様」
 「でも寒くないの?」
 「それは我慢。お洒落のためなら我慢は常識。東京だってそうでしょ」
 「まあね」
 素直に話しやすい子だと思った。たわいもない会話が続く。彼女は「滑らない歩き方」と言って、歩幅を狭くする他に逆にスケートみたく滑ろうとする方法があることなんかを教えてくれた。滑ろうとするといざ滑った時に慌てないとか…。いずれ面白い。
 あっという間に歩は進み、15分程で啄木新婚の家に着いた。

 盛岡の中心地らしき場所の路地の角に、地方都市とはいえ近代的な建物の中、ぽつんと時代錯誤な明治の建物が建っていた。
 「これが20歳の啄木がわずか3週間とはいえ、新婚の節子と暮らし、随筆『閑天地』や『我が四畳半』で描かれている家か」と思うだけで私の胸は震えた。
 玄関から中に入る。床が軋む。コートを脱ぐような暖かさじゃない。火が着いてはいないが小さな囲炉裏に大きな火鉢、そして啄木がペンを走らせただろう机。啄木の書や写真なども展示されている。私は写真なんか撮らずに全身で啄木を感じることに集中した。写真など撮らなくても大学に合格すれば、何度でも来られる。
 「懐かしい」
 彼女は明治ではなく、わずか七、8年前に思いを馳せているようだった。2人で屋外に出ると彼女が言った。
 「席が隣っていうことは人間科学だよね」
 「うん。第1志望」
 私は人文社会学部人間科学課程を受験した。
 「私も第1志望。私立は仙台と東京を一つずつ受けたけど」
 「私は私立は一つだけ」
 「岩大(がんだい)に凄く合格したくなってきた」
 「岩手大学って『がんだい』って略すんだ。なんか凄いね」
 「言われてみればそうだね」
 「私も一段と合格したくなってきた」
 「LINE交換してもらえる?」
 「もちろん」
 啄木新婚の家でLINE交換をするとは思わなかったけど、私は彼女を好きになっていた。
 「私は加藤輝ノ実(きのみ)。『き』は輝くで、『の』はカタカナ。『み』は果実の実」
 きのみ。明るい彼女にぴったりの名前だと思った。
 「私は岩崎美園(みその)。美しいに公園の園で『みその』」
 2人は片側2車線の大きな通りに出た。
 「盛岡城跡公園っていうか、私たちは岩手公園って呼んでるけど、ここを真っ直ぐ行って右。標識があるからすぐに分かるよ」
 「本当にありがとう」
 「合格発表は来るの?」
 「ううん。ネットで見る」
 「そっか。それじゃあ、自信がないけど入学式で会えるといいね」
 「そうだね」
 「LINEする」
 「私も」
 「じゃあね、バイバイ」
 「ありがとう。またね」
 また会えることを祈りながら私は言い、輝ノ実ちゃんは何度も振り返ってこちらに手を振りながら、私と反対の岩手山の方向に歩いて行った。

 盛岡城跡公園は輝ノ実ちゃんの言う通り、すぐに分かった。昼食を食べるのを忘れていたけど、特にお腹が空いていなかった。

「不来方のお城の草に寝ころびて
 空に吸われし
 十五の心」

 啄木が盛岡中学校の授業をサボって、ここに来て、寝転んでいたんだと想いに耽っていると、ケータイが震えた。輝ノ実ちゃんからだった。
 「無事に岩手公園に着けましたか???」
 「おかげさまで」
 と返すと、すぐに返信が届いた。
 「ところで会いたくて探してる男の人って誰???美園ちゃんの彼???気になって気になって???」
 輝ノ実ちゃんの好奇心は私の彼に関する想像力よりありそうだ。
 「会ったこともない人。藤代灯野っていう人」
 LINEだからか、あっさりと名前まで出してしまった。でも特に問題はないだろう、と想っていたらビックリする内容の返信が来た。
 「え~~~!!!灯野なら知ってるよ!中学校まで一緒だったよ!」
 ――えっ。
 私は驚き、そして喜ぶかと思いきや、不思議にフラストレーションに似た感情を覚えた。
 「IT革命」。「高度情報化社会」。政治・経済の教科書に太いゴシック体で書かれていた言葉。これだから嫌だ。

 「その頃は気もつかざりし
  仮名ちがひの多きことかな
  昔の恋文」

 啄木の時代はロマンティックだっただろう。それに比べて、全く縁のない探し人の所在が携帯電話であっという間に分かってしまう。もしかしたら今日か明日にでも会えてしまうかも知れない。それではいけない。探しに探して、やっと出会える。劇的に。ロマンティックに。私の想像上のシナリオはそうなのだ。
 私はGoogleで彼のことを調べたことは棚に上げて、そんなことを思った。だけども、結局彼のことを知りたい気持ちが勝り、LINEを送った。
 「盛岡西高校だよね」
 即、返信が来た。
 「そう!友達も行ってるから、進路とか調べてあげよっか???」
 まずい。完全に劇的な出会い路線から外れてきている。今更ながら輝ノ実ちゃんに「藤代灯野」の名前を伝えたことを悔いた。でも、こうなったら調べてもらおう。もしや、彼が東京の大学にでも行っていたら私が岩手大学に入る動機は9割減だ。立教に進まなければ。
 「お願いできるかな。私の存在は隠して」
 「OK!!!私の盛岡じゅう網羅した情報網を使って。しばらくお時間をちょうだいな」
 私が若干及び腰なのと反対に、輝ノ実ちゃんは完全にノリノリみたいだ。

 ホテルは盛岡の繁華街にあった。宿泊も新幹線の切符もお父さんが手配してくれた。お父さんはアパレル中心の商社に勤めていて出張だらけ。盛岡にも詳しかった。夕べのビジネスホテルとは違って結構いいホテルで、ホテル内での夕食は高くて食べられそうになかった。
 東京の友達からLINEが何通か来ていた。私はあまりすぐに返信するほうではない。友達もそれに慣れている。ベッドに寝そべりながら、それぞれ返信する。
 お母さんに電話で試験の報告をした。「いいな、盛岡。有給休暇取ってやっぱり私も行くんだった」とお母さんは本気で悔やんでいた。お母さんは、お父さんの会社の子会社で服飾店舗のデザインの仕事をしている。
 コンビニでお弁当でも買ってこようかと思って外に出た。朝よりは全然寒くない。ふと「盛岡冷麺」の文字が目に入る。そういえば盛岡と言えば「わんこそば」、「じゃじゃ麺」、「冷麺」の3大麺が有名らしい。思わず店に飛び込んだ。
 初めて食べる「盛岡冷麺」は驚くほどに美味しかった。東京の焼き肉店の冷麺とは違って、麺は太く、スープの旨みが深くてとろみがあった。器も金属ではなくて、ラーメンのような陶器だった。
 まだ6時過ぎだったから繁華街を散歩した。居酒屋のネオンはきらびやかだけど、新宿や渋谷と違って安心して歩ける。標識に大通2丁目と書かれたアーケードが付いた歩道を歩いていると、私は憧れの人に出会った。十字路の角に啄木の小さな銅像があった。少年時代の啄木のようだった。

 「新しき明日の来るを
  信ずといふ
  自分の言葉に嘘はなけれど」

 私の中では印象に薄い歌だったけど、わくわくと不安が同居している今の自分にぴったりの歌のような気がして、心の中で何度も繰り返しながら、夕闇の盛岡の散歩を続け、ホテルへ向かった。

 ホテルへ帰って、シャワーを浴び、テレビを見ていると着信音が鳴った。輝ノ実ちゃんからだ。輝ノ実ちゃんのLINEだけは即、反応してしまう。
 「ジャジャーン!!!間接的に本人と接触成功!!!なんと!岩手大学人文社会学部に推薦で合格済みだって!!!これはやっぱり運命だ~~~!!!」
 輝ノ実ちゃんじゃなかったら、絵文字のエクスクラメーションマークの乱用は注意するところだ。
 運命。いや、私の推理が的中したんだ。違う、やはり運命か。推理が的中したのにこんなに驚くだろうか。心臓がバクバクしている。
 彼と同じ大学で、学部で学べる。もちろん私の合格が条件だが、それは大丈夫…のはずが、名前をきちんと書いたか、分からない問題もスルーしないで考えればよかった、なんて不安が頭を過ぎる。
 「ありがとう」
 輝ノ実ちゃんのLINEとあまりにテンションが違いすぎたが、精一杯の返信だった。
 「それ以上のことも調べようか???もしかしたら明日会えるかもよ???」
 輝ノ実ちゃんには「わびさび」や「行間を読む」という短歌の心はあまりないようだ。いや、それが当たり前で私が変わっているんだ。まだ見ぬ憧れの人に明日にでも会えるかも知れないのに、そんなに簡単に会ってはいけないとブレーキがかかる。そんなに簡単に会えてしまっては、ロマンティシズムに欠けるじゃないか。それにもし彼が彼女とツーショットで現れたらどうする。写真と違って全然私の好みじゃなかったら。
 いずれ、明日彼に会うということは、私の台本になかったし、何より心の準備ができていない。しばらく、いろんな出会いの場面を想像し、考えて私は返信した。
 「もう充分。入学してからのお楽しみ。輝ノ実ちゃん。本当にありがとう。すんごく、すんごく合格したくなってきた。試験終わってから言っても仕方ないけど。輝ノ実ちゃんも合格したら絶対に岩手大学に入学してね!」
 私にしては精一杯テンション高めのメールだった。
 「了解!!!入ってやるガンダム」
 「ガンダイだった こんな私よろしくね」
 ガンダムとガンダイ…。岩手ではよく使うシャレなのだろうか。そうじゃなくて、輝ノ実ちゃんが咄嗟に考えたのだとすれば凄い。いろんな意味で。完全にオヤジギャグだ。
 たった一日で末恐ろしい友達ができたもんだと感心しつつ、
 「こちらこそ。おやすみなさい」
 と送った。
 受験を終えての盛岡の夜は長かった。なかなか眠れず、何度もベッドから起き上がっては、盛岡の街の明かりを見た。そして必ず春にここに戻ってくると誓った。

 2  七井橋

 東京に帰った私を待っていたのは卒業式だった。
 新しい出会いばかりに気持ちを奪われていた数か月間。友達との別れを考える余裕が無かったけど、そういう心の準備ができていなかった分だけ、卒業式は感動的だった。
 「古い」とか「違う歌を歌いたい」と友達からは評判が悪かったけど私は大好きだった「蛍の光」。結局みんな涙と鼻水でぼろぼろの顔で歌った。もちろん私も。やっぱりJ‐POPなんか歌わなくて良かった。
 最後のホームルームで、好きでも嫌いでもなかったおじさんの担任先生が、大きな字で「自利利他」と黒板に書いて言った。
 「常に自分を高めなさい。他人に優しくしなさい。そして何より健康で。先生の願いはそれだけです」
 感動してまた私は泣いた。どうしてこんなにいい話をこれまでしてくれなかったんだろう、早く話してくれればもっと先生を好きになれたのに、などと偏屈なことを思いながら。
 男子からたくさんプレゼントやらカードやらをもらった。告白らしき言葉もあった。カードにもそれらしい言葉が。その中には女子から人気がある男子もいた。
 なんだ、私は結構もててたんじゃないか。何を今更、と思いつつも、彼らのストレートではない日本人らしさに好感を持った。
 「卒業式で告白する」。
 アメリカ人なら打算的に入学式でナンパするところだろう。でも日本人は違う。一緒にいる時は心に秘め、別れの場面で告白する。日本人の美しい心だ。そう、啄木の世界。

 「頬につたふ 
  なみだのごはず
  一握の砂を示しし人を忘れず」

 私は、今更ながら、よい同級生たちに恵まれていたことを実感し、彼ら彼女らがいない、北の街にたった独りきりで行くことに初めて淋しさを感じた。
 ワイワイと騒ぎながら友達と一緒に校門に向かって歩く途中、私は思いがけず涙ぐんでしまい、それをごまかそうと校庭の真ん中で一人足を止めて後ろを振り向いた。

「気が付けば滲む白亜の学舎よさよなら充実さよなら退屈」

 啄木はもちろん、まだ見ぬ藤代灯野君の足元にも及ばないけど、私なりには合格点の歌が詠めた。でもやっぱりイマイチ。字余り…。
 「卒業証書授与式」と書かれた大きな立て看板の前で、友達や文芸部の後輩と一緒に写真を取り合っていると、光太郎が声を掛けてきた。光太郎は、幼稚園からの幼なじみ。中学校に入ってからは、暇人だった私と違って野球部の部活が忙しく、クラスも一緒にならなかったから、ほとんど接触がなかった。せいぜい、野球の大会を光太郎ファンの友達と応援に行くぐらいだった。
 「俺ともLINE交換してくれない?」
 光太郎は野球部の元キャプテンで、女子に人気がある。180センチ以上ある身長に紺の学ランがよく似合う。坊主頭の髪が伸びて、今風の無造作ヘアになった彼は、幼なじみの私から見ても一段と格好良くなっていた。だからか、二人の間に誰も入り込めない感じになっていた。
 「いいけど。光太郎、どこ行くの?」
 「岩手」
 「えっ」
 「美園も岩手だろ」
 「岩手大学?」
 「お前、嫌みか。俺が国立なんか入れるわけないだろ」
 「それじゃどこよ」
 「奥州福祉大」
 奥州福祉大学は盛岡市近隣の町にあって、プロ選手もたくさん輩出している大学野球の強豪校だ。
 「あ、そっか。野球で」
 「ああ、一応特待生で行くことになった」
 「確かに強いもんね、あの大学」
 「でも他からも誘いがあったんだけどな。六大学も」
 「それじゃあなんで、わざわざ岩手?」
 「お前はなんでなんだよ」
 さすがキャッチャーだ。即、質問を投げ返された。関係ないか…。いずれ私は戸惑った。
 「それは…啄木」
 「みたいな男を探しに行くんだろ」
 「なんで知ってんの!」
 「調べなくても聞こえてきたよ。お前の時代錯誤のロマンティシズム」
 「げっ。マジ?そんなに有名?」
 「お前、結構人気あるからな」
 「うそ」
 「『啄木の面影探して北の街』って演歌かお前」
 光太郎のくせに、と言ったら失礼だけど、なかなか上手い川柳だなと本能的に感心してしまった。いや、「北」が入っているから俳句か?「北」は季語じゃないか…。何の話だっけ?「人気がある」とか言われたから頭がこんがらがってきた。
 「余計なお世話。光太郎はどうして岩手なの?条件?いい監督でもいるの?」
 「お前と同じだよ」
 「同じ?」
 「好きな人を追って行くんだよ」
 「ぷっ。光太郎が?冗談でしょ?」
 「冗談じゃねえよ」
 「誰?」
 「美園」
 「ははは…」
 私は完全にフリーズしてしまった。

 光太郎の顔を見ずにLINE交換をして、私は友達の輪に戻った。
 友達も進路が決まっている子ばかりだ。まだ見ぬ藤代灯野君も光太郎も。ふと私は独りだけ宙ぶらりんなのを意識して不安になった。立教は受かっているし、岩手大学だってきっと。そう思おうとしても、地面に着いている足元が覚束ない感じ。その感覚は一週間後の三月八日、合格発表の日まで続いた。
 その間の私は短歌や俳句、詩をたくさん書いた。でも書けば書くほど自分の才能の無さを感じる。

「十八のモラトリアムの三月に確かなものは皆無と思う」

 宙ぶらりんな今の私を歌ってみた。せいぜいこんなレベル…。
 中学も高校も文芸部。小学校の頃から本が好きで、図書室から本を借りた数の多さでいつも表彰されていた。中学生になって自分で書き物をするようになった。でも小説ではなく物語レベル。高校に入って啄木を知り、短歌の素晴らしさを知った。長い小説は書けなくても、青春の一瞬をとらえた短歌や俳句、詩なら書けると思ったし、書けた。
 コンクールでも一番じゃないけど賞を何個かもらった。灯野君が最優秀賞をとった全国高等学校短歌コンクールでも佳作に入った。まあまあの自信があった。だけど、あの灯野君の歌にやられた。才能がある人とない人がいるんだっていうことに気付かされた。
 灯野君はあの歌以外にどんな歌を書いたんだろう。きっと素晴らしいに違いない。あの歌のように、私たち世代独特のナイーブさと危険な鋭さを合わせ持った作品が多いのだろうか。
 早く彼に会いたい。

 そして3月8日はやって来た。
 合格発表っていう言葉は残酷だ。確かに合格者だけが発表されるから「合格発表」で正しいのだろうが、暗に不合格者も発表される。「合格者受験番号発表」のほうが適切ではないか、いや、結局同じか、などとまた偏屈なことを考えながら、私はパソコンの前で発表の午後三時を待った。この日本語の表現に関するこだわりは私の病気らしい。
 お父さんもお母さんも仕事でいない。妹の美国(みくに)は中学校に行っている。
 うちは、武蔵境の一軒家。亡くなったおじいちゃんとおばあちゃんが結婚した時に建てた家を長男のお父さんが建て替えた4LDK。
 私は、自分の部屋でなく、リビングのパソコンで吉報を待った。
 受験番号A1023。私は2月3日生まれだから、2と3が好き。だからこの受験番号も気に入っている。
 あと5分が長く感じる。今の気持ちを短歌にしようかとちょっと思ったけど、さすがに無理だった。
 発表時刻になった。アクセスが混み合っていてなかなか繋がらない。三分経ってようやく繋がった。A1023は…。
 あった。
 涙が出てきた。岩手大学以上にレベルが高い立教に受かった時はちょっと嬉しかっただけなのに。これは本格的に泣くことになりそうだ、と覚悟した時、着信音がなった。輝ノ実ちゃんからだ。
 「やったねー!!!私もやったよー!!!今、掲示板の前!!!!!」
 よかった。でも、なんで私の合格まで分かるんだ?確かに輝ノ実ちゃんは私の隣の席だったけど、受験番号が縦並びの席だったはず。
 「ありがとう。よかったね。でもなんで私の受験番号分かったの?」
 即、返信が来て、私は輝ノ実ちゃんのある意味恐ろしさを知った。
 「1列に12人座る教室で、受験番号は縦の順番だったから!!!」
 凄い!1列12人だったなんて、私は全然覚えてない。なんだ、輝ノ実ちゃんのほうが余裕があったんじゃないか。なんて思いながら、エクスクラメーションマークがやたらいっぱい左右に動いて目がおかしくなりそうな、LINEをひとしきりぼーっと見ていた。
 すぐにお父さんとお母さんからもお祝いメールが来た。会社のパソコンで見たのだろう。それ以外の友だちからも「どうだった?」とかのメールがたくさん来て、私は泣くのを忘れて、返信に追われた。これだから高度情報化社会は嫌だ。感激して泣く時間すらない。情緒が…などとまた偏屈なことを考えながら。
 とりあえずサクラハサイタ。

 光太郎からメールで呼び出されたのは、3月の下旬、ちょうど東京の桜が満開の頃だった。
 別に行かなきゃない義理は無かったけど、卒業式で話して以来、正直、光太郎とゆっくり話をしてみたいと思っていた。彼が野球に打ち込むようになった小学校の5年から、学校でしか話すことはなくなり、中学校からはほとんど接触が無くなった。
 待ち合わせ場所の井の頭公園は、2人の家から近く、小学校3、4年の頃、自転車で来ては、他の友達も一緒によく遊んだ場所だった。
 公園は平日なのに花見客で溢れていた。
 池面にせりだす桜。公園内でもナンバー一の絶景ポイントの七井橋で、光太郎は待っていた。池の周囲ならどこでも桜が見られるけど、特に七井橋から見る水に映える桜は息を飲むような美しさだった。
 光太郎はヴィンテージ風ジーンズに青に赤いラインが入ったスニーカー、白のタンクトップの上に丈が短い白いシャツというシンプルな格好だった。私も白いレース入りチュニックブラウスに細めのジーンズ、赤いサンダルだったから、まるで揃えたみたいになってしまった。
 「わりいな、忙しかったろ。都落ちの準備で」
 「『都落ち』って、バカじゃないの。今どき。ていうか光太郎だって都落ちじゃん」
 「いつ行くんだ?盛岡」
 「4月最初の土曜日。アパートが空かないんだって」
 「俺は明日から。いいよな、アパートか。こちとら合宿所生活だよ、とうとう。しかも明後日から早速練習…」
 「自分で選んだ道じゃん」
 「まあそうだけどな。でも、お前にも責任があるから一つだけ約束してくれ」
 「なんで私に責任があるのよ」
 「お前が盛岡に行かなきゃ、俺は法政か、明治に行ってた」
 私は内心恥ずかしがっていたけど、絶対に顔には出すまいと思いながら言った。
 「何それ。勝手な言い分」
 「とにかく俺の都落ちはお前にも責任がある。だから約束してくれ」
 「一応聞いてあげる」
 「1年に3回でいいから、俺とデートしてくれ」
 「はあ?」
 「だから、俺は野球漬けの生活になるから、何か目標になる楽しみが欲しい。それが、オフの日のお前とのデート」
 「目標って、優勝とか、プロ選手になるとかじゃないの」
 「お前、バカだな。給料日だけを楽しみにして生きているサラリーマンがいるか?風呂上がりのビールや、たまの温泉なんかを楽しみにして生きてるんだろ」
 「ていうことは、私はビールや温泉ってわけね」
 「お前、そんな面倒くさい性格だっけ?」
 別に勿体ぶらずに約束してしまおうかと思った。でも、私は藤代灯野君に会いに行くのだ。約束しても、果たせないかも。いや、私は灯野君に会って、どうしようとしているのだろう。私から告白して付き合おうとしているのか。友達になって彼の感性から影響を受けたいだけなのか。第一、藤代灯野とはどんな人間なんだ?もしかしたら会って幻滅するかも知れない。私の頭は、一瞬の間にグルグル回り、結局、曖昧な答えを出した。
 「それの答えは、5月まで待って」
 「お前、結構打算的だな。魂胆が見え見えだぞ」
 光太郎は、私が灯野君に会って、その後のことを決めてから光太郎との付き合い方を決める。つまり光太郎をキープしておくっていうことを完全に読んでいた。私は自分が恥ずかしくなった。
 「ごめん。分かった。3回ね」
 「よし。それからもう1つ叶えてもらいたい頼みがあるんだけど」
 「何?」
 「ボート」
 「ボート?」
 「ここのボートにこれから一緒に乗ってくれ」
 「いいよ、もちろん」
 「やった」
 光太郎は小さくガッツポーズした。可愛い…。
 「小学校の頃からの夢だったんだ。ほら、小学生同士じゃダメだったろ、ボート。美園ちゃんと2人で乗りたかったんだ」
 「美園ちゃんって…。でも、凄い列んでるよ」
 「大丈夫、野球部の後輩をさっきからサクラで列ばせてるから、花見だけに」
 「何、その冗談…。それに酷いね、野球部って。ヤクザみたい」
 「いいから行こう」
 2人がボート乗り場に行くと、前から3番目あたりに列んでいた坊主頭にキャップをかぶった2人の男子が「オス!どうぞ」と言って、私たちに列をゆずった。
 すぐにボートに乗ることができ、2人は向かい合わせになって座り、光太郎が勢いよくオールを漕いだ。初めて下から見上げる井の頭公園の満開の桜。池の水によく映える桜、水面に浮かぶ花びらは何ともいえない春の情緒を醸し出していた。そして私は、いかにも体育会系っぽく、野球や仲間の話が中心で、時々ちょっとだけ下品な冗談で私を笑わす光太郎の真っ直ぐさにあらためて好感を持ったし、わずかに風に揺れる短い髪や楽々とオールを漕ぐシャツに隠された逞しい胸板や腕、そして啄木やそれに似た灯野君のような童顔とは正反対と言える男らしい顔を本気で格好いいと思っていた。

 ふとボートが止まり、会話も止まった。ボートの進行方向を気にしていた光太郎が私を見て目が合った。光太郎をなんとなく見ていた私は、急に焦って話し出した。
 「6大学に未練はないの?大学野球の花でしょ」
 「無いよ」
 「どうして?」
 「お前に言いたくなかったけど正直言うと、岩手の大学にしたのは、お前のせいだけじゃないんだ」
 「何?」
 「明治や法政終わっても何の資格も取れない。プロになれなかったら社会人野球で就職できるかも知れないけど、好きな仕事には就けないと思ってな」
 「好きな仕事って?」
 「笑うなよ」
 「笑うわけないじゃん」
 「保育士」
 「えー!」
 「やっぱり笑ったじゃねえか」
 「笑ったんじゃないよ。ビックリしただけ」
 「俺、こう見えて、小さい子どもが好きで、相手するのも上手いんだぜ」
 「いや、意外だったけど、合わないとは思わないよ。むしろイメージできる感じ」
 本心だった。光太郎が大きな体にエプロンを着て保育園にいたら、凄く子どもたちに人気がある先生になりそうだ。続けて私が言った。
 「素敵じゃない。プロ野球選手よりも向いてるかもよ」
 「そうかも知れない。でも、やるからにはプロを目指す。実際、高校にも2チームからスカウトが来たし。でも、もしプロになれたとしてもモノになるか分からない。だからもう1つの夢の資格だけは取っておきたい。明治や法政じゃ無理なんだ」
 「そっかあ」
 私は、野球しか知らないんじゃないかと思っていた光太郎が、私なんかよりもずっと現実的に将来を見据えていることに純粋に感心し、逆にあまりに単純で幼稚な進学理由しか持たない自分自身を恥ずかしく思った。

 「友がみな我よりえらく見ゆる日よ
    花を買い来て
    妻としたしむ」

 ふとこの歌が頭に浮かんだが、下の句がしっくり来ず、珍しく啄木の歌に違和感を覚えた。桜が出てくる啄木の歌は無かったか、などと考えているうちに、ボートは岸に着き、光太郎とは、デートの約束は別として盛岡での再会を約束して別れた。

 盛岡の4月は、東京の3月よりも寒かった。
 私は、岩手大学に程近い上田という町に家具家電付き、1DKのアパートを借りた。道路向かいに大きな県立病院がある。アパートといっても鉄筋コンクリート七階建てで、マンションのような玄関があり、防犯カメラもあちこちに設置されて、セキュリティーがしっかりしていた。私の部屋は4階で、主にエレベーターを使うことになる。
 学生にはちょっと贅沢な部屋だと自分でも思ったけど、お父さんが「とにかくセキュリティーが一番大事」と言って契約した。
 家具家電付きだったから、引っ越しは楽だった。土曜日で、お父さんとお母さん、美国も来たけど、二時間で終わった。結局、引っ越しに来たと言うよりも1泊2日の岩手の旅に来た感じになり、お父さんがレンタカーを借りて、盛岡の郊外を観光して回った。
 小岩井農場にはまだ雪がいっぱい残っていた。花がない有名な一本桜と岩手山をバックにみんなで写真を撮った。晴天だった。岩手山麓の溶岩流跡「焼走り」で、日帰り温泉に入った。お父さんがビールを我慢できなくなって、お母さんと運転を交替した。
 私の希望で啄木記念館にも行った。啄木フリークの私にとっては夢のような展示物だらけだった。啄木の中学生時代の答案用紙、自筆原稿、初版の「一握の砂」、「悲しき玩具」。金田一京助らへの書簡…。研究家でもある有名な学芸員さんが説明してくれてとにかく私は舞い上がっていた。自己紹介して、学芸員さんに名刺をもらった。憧れの学芸員さんは、
 「いつでも連絡して下さい。啄木ファンが岩手大学に入ってくれたことは、私にとってもとても嬉しいことです」
 と言ってくれた。
 私はこれからの4年間でここに何度来ることだろう。
 記念館の玄関を出て、岩手山を眺めると自然に歌が出てきた。

 「かにかくに渋民村は恋しかり
    おもひでの山
  おもひでの川」

 敷地内にあった旧渋民小学校にも入った。啄木の母校であり、のちに代用教員を務めた校舎だ。私は完全にタイムスリップしていた。古いオルガンを啄木が弾いているように見えた。凄く満たされた気分になり、ここはこれから私のパワースポットになりそうだと思った。

つづく

2010年ソニー・デジタルエンタテインメントより発行 iBooks、Kindle、コミックシーモア等から販売 2023年改訂 
現在の著作権は著者に帰属

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