短編漫画『げこげこ』(作・水上悟志)について

※漫画の内容に触れています。

『惑星のさみだれ』で有名な水上悟志さんの短編漫画です。

このお話はなにかを下敷きにされているのでしょうか。
わずか30ページたらずで高い完成度のある漫画です。
作者本人も手応えを感じた旨を書いており、わたしの心にも印象に残りました。
たんに世界中に散らばっているフォークロアや変身譚を見本にしても、なかなかこうは描けないんじゃないかな、と思いました。

「ある朝目が覚めて…」
といえばグレゴール・ザムザですが、あれは理不尽をわかりやすい形にして、自分にも周囲にもそれを救う力がないとか、無関心であるとか、そういう絶望を言いたいものだと思います。(読み返せばまたちがう感想になると思いますが、思い出す限りそういうものだったような。)

今は『変身』を読んでいる人がいないように、(そんなことを言えばカミュを読んでいる人だっていない)
もう他人の絶望なんて、近くに置いておきたくもないのかもしれません。
へんな言い方ですが、絶望は流行しないのですね。


『げこげこ』です。
この漫画がいいのはつまり、謎や説明なんて求めないところにあるのでしょう。
それでいて、絶望しない。
昔話というのは、そういう人の心を慰めてくれます。
われわれみんな、理由もなく始まった人生に答えなんかないのです。
でも人間にはいろんなことが解るようになって、この世から神性というものが消えつつあります。

人間の野望はまぎれもなく、この宇宙のぜんぶを解き明かすことでしょう。
不確実なこともすべて斥けたいはずです。
明日何が起こるのかも、すべてを知っておきたい。
完全に固定された人生というものが欲しいのでしょう。
それは好きに追及してくれればいいし、多分そうなるでしょう。


ぜんぜん関係ないのですが、『精進魚類物語』という室町時代に書かれた平家物語のパロディーがあるそうです。
精進もの(食べもの)の軍勢と、魚とか鳥とかの生臭ものの軍勢が対決するのです。
精進側の大将は納豆です。
その名も納豆太郎糸重(なっとうたろういとしげ)。
室町時代の人たちも、こんなお話を聞いて馬鹿馬鹿しいなと思っていたでしょう。
でも、こんなインスタントな着想でこしらえられたおとぎ話が、不思議に胸に響きます。
歴史にも残っちゃったりして。
今のわたしでさえ胸が躍るものがあります。

どうやら人間には悪いウソ(詐欺、詐術、隠匿、…)と
良いウソ(神性、未知、笑い、…)があるんだなと言わざるをえません。
むかしは嘘は嘘だとしか思わなかったですが…。


琵琶湖の水神になった元人間のカエルとか、勇ましく戦う納豆太郎糸重とかを想像すると、我々のやっていることなんて嘘でいいんだなと思います。

嘘でいいじゃんって。



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