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『ポストマン・ウォー』第40話:漲る自信


『ポストマン・ウォー』第40話:漲る自信


 ドルジさんの片目の負傷をきっかけに、小説の題材になるかもと、勝手気ままに想像(妄想?)を巡らせていたことと、実際に今、目の前で起きてしまっていることの符号に、中谷幸平は恐ろしくなっていた。
 
 モンゴルマフィアと中国マフィアの争い。
 
 その確信を強めたマリの手紙。
 
 そして、マリたちが出した大量の小包の開封により、自分は謹慎処分を受けたが、その推測は間違いではなかった。
 
 マリたちに拉致され、彼女たちは中国マフィアを爆殺しようと計画立てていたことが分かった。その計画を邪魔したことにより、中谷幸平自身が、イエロードラゴン抹殺を命じられる。

 モンゴルマフィアと中国マフィアの争いは現在進行形であり、そして、その抹殺を誰が仕掛けたのかを巡って、K町で「戦争」が起きようとしている。
 
 符号はそれだけではない。「イエロードラゴン」という名前。
 
 モンゴルのバックにいるというロシアンマフィアの組織名称「レッドウイング」。
 
 中谷幸平が幼少の頃に、軍団ごっことして組織した「赤い羽団」。
 
 偶然といえば偶然なのかもしれない。しかし、そこに何か偶然を超えた、奇妙な力を感じざるをえない。預言? そんなものはまさか信じまい。ただ、自分の想像力は、現実には表象されえない、裏の出来事を捉える、本質的な力があるのではないか。そんな過信さえ湧いてきてしまう。
 
 そして、郵政労働組合が持つネットワーク。このネットワークと力を利用して、中国マフィアといかに戦うか。ここまでが、中谷幸平が思い描いていたことである。
 
 今、それも現実になろうとしている。江原さんという存在が、それを確信させてくれた。

「ねえ、私の話聞いてる?」

 遠藤桃子が不貞腐れた顔で中谷幸平の横顔を覗き込む。江原さんと会った翌日、遠藤桃子から電話があり「私たちの関係をはっきりさせたい」という小難しい話を持ち掛けてきた。
 
 いつものようにM町に来てもらい、いつものバーで飲むことになったが、中谷幸平はあまり気が乗っていなかった。

「中谷君は、私のことどう思ってる?」

 遠藤桃子はバーで会うなりそういう話をしてきた。

「どう思うも何も、今の感じがよいと思ってる」

 中谷幸平がそう答えると、遠藤桃子は、それ以上会話をしても無駄だというように口をつぐんだ。

「どうする? 泊ってく?」

 中谷幸平はいつもと同じように言ったつもりであった。

「いい、今日は帰る」

 遠藤桃子はため息交じりに言った。

「そうか、分かった」

 中谷幸平は煙草を手に取り火を点ける。中谷幸平もまた、それ以上の会話を続けるつもりはなかった。

「中谷君、なんか最近変だね」

 遠藤桃子が捨て台詞のように言う。

「何が?」

 遠藤桃子の物言いに少し苛立ちを覚えた中谷幸平は、思わず眉をひそめる。

「なんか、遠いところだけを見ているというか。地に足がついてない感じ?」

「どういう意味?」

 遠藤桃子は首を横に振り「何でもない」と言った。

「そう」中谷幸平は素っ気なく返す。 
 
 沈黙が続き、中谷幸平は煙草の煙の行方を眺めていた。時間の問題だと思った。
 
 遠藤桃子と会うことはこの先二度とない。
 
 中谷幸平はそう直感したのだが、ウイスキーロックとマティーニでグラスを交わしたのが最後、その通りになった。
 
 

 九月二週目の週末金曜日、学生時代からの旧友である夏川元の提案で、久々に大学時代からの旧友で集まることになった。夏川、青木、石井、中谷幸平の四人揃って顔を合わせるのは、就職前の三年生以来であった。

 付き合いというものは時期が集中するものだな、と思いながら中谷幸平は、旧友と会えることを楽しみにしていた。
 
 六本木の小洒落た寿司屋で、飲むことになった。青木は商社、石井は大手自動車メーカーと予定通りに就職できたようで、話しぶりからもその活躍が伺えた。

 自分は今、こん大きなプロジェクトを任されている、海外との取引に参画している、そのうち海外赴任もあるかもしれない、そんな話で最初は盛り上がるのだが、次第に話題は、学生時代に遡り、こんなバカなことがあった、こんな女と付き合っていたという話に終始し、そのまま酔った勢いで、夜の六本木に繰り出そうかという流れになる。
 
 六本木通りから麻布の方へと向かい、大箱として有名な『G-LIFE』というクラブに向かう。
 
 夏川や青木は、就職してからもよく来ているようで、クラブのスタッフともすでに顔馴染みのようで「夏川さんチワース」「ウイっす」「青木さんもお久しぶり」「また来ちゃいましたー」というやり取りで店に入る。

『G-LIFE』はエントランスから一階のフロアはよくあるバーのようになっていて、そこでは、何の目的で来ているのか、よくわからない女が一人で、カウンターで飲んでいたりするのだが、奥に進んでいくと、重低音を響かせたホールがあり、ミラーボールの真下で、若い男女が熱を撒き散らしながら、それぞれの時空間で音と踊りを楽しんでいる。

 スミノフを片手にはしゃいでいる者、ホール片隅で煙草を燻らせながらマイペースでリズムと会話を楽しむ者、様々であるが、ホール中央は熱気の渦となっていて、そこに行ってしまうとその熱気と勢いに呑まれざるを得ない。
 
 夏川、青木、石井らと四人で行動していたが、すでに寿司屋の酒で酔っていたこともあり、それぞれが、それぞれの思いでフロアに散っていく。
 
 クラブに来るということの目的は一つだった。

「誰が、どの女を口説くことができるか」

 要はナンパである。
 
 学生時代からそんなことを競い合っていたものだから、ゲームのルールは暗黙の了解であった。途中まで青木が、どこか冷めた感じでいる中谷幸平に付き添うような感じで横にいてくれた。

「コウヘイは、もう小説書いてないのか?」

 大音量の音で、うまく聞き取れないが、青木がそんなことを聞いてくる。

「ああ、全然書いてないよ」

 中谷幸平も、もうそんなことは卒業したという感じで答える。

「そうか。でも、そうだとすると今の仕事は満足しているのか?」

 夏川もそうだったが、皆同じよう心配をする。
 
 それはそうだろう。作家になる、言葉で世界を変えたいと豪語していた人間が、公務員という誰も予想していなかった仕事を選んだのだ。

「まあね。満足とまではいかないけど、皆が思っているほど、退屈な業界じゃないことはわかってきたよ」

 中谷幸平は力強い言葉で返す。
 
 もはや、一流企業に勤めている同期に対して、何の劣等感も物怖じもない。小説を書いていないことに対する、後ろめたさのようなものもない。

「俺は、もっと違う力を手に入れつつある」

 そう直接言葉では言わないが、中谷幸平は自信に満ち溢れていた。旧友もそれを感じ取ってくれたのであろう。

「グッドラック」と言って、グーの拳を突き合せた。
 
 そこからは、青木とも別れ、中谷幸平は、バーカウンターで注文したスカイブルーを片手にずんずんと一人で、ホールの中央に向かっていった。ホールに鳴り響くジャジーなヒップホップのリズムに合わせて、体を揺らしながら、気づいたらホールど真ん中の渦の中に身を委ねていた。
 
 麻布のクラブに来る女は、容姿も佇まいも気品があった。いつもの中谷幸平なら、怖気づき、とても近づけない種類の人間たちである。

 だが、この日の中谷幸平は違っていた。酔っているというだけではない、内から漲る自信、強さ、そう、力があった。それは野性味ある力強さである。その禍々さは、一つ間違えたら暴力に変わってしまうかもしれない危うさがあった。

 それを抑えつける必要がある。抑えつけてくれる、相応しい女が必要だと中谷幸平は思った。


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