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『ポストマン・ウォー』第23話:盗み読み


『ポストマン・ウォー』第23話:盗み読み


 手紙をほんの僅かな時間だけ預かって、それを読み、読んだらすぐに封は元に戻し、またポストに投函すればよい。特定郵便局で受け付けようが、ポストに投函しようが、集荷された郵便物が、普通郵便局の集配所に集められ、配達されるという流れは同じである。

 そんな言い聞かせをしながら、中谷幸平は、柴田主任や矢部さんが自分の業務に集中している隙を狙って、マリが出した手紙を、机の下まで持っていき、素早く制服のポケットに忍び込ませた。
 
 もちろん、すぐに出来たというわけではない。
 
 万が一、行為がばれてしまった後のことも思いを巡らせ、何度も思い留まり、不安と恐怖という圧力に、体ごと押し潰されるのではないかと思ったが、「知りたい」という欲求が上回ってしまった。
 
 罪悪感と興奮が、いつの間にかすり替わっていたのだ。これをしてしまったらまずいという恐怖は、逆に行為の後押しになっていて、それがある種の興奮に変貌していた。
 
 集荷の運転手さんが、いつものように入ってくる。
 
 たった一枚の手紙が、自分のポケットに入っているだけだというのに、とてつもなく後ろめたい思いに襲われ、運転手さんとの会話もぎこちなくなる。もしかしたら誰かに見られており、背後から「隠した手紙を出しなさい」と言われるのではないかと思い、ビクビクしていたが、運転手さんは郵便物をまとめた集荷袋を中谷幸平から受け取ると「毎度」と言って、いつものように行ってしまった。
 
 あとは、忍ばせた手紙を家に持ち帰るのみである。
 
 仕事が終わり、更衣室で着替えながら「今日マリも来たことだし『カササギ』行くかい」といつものように誘ってくる矢部さんに対して「すみません、今日は先約がありまして」と適当な嘘を付き、回避した。なぜ、これまでそういう風にして先輩の誘いを断ることができなかったのだろうというくらい、大胆に断った。
 
 それよりも、誰とも関わることなく自宅に戻る必要があった。こんな日に限って、杉山局長までもが「たまにはみんなで飲みに行こう」などと帰り際に声を掛けてくるのだが、それも丁重に断り、中谷幸平は真っすぐに駅に向かい、飛び乗るようにして電車に駆け込んだ。
 
 その間、心臓は秒を上回る勢いで鳴り続けていた。途中、冷静さを取り戻し、手紙を解読するにはモンゴル語の辞書も手に入れておかねばならないと思い、普通の書店では売っていないことがわかると、神保町に出て、古書店をめぐり、ようやく蒙日辞典を手に入れた。自宅に着いた頃には二十一時を回っていた。
 
 ポケットに忍ばせていた手紙は、すぐにバッグに入れ替えていたが、マリから預かった時よりもだいぶ皺くちゃになっていることがわかった。
 
 中谷幸平は、自分の机に、マリの手紙を置き、封を開ける準備をする。あとで開けられていないことが示せるように、しっかりと再現しなければならない。
 
 この手紙を自分が読んだところで、マリの両親には届けられ、いつものように読まれるだけである。中谷幸平が介在しようがしまいが、手紙は、ただあるのである。
 
 そんな風に言い聞かせながら、中谷幸平は震える手で、封を開ける。中には、よくあるレター用紙が三つ折りにされた状態で入っており、開くと、びっしりとモンゴル語で書かれた文字があり、末尾には、日付が記載されている。
 
 その内容を、中谷幸平はインターネットでの検索や辞書を駆使して、一つ一つの文脈を読み解いていった。
 
 最初、何が書いてあるのかさっぱりわからず、何度も諦めかけたが、一度手をつけてしまった以上、何の手掛かりも得ないまま終わらせるわけにはいくまいと、少しずつ、言葉と言葉を繋ぎ合わせる形で読み込んでいった。
 
 時間は深夜にまで及んだ。クーラーをつけていたが、体から滲み出てくる汗が止まらない。辞書をめくる掌は、ぐっしょりだった。
 
 最初は「お母さん、元気。私は忙しく働いています」という当たり障りのない内容に思えたが、中盤になるにつれ、中谷幸平が思っていた通りのことが符号し、愕然とした。

 ――私たちは中国人に苦しめられています。

 ――民族の誇りがありますので、私たちは戦うことでしょう。

 ――仕返しは必ずします。

 そんな内容であった。

 まさかと思ったが、だんだんと文脈が理解できるようになり、やはり自分が考えていた通り、中国人とのいざこざは深刻なものだということが、手紙から分った。
 
 そして最後、手紙の文章はこんな言葉で結ばれていた。

 ――お母さん、どうか私を悪い子だと思わないでください。

 ――私たちが何をしようとも、それは私たち民族の誇りのためと思って、どうか最後まで敬ってください。

 手紙の内容を一通り把握したあと、中谷幸平は今さらながら、自分がしてしまったことを後悔した。取り返しのつかぬこととはこういうことかと思いながら、焦る気持ちを必死に抑えながら、開封してしまった手紙を、丁寧に復元し、近所のポストに急いで投函した。
 
 夜中の三時になっていたので、外に人影はない。
 
 手紙は、明日には集荷され、一週間以内にはウランバートルへ届くことであろう。マリが出してからの時間は僅かであり、国際郵便でかかる時間を考えれば、それは誤差に過ぎない。そう言い聞かせながら、帰路に着くも、体がずっと興奮で震えていた。

 職権を利用し、他人の手紙を盗み読む。それが、万一にもばれてしまったらどうするつもりか。そのことを想像するだけで、眠ることなど到底できなかった。

 同時に、手紙の内容についての思いも駆け巡り、それは止めないといけないという、もう一つの感情が湧き上がってくる。

 どうすべきか、まるで検討がつかなかった。
 
 そう、マリたちは、何かをしでかそうとしている・・・。
 
 

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