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『ポストマン・ウォー』第41話:職業はポストマン


『ポストマン・ウォー』第41話:職業はポストマン


 中谷幸平のすぐ傍で、さっきから一人で、ホール中央で踊り続けている女がいた。

 その女は長身で、薄暗いクラブの中でも、日焼けした褐色の素肌が目立っていた。キャミソールとローライズのショートパンツからはみ出した腕と脚、二の腕と太腿の筋肉は健康的でさえあった。
 
 女は、ホールの曲の終わりと、新しい曲への切り替わりの度に、両腕をあげて「フォー」と声をあげ、周囲の客と同様に盛り上がる。しばらく、女から目が離せないでいた。
 
 時折、女と何度か目が合った気がした。女は中谷幸平を見て、笑みを浮かべているようであった。もちろん、勘違いということは嫌というほどある。
 
 学生時代に仲間とこうやってクラブに来ても、中谷幸平が一人の力で口説きに成功した試しは、一度とてない。いつも、夏川や青木らの援護射撃が必要であった。

 だが、今日はどうだろうか。いつもなら、何かと理由をつけて行くのを躊躇ってしまうところであるが、イエロードラゴンを乗り越えた男に、もはや、世俗で、起きることに対する怖さなど、なかった。
 
 女に声を掛けてみる。ただ、それだけのことなのだ。
 
 曲の流れに合わせて、至って自然な感じに中谷幸平は女に近づいてみる。他の客に押されながら、ダンスホールの渦の中では、ごく普通に距離を縮めることができる。
 
 気が付くと、女とは、少し身を乗り出せば、目と鼻の先の距離になるまで近づいていた。
 
 中谷幸平が思い切って女に話しかけると、女は「何?」という感じで耳を中谷幸平の方に傾けた。興味がなければ無視するだけのことだ。

「やだ、何それ」女はそう言って笑った。
 
 どちらの笑いか?否定なのか、肯定か。しばらく女と会話のラリーが続いた。
 
 何がきっかけかは、わからないが、女は中谷幸平に関心を持ったようだ。
 
 女の名は、八尋怜那(やひろれいな)といった。歳は、中谷幸平とそんなに変わらず、二十三歳ということだ。

 どんな会話が続いたのか、まったく覚えていないが、他愛もないものだったと思う。中谷幸平はいつになく饒舌だった。
 
 気が付けば、八尋怜那の腰に自然と手を回し、一緒に踊っていた。時折、中谷幸平が追加でのドリンクを頼んであげながら、一時間くらいは一緒にいただろうか。途中で合流してきた夏川や青木らは「お前がまさか」というような驚きの声をあげ、中谷幸平の立ち振る舞いを見守る。

「ねえ、この後二人でどこか行こうよ」

 そう八尋怜那が恥ずかしそうに耳打ちしてきた時、中谷幸平の回答は決まっていた。
 
 どこへ?などという返答は愚問である。そのことは、篠崎絵里との時に言われ、学んでいることである。

「今日はコウヘイの一人勝ちか」そう悔しがる夏川らを尻目に、中谷幸平はひと足先に八尋怜那とクラブを後にした。
 
 見栄を張ってしまったか、中谷幸平は女とタクシーに乗り込み、赤坂のデザインホテルへと向かった。夏川らがよく口にしていた情報を、思い出したのであった。八尋怜那はすっかり酔っていた。

 クラブではプライドが高く、気が強そうな女に思えたが、二人きりになってからは様子が違った。タクシーの後部座席で、口づけをねだってきたのは八尋怜那からだった。
 
 ホテルの一室に、八尋怜那と二人で入る時、中谷幸平の心臓は高鳴っていた。こんなに物事がうまく進んでよいものか、少し疑念はあった。
 
 疑念は、すぐに現実のものになった。部屋に入ってすぐ、八尋怜那と立ったまま抱擁と口づけを繰り返した後、背中を撫で回しながら、彼女のキャミソールを脱がしにかかった時、鏡越しに顕わとなったのは、八尋怜那の背中一面を彩る、花魁を描いた刺青であった。

「なるほどー」中谷幸平は思わず心の中で唸ってしまう。愛撫する手の動きが止まるのに気付いた八尋怜那は唇を離し「見ちゃった?」と耳元で意地悪そうな声で囁く。

「アタシ、普通のオンナじゃないの。騙すとかそういうつもりはまったくないよ。ただ、大抵の男はここでヒヨっちゃう。あなたはどうする?」

「別に何とも思わない」

 中谷幸平は、女の背中の絵をなぞるように、指で撫でていく。

「うそ、強がらなくていいよ。アタシ、堅気じゃないのよ。八尋組っていう東京の組。そんなに大きくはないから聞いたことないと思うけど」

「そうか。それを聞いて俺が止める理由ってあるのかな?」

 中谷幸平は、八尋怜那の腰を抱え、自分の胸に力強く引き寄せた。遠藤桃子と初めてそうなった時の夜のように、その猛りは、止めることなどできそうにない。

「本当に大丈夫?」

 八尋怜那は、しつこいくらいに念を押す。大抵の一般男子はこのような状況になって、怖気づくだろう。そりゃそうだ。ヤクザの女に手を出して身を守れる一般人など想像つかない。

 だが、今の俺は違う。中谷幸平は確信している。

 ヤクザ? それがなんだと言うのか。

 俺は中国マフィアのボス、イエロードラゴンを撃った男だ。そして、この先、ボスがやられたことによって統制がきかなくなり、復讐心に満ち満ちて、K町で血生臭い戦争を起こそうとしている連中を相手に、戦おうとさえしているのだ。

 そんな男が、今からお前を抱くのだ。
 
 中谷幸平は自分の服を脱ぎ捨てると八尋怜那をベッドに押し倒した。背中だけではなく、胸から腹にかけても、刺青が施されていた。その美しさに、中谷幸平は思わず見とれてしまう。

「ここでヒヨるようだったら、いつもは私の取り巻きがボコボコにするんだけど、お兄さんは違うみたいね」

 八尋怜那はまだ、極道の女だというプライドがあるのか、少し上からの目線で話す。刺青の迫力と相まって、般若のような険しさで中谷幸平を眺める。

「もう黙ってろ」

 そんな感じで、中谷幸平は八尋怜那の体に覆い被さる。
 
 俺はチャイニーズマフィアを撃った男だ。
 
 中谷幸平は憤るように、彼女の体を引き寄せると、自分が出せるすべての力を使って八尋怜那の体を嬲った。
 
 八尋怜那はやがて、女の顔に戻った。
 

* 

 八尋怜那と過ごした時間は、文字通り一夜限りのものになるであろう。
 
 二度と会うことはない、ということを予感していた。
 
 チェックアウトした後、地下鉄六本木駅にあるウェンディーズで、モーニングメニューを一緒に食べていた。彼女は気だるそうな感じで、ハッシュポテトを食べながらアイスコーヒーを飲んでいた。

「中谷君、昨日は一瞬、あなたのこと好きになりそうだったけど、関わるのはこれで終わりにしようね」

「どうしてです?」

 別にどちらでもよかったが、中谷幸平は彼女の真意を訊いてみる。

「だって、どう見ても堅気にしか見えないもん。私みたいな人種と交わっちゃダメよ」

「自分の仕事、何に見えますか?」

「サラリーマンでしょ。職種は分からないけど、企画とかやってる人かな?」

「公務員なんです」

「公務員? 噓でしょ。なら余計ダメだよ。絶対ダメ」

「公務員とヤクザ。そんなに変わらないですよ」

 中谷幸平はカップのコーヒーをすする。

「常人から見たら、まったく違うんでしょうけど、自分がやろうとしていることは、そんなに変わりありません」

「どういうこと? なんか、おかしなこと言う人なのね」

 八尋怜那は本気で、分からないという表情をする。それはそうだろう。話せること、話せないことがある。

「ある仕事を抱えていまして。その仕事を片付けないとなんですが、そのうち、あなたにも力を借りる必要が出てくるかもしれない」

「え、私、なんで?」

 八尋怜那はきょとんとする。

「ねえ、その仕事って何よ。中谷君、あなたは何者なの?」

「ポストマンです」

「ポストマン? やだ、ギャグで言ってるのかな。わけわからなくなってきた」

「郵便局員ですよ」

「郵便局員が、私たちの力が必要とかどうこうって、何の話かわからないよ。とにかく、私には関わらない方がいい。本当よ」

 八尋怜那は言葉のどこかに笑いを含みながらも、真剣な目で訴えてくる。

「そのうち、そのうち分かると思います。今は、大丈夫です」

 中谷幸平も真剣な眼差しで返す。
 
 ウェンディーズを去る間際、八尋怜那は言った。

「あまり、自分の力を過信しないでね。中谷君が、自信に溢れて、強い人だってことはわかったけど、力は、強さだけではダメだからね」

 八尋怜那とは、地下鉄駅の出口をあがって、六本木交差点で別れた。彼女は自宅が青山にあるから車で帰ると言い、タクシーを掴まえた。また、会うかどうかはわからなかった。
 
 八尋怜那は、昨晩のベッドで見せた姿とは違って、冷静さを取り戻したのか、いたって気高く振舞い「またね、中谷君」と言い、タクシーに乗り込んだ。
 
 中谷幸平は八尋怜那を乗せたタクシーを、煙草を咥えながら見送った。 


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