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『ポストマン・ウォー』第13話:先輩との付き合い


『ポストマン・ウォー』第13話:先輩との付き合い


 二週間くらいが経った頃だった。

 矢部さんと休憩が一緒になった時に、また矢部さんが歓迎会をやるからと、中谷幸平に声をかけてきた。

「パチンコなら勘弁してください」と中谷幸平はきっぱりと言い放つ。

「いやいや、今日はパチンコじゃなくて先輩に呼び出されていてさ。中谷君を早く紹介しろって」

「先輩というのは、小沼さんですか」

「いや、今日は違う先輩。倉地さんと吉田豪さん。小沼さんよりも偉い人たち」

「偉い人?」

「そうそう、この連絡会のキーマン」
 
 中谷幸平は行くべきか、理由をつけて断るべきかためらっていた。だが、中谷幸平に選択肢はなかった。その場で矢部さんが携帯で電話をしていて「今日、中谷君の歓迎会やろうと思います。はい、そうです。わかりました、『銚子漁港』ですね。行きます」などと話をつけてしまっていた。

「はい、決定」矢部さんは携帯電話をパチンと音を立てて閉じ、テンションが高い声を出しながら中谷幸平の方を見る。

「ちょ、このあと自分には予定が」

「あれ、朝、今日は何もないって話していたよね」
 
 中谷幸平ははっとなった。今日は誘われることはないだろうと油断していた。何気ない会話のやり取りで、家に帰っても暇なんですけどね、みたいな話をしていたことを思い出し、何も言い返せなくなる。
 
 歓迎会という手前、無下にはできないが、またこの前のような感じで付き合わされるのかと思うと、中谷幸平はうなだれるしかなかった。
 
 商店街からは少し外れた路地の飲み屋街にある『銚子漁港』という大衆居酒屋で待ち合わせということであった。店の前に到着した頃に矢部さんの携帯が鳴り、先輩から少し遅れるとの連絡が入ったようだ。

「よし、先輩たち遅れているらしいから、それまで『プラチナム』に行こう」そう言って矢部さんは踵を返し、駅前の『プラチナム』に向かおうとした。

「矢部さん、パチンコなら自分はやめときます」中谷幸平はそう言ったが「数十分程度だよ。見ているだけでいいから」と矢部さんに返され、仕方なくまたパチンコに付き合うことになった。

「中谷君は『海』とか適当にやっていなよ」そう言い残し、矢部さんは真っ先にスロットがある二階に向かってしまった。
 
 中谷幸平は仕方なく『海物語』の台を適当に選び、数千円ならよいかと思い、渋々やることにした。何の期待もなく、煙草を吹かしながらハンドルを回していたが、数分経ったところで、これまでと、どうも様子が違う演出が始まり、目の前の台が突然煌びやかに光始める。魚群といわれる激アツの演出が何度も続き、まさかと思ったが、奇数の数字が揃い、矢部さんが教えてくれた「確変」とやらに突入したようだった。まだ千円も消化していない段階である。急激な展開に、中谷幸平は興奮を覚え、台の演出の行方を見守った。

 「確変」に入ると、玉が溢れるように出続けた。「おお、これが大当たりというやつか」すぐに呼び出しボタンを押し、店員に玉を入れるケースを持ってきてもらった。ケースはあっという間に三段、五段と積みあがっていく。その玉を使い、大当たりは繰り返される。
 
 様子を見に来た矢部さんが「すごいじゃん中谷君。当てやがった」と大はしゃぎした。

「もうこの台は止まらないと思うよ。出続けるね」矢部さんは確信めいたように言う。

「これ、止めないとまずいっすよね。先輩たちそろそろ来てるんじゃ」中谷幸平は店内の時計を見て、矢部さんに忠言するが、矢部さんは構わないと言う。

「止めろと言われても止まらないから。出し続けるまでやるしかないよ」そう言って矢部さんは中谷幸平の肩をポンと叩き、自分も負けてられないと言うように、息巻きながらまた二階へと戻っていった。
 
 その日、中谷幸平が手に入れた金は八万円だった。突然の大金を手にすると、魔法に掛けられたような気分になり、自ずとテンションも上がる。

「な、これがパチンコの醍醐味だ」と矢部さんがほくそ笑む。そんな矢部さんはスロットで二万円もすったらしく、背中を曲げて項垂れていた。
 
 中谷幸平は、これまでギャンブルをやる人間を、どこか見下していたものだったが、これは病みつきになってしまうかもなと、思わず納得しかけていた。
 
 時間は八時であった。矢部さんがどういう言い訳をしたかわからないが、だいぶ先輩を待たせてしまっているようだった。

「ちょっと急ごう。先輩たちを一時間以上待たせてしまっているからね」

「あんたがパチンコに行こうって言うからだよ」と突っ込みたくなる思いをぐっとこらえ、矢部さんの後をついていく形で、待ち合わせの『銚子漁港』に向かった。
 
 先輩たちはすでに、顔を真っ赤にして大きな声を出して盛り上がっているようだった。
 
 白いワイシャツ姿の三人がテーブルを囲んでいた。気まずそうな調子で矢部さんが近付いていく。

「すみません、お待たせしました」
 
 中谷幸平も申し訳なさそうな顔をして、矢部さんに続く。
 
 すると、振り返った一人に、同期の新堀さんがいることがわかった。

「おお中谷君、待ってたよ」新堀さんがビールジョッキを片手に微笑む。

「お前らおせーよ」体格の大きい一人の先輩が、ひと際大きな声で矢部さんを迎え入れる。
 
 矢部さんの先輩である倉地さんと吉田さん、それから新堀さんの三人で飲んでいたようだ。矢部さんと中谷幸平が、肩を狭めながら、空いている席に座ると、声を張り上げていた吉田さんが「生二つ追加」とさらに大きな声を出して店員を呼び止める。
 
 中谷幸平は、そこに新堀さんがいて、どこかほっとする思いがあった。先輩らは本気で怒っているのか冗談なのかわからないノリで矢部さんに絡みだす。

「先輩待たせるって、どういうことよ」吉田さんが太い眉毛を曲げながら矢部さんを睨みつける。

「すみません、こいつが確変に入っちゃって」矢部さんはそう言って、親指を中谷幸平の方に差し向ける。

「何だよ、またパチかよ」倉地さんが冷静に矢部さんを問い質す。その光景を見て、日常茶飯なのだ中谷幸平は気づき、安心する。

「いくら勝った?」聞いてきたのは吉田さんだった。

「いや、そんな大した」中谷幸平が言いあぐねていると「八万ですよ、八万」とすかさず矢部さんが返す。

「おい、まじかよ。いきなり新人におごってもらえるな」倉地さんが興奮気味に笑う。

「あ、こいつが中谷幸平です」矢部さんが急に先輩口調になった。

「中谷君どうも」倉地さんが、中谷幸平に手を差し出し握手を求めてきた。倉地さんはオールバックに無精髭。松崎しげるばりに日焼けもしていて、まだ夏ではないのにアロハシャツ一枚と、とても公務員には見えない風貌であった。
 
 吉田さんはずっと腕組みしていて、どことなく不貞腐れた顔をしている。柔道でもやっていそうな厳つい体格で、座っているだけで威圧感が凄い。揉め事などがあっても絶対敵にまわしてはいけないような種類の人である。この強面の吉田さんが、新堀さんと同じ局の先輩なのだという。
 
 新しいビールが運ばれ、乾杯をしてからは、倉地さんたちの、仕事での武勇伝ばかり聞かされていたが、次第に話題は組合活動のことに移っていった。矢部さんには聞かされていたが、倉地さん、吉田さんこそが、将来の幹部候補とされている期待の組合員であり、新堀さんも先輩である吉田さんに言われ、半ば強制的に組合員にされたのだということがわかった。

「そういえば、中谷君考えてくれた?」矢部さんが思い出したように中谷幸平の方を窺う。その話題には触れてもらいたくはなかったが、やはり避けられないのかと、中谷幸平は苦々しい思いでビールのグラスを口に運ぶ。

「や、まだ検討しています」とりあえず、その場は曖昧にしておこうと思った。だが、その曖昧な返答がよくなかった。強面の吉田さんがすぐに反応してきた。

「中谷君、組合って別にそんな気構えるものでもないよ。郵便局員として働く自分たちの身を守るために、主張すべき権利は権利として主張するのが組合。雇い主側の言いなりになって、不当な賃金で働かされるのは嫌だろう?」

「なるほど」中谷幸平は相槌を打つ。

「でも、そういう難しいことは上の連中がやってくれるから。そうそう、ノリとしては大学のサークル活動みたいなもんさ。だよね、新堀君?」倉地さんが軽いノリで話しながら新堀さんに同意を求める。組合とサークルが一緒ということは、この人たちはそんなに強い信念を持って組合をやっているわけではないのだろうか。

「まあ、そうですね。特に、大変なことはないですし。籍を置くだけというか」新堀さんはそう言って、早くイエスと言っちゃいなよという目で中谷幸平の方を見る。

「組合やっているとさ、年に何回かは、温泉旅行に行くし、野球や麻雀やったりのレクリエーションもあるし。ほんと倉地さんの言う通り、サークルみたいな感じだよ」矢部さんも無責任な感じでかぶせる。そういう付き合いが面倒で嫌なんだと、中谷幸平は心の底から思うが、もちろん言い返すことなどできない。

「若い女もいっぱいいるから」倉地さんが得意気に言放つと、どっと笑いが起きた。

「お前は女食いすぎなんだよ」吉田さんが声を立てて笑う。組合では既婚者含め女性組合員も多いが、不倫や二股などが横行しているのだという。倉地さんはいかにも遊んでいそうな感じではあったが、やっていることも見た目のままであった。

「こいつは本当にゲスだから。見た目もAV男優みたいだろ?」吉田さんはそう言うが、誰も笑うことなどできず、苦笑するしかない。
 
 最初の店で二時間くらいは、いただろうか。組合の話があったものの、後半になるにつれ、男だけの飲み会ではお決まりの下ネタの話題が続くと、矢部さんが突然そわそわし始めて「さ、次はどこ行きましょう」と言い出した。

「矢部はすぐに、店に行きたくなっちゃうからな」倉地さんが大口を開けて笑う。
 
 中谷幸平はこの会が終われば帰るつもりでいたが、二次会への流れは避けられないだろうと思った。自分の歓迎会という手前、断ることは難しい。

「では二軒目行きますか」最後のジョッキを飲み干した吉田さんが言う。

『銚子漁港』を出る頃には、酔いも回り、中谷幸平の気分も緩んでいた。パチンコで八万勝ったという高揚もあったせいか、気持ちもどこか大きくなっていた。
 
 

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