母の変化
2月になってから、今年初めて実家へ行った。
帰るとき、駅まで父が送ってくれて、
母は玄関で見送ってくれた。
玄関を出るとき、母が寂しそうにしている感じがしたのでひるがえって
「マー坊(仮名/私の次男)がいつもこうしてくれるから」と言いながら、母をハグした。
お互いに「ありがとう」と言って別れた。
自分でやって泣きそうになった。
私はこうしたかったんだな。
好きな人に、好きな気持を表したかったんだな、と思った。50過ぎの娘と80過ぎの親。
………
ちなみにこんな投稿をするほど、長年、私は両親との折合いが悪かった。
その投稿のあとにいろいろなことがあって、帰り際にハグするようになった(そのとき限りかもしれないが、笑)。
これは綺麗事ではない。辛い思い出はやはり辛い。
ただ、長年の辛い思いを持ち続ける私のエネルギーがダウンしたからかもしれない。
………
このままでは自分が辛すぎるという理由だけで、
親との関係を変えたいとのぞみ、
親への期待(過干渉やめてほしい、けなさないでほしい、ジャッジしないでほしい、でも苦しい時に助けてほしいetc)
が大き過ぎて、今生では到底受け入れられないだろうと思っていたのだったが
本を読み、情報を検索しまくり、セミナーを受け、インナーチャイルドセラピーを受け、
自分なりにこれは!と思えるYouTubeを発見し、
自分のなかのインナーチャイルド?と対話をした。
またときには思考を休めて
「私は親から本当に望まれていなかったのか」と
感じてみるようにした。
………
不思議な話だが、母方のご先祖さまのお墓参りに1人で行ったとき。公共交通機関で行くのは30年振りくらい。
田舎なので、車があれば車で行っていたが、現在はひとり暮らしで車がない。車と公共交通機関ではルートが違うし、
今は道路が整備されており、バス停の位置が変わっていたりして、何度か方向を間違え、Googleマップを見ながら歩いた。
恐らくこちらの方向かとしばらく足を進めていると、ひらひらと飛んでくるモンキチョウを2匹くらいを見かけて、
お空から?「もうすぐ、こっちだよ」「来てくれてありがとう」という感覚を受けた。
そう、感覚。声でもなく、言葉ではない観念?もっと軽いものだが、そんなもの。
そして少し歩くとご先祖さまのお墓へ到着。まるで私が訪れたことを歓迎してくれているみたいだった。
人間50年もやってると、こういうことも時には起きる。
そのあとからだろうか。今生で諦めた父母との交流が少しずつ変わって来たのは。
ずっと、自分はいつか先に旅立つであろう親の墓に向かって、話しかけるのかと思っていたのだが。
上述の投稿のように、親とは距離を置いている間、
(1年半くらいか)
父は病気が見つかり、母は物忘れがかなり激しくなり、私も病気になったりで、そうなるともう
私のいまの生き方にとやかく言うエネルギーもおとろえたようだった。
エネルギーが弱ってからお互いをあきらめるという、なんとも負けず嫌いで不器用な親子なのだが、
円満親子だったら、私は音楽や作品に救いを求めることはなく、もっと傲慢で思いやりのない人間になっていたかも知れない。
自分の子に過干渉にしてしまい、彼らに嫌われて口も聞いてもらえなくなっていたかも知れない。
(とはいえ、母とはなにかしら子どもの心に影響を与えるので、重い負荷をかけてしまっているかも知れないのだが…)
会えば憎まれ口を叩き、ジャッジしまくっていた母が、自慢げに話し披露していた料理のレシピをすっかり忘れ、
嫌いな親戚のことも忘れ、フォークをしまっていた場所も忘れ、それでもところどころ覚えていることもあり…
私もだいぶ忘れっぽくなって来た😂ひとのことは言えない。記憶保持力はいずこへ…
新しい仕事では勘所がつかめずポンコツ振りを発揮…
(私にしては珍しいのだが、がんばらないで取り組むとこんなものなのかも知れない…)
このあとどうなるのか分からないが、
私のなかにある干からびなかった愛をほんのりとでも伝えられたことはよかったのか。
それも忘れられてしまうか、わからないけれど。
まあ、どちらでもいいか。
最後までお読みいただきありがとうございました。