「書く」という愛しい行為
日本語はたくさんある言語の中のたった一つにすぎない。
今は使われなくなった言葉もたくさんある。
ほんの僅かに残された五十音を駆使して
言葉になどできないことを、一生懸命言葉に
しようと奮闘する。
そこまでして叫びたいことってなんだろうね。
やっぱり愛?
テレパシーで通じ合うようになっても言葉は
使うのかな?
言葉が必要なくなったら、物書きには死活問題になっちゃうね。
「書く」という愛しい行為を続ける人は
愛の探求を諦めない人たちなんだな、と思う。
そんな諦めないで書き続ける人たちの尊厳が
守られるとともに、みんな尊重し合えるといいな。
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