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切り出した思い

主人に言った。主人に対する私の思い。そしてどう思っているのか全部話した。急に切り出された昼下がりのダンナ、眠気を抑えながら…抑えられてないけどね。人生の中で何度も繰り返された”いつものことか”って感じかなー。がまーん、タイム!!そんなように、私の長~い話を頑張って聞いてくれていた。なんとかね。その間、リビングの椅子に座りながらの状態でその内ほんとうに寝そうだった。あくびしそうだった。いやいや、心の中ではしっかりあくびしてたで。その時私はコップを洗い、そこにあった食器をゆっくりと話しながら洗いつつ、声が届くように水を制御しながらキッチン側から話してた。でもさぁ、急に切り出した私もわたしだけどさぁ、こ~んな話してるのにさぁ、今にも寝そうなんって、なんなんー。危機感ないねー

危機感

1、2か月前かなぁ、一応ちょっとは家族それぞれに伝えてた。弁当を作らないでいいようになったらね、(特定の場所の)アジアで暮らしたい。そこで住んでみたいから行くよーって。………勝手だねー。でも、これは、自分の内側からだから仕方ない。どうしたって仕方ない。

何も考えてないダンナ

ダンナはいつも言う。「僕は何も考えないからね」または、「僕は何も考えてないからね」一緒か。いや、ちょっとニュアンスが違う。まっ、そこはいっか。で、ダンナは、私がいろいろ考えて考えてぐるぐるしてしまうことに対してそういうのだ。「私はこんなに考えてるのに、なんでみんなそうじゃないん?なんでなんで?」って、このダンナとの人生で何度言ってきたことか。その回答が、「僕は何も考えないからね」…でもさぁ、「それでもいいの?私は、こういう思いをしてずっときてて、今こうして話してるんだよ。それでも考えないの?」と言っても、もう随分考えることをやめてしまった彼には私の最後の細い赤いリボンも感じられないのかもしれない。

細い赤いリボン

私、まだダンナのこと好きなんだねーって、これを書きながら思った。もう随分心が離れているけれど、離れて長くなるけれど、ダンナは私を本当に空気のようにしか考えていないけれど、いい人だもん。本当にいい人だもん。

「僕は何も考えない」

その言葉の中にいつの間にか私も含まれていたのを感じながら書いている。そっかー。子供の頃から人生60年でいいと思ってきたダンナ。昨日も「いつ死んでもいいから」って言ってた。いつの頃からか、変わらず同じこと言ってるよ。本当に…変わらない。…だから私の言葉にも薄ーい反応なんだよ。

もしかしたらとの考えが…

ずっと思ってきたんだけどね、もしかしたらね、それって私が重いものを背負いすぎてダンナの人生を変えていたかもっていう思いもあって…というか、そうなんだよ。環境ってことがあるもんね。私の母がそうであったように、私はダンナに強く影響してたんだろうな…と、敢えて自分に優しく書く私。優しいダンナだからエネルギーの差からいってどうしたって影響されるでしょって感じだな。だって、私激しいもん。最近やっとそれが分かったから質わるいよね。あ~、それも仕方ない。プロセスだから。

プロセス

でも、それでもね、互いに自分が選んできたプロセスであるといえるから、私はダンナを可哀そうとは思わない。自分のプロセス、自分が辿りたいプロセスだもんね。だから私は敢えて、私は私の思った道を行くことでダンナに誠意を見せたい。そこだけは譲れない。

楽しかった思い出

昨日もダンナと子どもが小さい頃にいた山梨での生活、本当に楽しかったよねって話してた。最高だった。友達との付き合い方、距離が分からなかった少し苦い思い出以外、本当に楽しかった。自然に溢れた緑が豊かなその場所は、私の人生に ”生” を与えてくれたように思った。感じた。思うよ。本当に。楽しかった。心からの友人たちが出来たのもその時。富士山、最高!!

考えて

「まだ時間あるから考えて。」、「何も考えないかもしれないけれど、考えて」…そう、ダンナに言ってみた。さて、どうなるかなぁ。

いつか…つづき
2024/4/28

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