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宗教や信仰についての雑記 #130

◯器

先日、鎌倉時代の僧、明恵上人はしばしば人を器に喩えていたという話を聞きました。
その器とは、仏の教えを受け入れる心を表していると同時に、仏道を実践する主体のことでもあるそうです。

この話を聞いて、器の喩えは見事だと思いました。器にはものを容れるための空間があります。そこにものを容れたなら主役はその容れられたものの方であり、器は脇役となります。
そのことは我執のないことを表しているように思えます。そのように我執をなくすことにより、慈悲の心を持つことができ、またそれを実践することができるのでしょう。

また、キリスト教でも、人を器に喩える表現が聖書に出てくるそうです。
やはりそこには、己を虚しくして、見返りを求めない愛を他者に注ぐといったような意味が込められているような気がします。

人は皆器のようなものだとしてもそれは、大量生産された使い捨ての紙コップのようなものではないでしょう。
それらの器は皆、それぞれが独自の色形と役割を持っている、言わば掛け替えのないものなのだと思います。

今の世は人が紙コップのようにみなされることが多いような気がします。
いや、それは今の世に限ったことではないかもしれません。おそらくそれは、政治・経済・行政といった世俗的な観点がもたらすことなのでしょう。
そのような観点も決して不必要なものではないのでしょうが、そればかりだとものの見方が一面的・表層的になっていまうと思います。

そのことを忘れずに、己の器を見失わないようにしたいです。

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