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宗教や信仰についての雑記 #65

◯世間虚仮

先日、久しぶりに「世間虚仮 唯仏是真」という聖徳太子の言葉に再会しました。

宗教多元主義の立場から観ると「唯仏是真」かどうかは何とも言えませんが、「世間虚仮」ということについては個人的にもよく感じることです。
この世の中には、着飾った言葉ばかりで内実が伴わないことがあまりにも多いと、常々感じています。
でもかく言う私も例外ではなく、こう在りたいと思う様と現実の自分とがかけ離れてしまっています。自分を律することの難しさを痛感しております。

この言葉は聖徳太子が政治の現場にいて、様々な人が己の見解の正しさを主張して、対立や諍いが絶えない様子を見聞きして、それを憂いて発した言葉のようです。

でもなぜ世間は虚仮となってしまうのでしょう。
虚仮と感じるときというのは、内実を伴わない巧言令色ばかりがはびこったり、自説の正しさを主張して言い争ってばかりだったり、そのような様子を見聞きしたときでしょう。
なぜそんな状況になるのかといえば、おそらく多くの人が、周りからの評価や評判を気にするからでしょう。
その原因を進化の観点から考えると、自分が属する集団の中での地位が高くなれば、それだけ自分の遺伝子をより多く後代に残せる可能性が高まるので、その方向に自然淘汰がはたらき、そのような性質が受け継がれてきたとも考えられます。

そうであるならば、世間が虚仮であるのはやむをえないとも思えます。しかし見方を変えれば、そのような社会はより動物的とも言えるでしょう。

そのような世間虚仮ということは、宗教(教団)の世界にもあるように思います。
内実を伴わない空虚な儀礼とか、他の宗教や宗派との対立や争いとかいったことはよく観られるように感じます。

私達は何か聖なるものを信じていてもなお、心が虚仮に陥る危険性を内に持ってのだと、常に自覚しておかなければならないようです。

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