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小説|腐った祝祭 第一章 40

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 執務室で書類を読んでいると、ドアをノックされる。
 クラウルが開けるとナオミが立っていた。
 サトルは驚いて言う。
「どうしたの?」
「入っていい?」
「ああ、もちろん。さあ、どうぞ」
 ナオミは照れくさそうに微笑んでいた。
 しかしそれは、少し芝居染みている感じがした。
 サトルは立たずに手を伸ばして、ナオミを自分の隣に呼び寄せる。
 両手をつかまえて、顔を見上げる。
「君がここに来るなんて珍しいじゃないか。なにを企んでる?」
 少し意地悪な言い方をすると、ナオミが、無意識だろうが瞬きを繰り返した。
 やはり企みがあるらしい。
「あのね」
「うん」
「出かけてもいい?」
 サトルの顔から表情が抜け落ちる。
 ナオミは取り繕うように言う。
「買い物がしたいの。お願い」
「駄目だ。セアラは休みだからね」
「一人で、いいえ、リックと行くわ」
「駄目だよ。あれからまだ三日しか経っていないって言うのに、なにを言ってるんだい」
「だって」
「なにを買いたいの?」
「……洋服」
「服ならもう、いくらでもあるだろう?ドレスが欲しいのかい?アーサー卿が帰ってくるのは来週だよ。その時のパーティー用なら私と一緒に選ぼう。明日、買いに行こう」
 ナオミは首を振る。
「ドレスじゃないのよ。ドレスはもう沢山持ってる。まだ着ていないのだってあるわ。私が欲しいのは普段着るものよ」
「それだって充分あるだろう」
「嫌よ。自分で選びたいの。お仕着せなんてもううんざり。ちっとも趣味に合わないわ。私はもっと可愛い服が欲しいの」
 ナオミは駄々っ子のようにサトルの手を振った。
「判ったよ。でも明日だ。明日私と一緒に」
「嫌よ。今日欲しいんだもの」
「ナオミ」
「だって、サトルさんと行ったら私が欲しいものは買えないわ。いつだってサトルさんが好きなものを選んでしまうじゃない」
「じゃあ明日は口出ししないよ。君が欲しいものを買えばいい。約束するから」
「嘘よ。そんなこと言っても、絶対その場に行けば意見を言うんだから。そのグレーなら、こっちのブルーの方がいい。そんな黒よりこの紫の方が似合う。ボタンよりほら、このリボンのタイプが可愛いよ。いつだってあなたが選ぶんだわ!」
 サトルは弱ってクラウルを見た。
 クラウルは肩をすくめただけで、知らん顔で仕事を続ける。
 ナオミに目を戻す。
「そんなに服が欲しいの?」
「ええ。自分で選ぶの。セアラがいなくてもいいわ。それなら彼女の意見を聞くこともないでしょう?都合がいいわ。私は私だけで選んで服を買うの」
「仕方ないな」
 サトルは溜め息をついて、ナオミの手を離した。
 そして電話をかける。
 短い会話の後「それでは、よろしく」と、それを切った。
 ナオミに向き直る。
 ナオミは怪しむような顔をしていた。
「カリオペに君がこれから行くと電話したんだ」
「どうしてブランドを指定するのよ」
「あの店のものなら文句は言わない。いいね?これは譲れないよ」
「ずるいわ。勝手に決めるなんて」
「嫌なら今日は家にいなさい」
「嫌よ」
 サトルが肩をすくめた。
 ナオミは仕方なく微笑んだ。
「判ったわ。そこに行かなかったら怒るんでしょう?」
「怒るさ。首を絞めてやるぞ」
「酷い人ね」
 サトルはナオミの手を包むようにして持ち上げ、その指先にキスをした。
 すべすべの手だ。
「手の状態はいいみたいだね」
「ええ。薬も夜だけで平気なのよ」
「なんだ、朝は怠けてたのか。気付かなかったな。それで?今日の帰宅は何時かな」
「4時」
「遅いよ。服を買うだけだろう」
「買い物の次は散歩に決まってるわ」
「遠くに行くのは許さないぞ」
 サトルは口調を強めた。
 これだけは冗談ではすまされなかった。
 ナオミは頷く。
「大丈夫よ。無茶はしないわ。だけど、リックとカフェでランチを食べてもいい?」
「私をおいてけぼりにしてリックとデートか?酷い奴だな」
「だって、途中でお腹が空くもの」
「詰め込んで行けよ、ここに」
 サトルはナオミの腹をくすぐる。
 ナオミは笑って身をかわした。
「もう!やめてよ」
 クラウルがやってられない雰囲気で仕事をしているのが伝わってくる。
 仕事場で少しじゃれ過ぎたようだ。
「今はまだ、お腹空いてないんだもの」
「判ったよ。でも本当に気をつけるんだぞ」
「ええ。それじゃあ、いってきます」
 サトルはナオミからキスをされる。
 やはり芝居染みている気がして、満足のいくキスではなかった。「いってらっしゃい」と言うと、ナオミは部屋を出て行った。

 サトルは椅子に背をもたれ、腕を組んだ。
 クラウルに聞く。
「どう思う?」
「仲のおよろしいことで」
「そうじゃなくてさ。ナオミ、よく物を買うようになったと思わないか?」
「閣下が買って差し上げるんでしょう」
「セアラたちと出かける時もよく買ってるみたいだよ。ナオミにカードを渡しただろう」
「ええ」
「ずいぶん使ってるんだ」
「何を買ってらっしゃるんです?」
「知らないよ。でも店からの連絡で、宝石類を結構買ってるのは判ってる」
「へえ。でも、気になるほど着飾っておいでではないようですが」
 サトルは左手を上げ、親指で下唇をつついた。
「そうだね。一人の時に引き出しから取り出して、テーブルに並べて楽しんでるんじゃないのか。色とか輝き具合にうっとりと、金をこっそり数えて楽しんでる守銭奴みたいに」
「閣下。その言われようはよくありませんよ」
「いつからあんなに物欲が出てきたんだろう?」
「閣下と共に生活されているんですよ。ご自分のお付き合いがどれほど広範囲かお考えください。ナオミ様だってお付き合いに大変なんでしょう」
「君はいつだってナオミの味方だな。別にいいけどさ、何を買おうと。それを一々詮索なんかしたくない。自由にすればいいんだ」
「それなら、よろしいじゃございませんか」
「あの日、ナオミを落ち着かせようと思って酒を少し飲ませたんだ。それから毎晩、寝る前に少し飲んでる。ナイトキャップが習慣になるとは思ってなかった」
「まだ三日でございましょう?」
「まあね。でもなんだか心配だよ。そのうち依存症になりはしないかな?そして服飾類を買いあさるんだ」
「どれもこれも、お勧めになったのは閣下でございますね」
「選ぶのはナオミだろう。そんなナオミは見たくないな」
「閣下。お言葉ですが」
 クラウルはファイルを棚に入れて、サトルに体を向けた。
「はい、どうぞ」
「ナオミ様を守ることが出来るのは、閣下だけなのですよ」
 予想していない言葉だった。
 手厳しく非難されると思っていたのだ。
 しかしクラウルは、少し淋しげな顔でそんなことを言う。
 サトルは何故だか、徐々にいたたまれない気持ちになってきた。
「判ってるよ、そんなこと」
 サトルは立ち上がり、部屋を出た。
 ナオミは約束通り、4時少し前に帰ってきた。
 大きな紙袋を自分の部屋に持って行ったが、どんな服を買ったかは秘密だと言って教えてくれなかった。
 そしてその夜も、甘いジンを飲んでいた。

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