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小説|腐った祝祭 第一章 13

 雨が降っていた。
 六時に目が覚めた時にはすでに降っていた。
 廊下の窓から外を眺めていたが、まだ夜のように暗い。
 背後でドアの開く音がしたので振り返る。
 部屋からナオミとセアラが出てくる。
「おはよう」
「おはよう」
「今日は滝を見に行こうと思っていたのに、この天気じゃ無理だね」
「滝?サトルさんって、いつも私には内緒で行き先を決めるのね」
「驚かせようと思って。ごめん、嫌かい?こういうのは」
「いいえ。突然で驚くけど、いつも楽しいからいいわ」
「よかった」
 サトルはいつものようにナオミの肩を抱いて、食堂へ向かって歩いていく。
 しかし、今朝は少し違った。
 予定通りならばナオミは明日、国へ帰ることになる。
 クラウルによると、ナオミは二日に一回手紙を出していたそうだが、もちろん内容は判らない。
 サトルは少し緊張していた。滅多に覚えない感覚だった。
 しかも、天気の悪さのせいで憂鬱にもなっていた。

 食事中に、今日は何をして過ごすかを話していた。
 その場にはクラウルもいた。今日の仕事は特にありません、というスケジュールを伝えに来ていた。
「本日は州立劇場でのミュージカルに、スプラウトホールでの演奏会などが催されております」
「スプラウトホール?」
 ナオミが聞いた。
 サトルが答える。
「農業組合の経営しているホールだよ。普段は映画の上映がよくあっているようだ」
「そう。なんだか可愛い名前ね」
「他には何かないの?」
「そうでございますね」
 クラウルは手帳を広げた。
 ナオミは人参のスティックにアボカドのサワークリームをたっぷりつけてカプリと食べた。
 ジョエルはナオミが美味しそうな顔をしたので、嬉しそうな顔をしていた。
「閣下にお誘いがかかったものでは、舞台芸術振興会による講演会。これは国際的に活躍中のルル出身映画監督が講演を行うそうです。青少年育成協議会では、青少年のためのスポーツというテーマで講演会が。これにはプロの、」
「クラウル」
 ややうんざりした声で、サトルは言葉を遮った。
「そんなの楽しくないよ」
「そうでしょうか。もしかしたらナオミ様は興味がおありかと。有名な人物がそれぞれ来られるわけですから。それに一応は誘われた催し物ですし、勉強にもなります」
「行かなくていいの?」
 ナオミが真面目に聞いてくる。
「そんなもの、いちいち行ってたら体が持たないよ」
 頬杖をついたサトルを見て、ナオミは疑うように言う。
「そうなの?サボっているんじゃなくて?」
 サトルは肩をすくめる。
 ナオミは少し笑った。
「違うよ。仕事は選別して片付けないと、無駄骨を折ることになるからね。他に楽しそうなのはないのかい?私の仕事関係は除外してくれよ」
「はあ、そうですね。国立美術館の印象派画家展は明日からですし、その他の美術館は通常通りですねえ。でも、ナオミ様は美術館には行かれていませんよね?」
 サトルとクラウルに視線を向けられ、ナオミは気まずそうに言った。
「実は、ルルに来てまず美術館に行ったの。あと、博物館にも」
「市内には美術館が三つありますが」
「ルルに到着した日に国立美術館に行って、翌日に二つ回ったの」
「ルルの美術館は国立でも一日あれば見て回れますからね。そうでしたか」
「ええ。それで、その次の日に博物館に行って、その帰りにバッグを盗まれたの」
 サトルはポンと手を打った。
「そうだよ。ナオミが引ったくりにあったのは、州立博物館前の公園だったね」
「ええ」
「そうか。じゃあ、博物館なんか行きたくもないよね」
「そこまでは言わないわ」
 ナオミは苦笑いする。
「ねえ、クラウル。そういったお勉強関係も除外してくれよ」
「そう言われましても、この天気ではお出かけ先も限られてきますから」
 クラウルは渋い顔をして言った。
「動物園や植物園も駄目でございましょう?動物園の屋内施設といえば爬虫類館くらいしかありませんし。そもそもルルの動物園は建物以外は小規模ですからね」
「そうだ、植物園には熱帯・亜熱帯館があったね」
「残念ながら、閣下。熱帯・亜熱帯館は現在改修工事中で閉館しております」
 そのセリフに若干の意地の悪い響きを感じ取ったサトルは、クラウルを少し睨んだ。
 クラウルは視線をそらしてとぼけた。
 サトルはむっと口を歪める。
 ナオミが笑った。
「ねえ、サトルさん」
「はい」
「私、この街を散歩してみたいわ」
「散歩?この雨の日にかい。それに今日は昨日より寒いよ」
「平気よ」
 サトルは少し考えた。
 最後の見納めだとでも思っているのだろうか?
 しかし、今はそれを聞くべき時間ではないだろう。
「そうだね、ナオミが言うのなら。でもまず初めに靴屋に行くよ」
「靴屋さんに?」
「それで君にブーツを買おう。それから散歩だ。クラウル、馬車の準備を」
「かしこまりました。何時にお出になりますか」
「十一時くらいかな。ナオミ、少しだけ仕事をするから、ちょっと待っていてね」
「少しと言わず、沢山でも構わないわ」
「いじめないでくれよ」
「あ、そうでした、閣下」
 一歩踏み出そうとしたクラウルが、元の姿勢に戻った。
「ん?」
「今晩のパーティーですが、午前中のうちに連絡をとのことでございました」
「ああ、あれか。あまり気が乗らないな」
「なに?」
「立食パーティーがあるんだ。呼ばれているのは文化人っていう名目の人間ばかりだけど、何をやってるのか判らない人間も混じっている。主催者は建築業組合で、そちらは特に問題はないんだけどね。どうするかな。他にこれといって変わったことはできそうにないからな。ナオミ、付き合ってくれる?」
 ナオミは首を傾げる。
「恥ずかしいもの。どうしていいか判らないし」
「こないだと同じようにしていればいいんだよ。あの時よりは気楽さ。王子様は来ないから」
「でも」
「それなら約束しよう。ずっと君の傍を離れないよ。言葉が聞き取れなくても、きちんと私が通訳してあげる」
「本当に?誰かに挨拶に行って、私一人取り残したりしない?」
「しないよ」
「うん……それなら」
「よし。じゃあ、クラウル。そういうことだから」
「かしこまりました」
 今度は、クラウルは真っ直ぐ部屋を出て行った。


 十時に執務室を出ると、ミリアが廊下で待っていた。彼女が本館の方へ来るのは珍しいことだった。
「ナオミがどうかしたの?」
 緊張気味に聞くと、ミリアは微笑んで言う。
「サトル様のお部屋の前でお待ちになっています」
「私の?」
「イエス、サー」
 ミリアは詳しいことは話してくれなかった。
 言われた通りに自分の部屋へ行くと、ジーンズ姿のナオミが廊下で待っていた。
 サトルはがっかりして言う。
「ナオミはドレスの方が似合うよ。きっと君は自分のことがよく判ってないんだね」
「だって、雨が降ってるんだもの。それに、どうせ今夜はおめかししなきゃいけないんでしょう?」
「もちろんだよ。みんなが君をダンスに誘うくらいね。それで、私がそれをことごとく蹴散らしていくんだ。で?私に何をさせようと企んでる?」
「あら、判ったの?私が何か企んでるって」
「判るさ。長い付き合いだからね」
 ナオミはフフッと笑った。
 そのいたずらっぽい笑顔からは、明日のことをどう考えているのか、少しも読み取ることはできなかった。
「私は廊下で待ってるわ」
 ミリアが部屋の扉を開けた。
 サトルが中に入ると、ミリアは早速仕事に取りかかったようだった。
 扉を閉めて急いで衣裳部屋へ行く。
「いったいどういうこと?」
「私が悪いのではありませんわ。ナオミ様に頼まれただけですもの」
 そう言いながら、表情は楽しんでいるようだった。
「どうも君たちは、ナオミの言いなりになってるみたいだね」
「そんな事はございません。サトル様の大事なお方だからこそ、ご機嫌を伺っているんです」
「よく言うよ。さっぱりそんな風には見えないよ。もしかしたら、この大使館はナオミに乗っ取られたのかもしれないな」
「そう、ご本人におっしゃればいいんですわ」
 サトルは口を閉じる。
 今日はサトルの負けのようだ。
 仕方ないのでミリアから呼ばれるまで、ベッドの縁に腰かけていた。
 衣裳部屋に行くと、普段はあまり着たことのないカジュアルな服が用意されていた。
「こういうのはあまり好きじゃないな」
「きっとお似合いになります」
「そもそも、こんな服持っていたかい?」
「サトル様が好まなくても、服飾メーカーが送ってこられます」
「ああ、そうだったね。さっさと送り返せばよかった」
 唸るサトルをよそに、ミリアはその上着を強引に脱がせる。
「お急ぎになりませんと、ナオミ様に嫌われてしまいますわ」
「私が?それとも君が?」
 ミリアは曖昧に微笑んだ。


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