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小説|朝日町の佳人 22

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 自宅に帰ると、両親と百合が仲良く食卓を囲んでいた。
「あら帰ってきたの?」
 そう言って母は取り立てた感動もなく、僕の茶碗に御飯をよそって箸と一緒にテーブルに置いてくれたが、明らかに僕の分のおかずはなかった。
 椅子に座ると、百合が自分の皿を僕に寄越した。
 ハンバーグが三人にそれぞれ二つずつ乗っていたようだが、その自分の一つ食べた残りを僕に差し出したのだ。

「何で百合が僕のおかずを食べてるんだよ?どう考えたっておかしいだろう、この構図は」
「だって、帰ってくるって思わなかったんだもん」
「自分んちの夕飯はどうなってんだよ?」
「今日は鯖の味噌煮よりハンバーグの気分だったの」
「吉岡家の鯖の味噌煮の立場はどうなるんだよ」
「明日食べるもん。煩いなあ、健ちゃんは」
「そうよ。食べないなら帰んなさい」
 女性陣に責められて、僕は黙々と食事を続けている父に目を向けた。
 父はちらりと僕を見て、ぼそっと呟いた。
「さっさと食べなさい」
「えぇ、何かないんですか?息子を庇う名言みたいなのは?」
「漬物でも何でも、食べる物があるならそれで良しとしなさい」
「お父さん格好いい」
 とは、百合のセリフだ。
 父はまた食べ続けたが、口元が嬉しそうに歪んだのを僕は見逃さなかった。
「何だよ、この家族は」
 フンと鼻を鳴らしてハンバーグを食べ始めた。
 きっと僕は産院で取り違えられた子供に違いない。
 全く、こんなに息子を軽んじる親に育てられて、よくグレずに真っ直ぐ成長したものだと、自分でも感心してしまう。
「ねえ、健ちゃん」
「何だよ」
「聞いたよ。彼女が出来たんだって?」
「はっ?」
 僕は驚いたが、父も顔を上げて僕の顔を見た。
 眉をしかめて、何故か少し怖い顔になっている。
「何それ?」
「彼女の忘れ物のハンカチを、洗濯してあげたんでしょう?」
 にやにや笑っている百合に、僕は半分呆れてまたもハンカチの一件を説明した。
 母にも同じ説明をした筈なのに、いい加減な伝言ゲームの調子で百合に伝えたようだ。
 聞き終えると、百合はつまらなそうに唇を尖らせて、グリーンサラダの新鮮なキュウリをポリポリと食べ始めた。
「なんだ詰まんない。こういうの何て言うんだっけ?幽霊の、正体見たり」
「枯尾花」
 言を継いだのは父だ。
 百合はそうそうと微笑んでサラダを食べ続けるが、僕は少し違うんじゃないかと心の中で思った。
「でも怪しいね、それ」
「何が?」
「それはきっと『ハンカチ落としましたよ作戦』よ」
「何だよ、その作戦」
「好きな人の前でわざと忘れ物をして、それを拾って届けてもらうの。そうやって会って話をするチャンスを作るのよ。割とよくある手ね。まあ、こういうのは上手くやんないと、バレバレだったりして格好悪いんだけど。多分、その状況はそうだと思うな。絶対とは言わないけど、その場合の可能性は60パーセントね」
「どうやってその割合を出すんだ」
「勘で」
「あっそう。じゃあ、その相手が根木さんだというデータを入れたら、どれくらいの割合になる?」
「根木さんなの?」
「うん」
「そうなんだ。そうねえ、彼女のことよくは知らないけど、あの人のイメージから言うと……70パーセントに上がるわね」
「上がるのか?」
「うん。そういうの好きなおちゃめさを持ってると思う。けど相手が悪かったわね。健ちゃんがすっかりハンカチのこと忘れちゃってたから、根木さん痺れを切らして自分からデートに誘ったのよ」
「デートなんてもんじゃないよ」
「デートよ」
「ただハンカチを返しに行っただけだろう」
「なによムキになって。根木さんのこと嫌いなの?」
「嫌いとか好きとか何にもないよ。単なる仕事先の社員ってだけなんだから」
「そうなんだ。じゃあ、あの大人の女の人って、根木さんじゃないんだ」
 僕は箸を落としそうになって、慌てて手元を整え、茶碗を持ち直した。
 チラッと百合を見ると、探るようにこちらを覗いている。
 同じような目で両親にも見られているようだが、緊張して確かめることはできなかった。
 しかし何故僕が緊張しなければならないのか?
 百合がもっと突っ込んだ質問をするかと思ったのだが、それきり何も言わないので、余計に妙な心持ちで食事を続けた。
 沢口氏から百合の耳に入ったのだろうが、彼がそんなにお喋りな男だったとは意外だ。
 しかもどういう風に、どこまで伝わっているのか判らないので、下手にこちらから喋ることも出来ない。
 
 しばらくして、母が百合に小声で声をかけた。
 いくらコソコソしたって、同じ食卓に着いているのだから何と言っているかは聞こえる。
 百合もコソコソと返事をするが、同じことだ。
「大人の女の人ってなあに?」
「その筋の情報によると、最近、大人の女の人と時々デートしてるんだって。だからおばさんから、ハンカチ事件を聞いた時、ああその人だって思ったの。でも、違ったみたい」
「まあ、嫌ねえ、そんな何人もの女の人とデートするなんて」
「本当、空々しいこと言っちゃってさ」
「不潔よ。そんなの私大嫌い」
 僕は茶碗を置くと、咳払いをしてから言った。
「あの、もしもし。もう少し自分の息子を信用してみてもよろしいんじゃないでしょうか」
「まあ、いやらしい、立ち聞きなんかして!」
「いや、立ち聞きはしてない。絶対」
 と、食事を終えた父が立ち上がった。
 そして僕の頭にゴンと拳骨をぶつけて、「この浮気もんが」と言うと、台所から出て行った。
 いったい誰に対して浮気をしたって言うんだ?
 僕が納得いかずに頭を擦っていると、母と百合はクスクスと笑いだした。
「おかしいよ、この家族は。どこかが歪んでる」
「あら。こんなに楽しい家族は滅多にないと思うけどな、私は」
「楽し過ぎなんだよ。百合、その情報がどの筋からのものなのか、二階でゆっくり聞かせてもらおうか」
「ニュースソースは明かせないわ。常識じゃない」
「二階は駄目!」
 急に母が怒鳴ったので、僕も百合もそちらを見た。
 母が真面目に僕を睨んでいる。
「もう、あんたの部屋に百合ちゃんを入れないことにしたの。また泣かされたら困るもの」
「あれは、別に、泣かせようと思ってやったんじゃ」
「そう言えば、私、謝ってもらってないなあ」
 目を細める百合に、僕は渋々頭を下げた。
「悪かった。言い過ぎました。ゴメンなさい」
「心がこもってない」
「とにかくお母さんは許しません。話ならここでしなさい。家の大事な百合ちゃんを、あんたみたいな女たらしと二人きりにはできません」
「あのですね、あなたの実の子供は僕でしょう?百合はいつから家の養女になったんですか?」
「いいのよ。私はおばさんのバーチャル長女なんだから」
「何だそのゲーム」
「いいの」
「そうよ。いいの」
 二人の強力なタッグは崩せそうになく、この場で沢口一郎の話をあれこれする気にもなれなかったので、僕は仕方なく食事を済ますと一人で家を出た。
 
 アパートの階段に足をかけて、もう秋になりかけているものの、まだ薄明るい夕空を見ていると、これから沢口氏を訪ねても失礼ではないように思えて、踏み込んだ足を降ろして屋敷に向かった。
 しかし、呼び鈴を押す間でもなかった。
 沢口氏は屋敷の玄関前に突っ立っていたのだ。
 僕が声をかけると、振り向いて、ほっとしたような困ったような、彼にはよくある微笑みを浮かべる。
「どうしたんですか?」
「それが、泥棒が入ったみたいで、どうしようかと」
「ど、どうしようかって、それは警察に」
「ええ、それが」
 沢口氏が煮え切らない様子で口ごもると、開いた玄関から急に男が飛び出してきた。
 マスクをつけて、眼鏡をかけている、地味な服装の小太りの男だ。
 それが沢口氏の前で一旦躊躇したものの、その後は凄い勢いで走り出し、半分開いていた門を抜けて駅の方向へ走っていった。
 僕はその方に指を差して言う。
「あ、あれは?」
「はあ、泥棒さんのようですね……」
 今まさに?
 僕は慌てて男を追いかけようとしたが、そんな僕に沢口氏は慌てて駆け寄り、腕を掴んで引き止めた。
「いいんです!危ないですから追いかけたりしないで下さい!」
「でも、まだ間に合う」
「いいんです。田中さんに怪我があったら困りますから、本当に、止めてください」
「だけど」
「いいんです。お願いします。私も怪我せずに済んだんです。それなのに、他の人が怪我をなされたりしたら、本当に申し訳ないですから」
 僕は他人事ながら口惜しい思いだったが、仕方がないのであきらめた。
 沢口氏もそれが判ると僕から離れた。
「本当にいいんですか?僕、割と足速いんですよ。追いつく自信あったのに」
「駄目です。いいんです。本当に、すみません、お騒がせして」
「いいえ。それなら、早く警察に通報しましょう」
「そうですね」
 そう言いながら、沢口氏は呑気に思えるくらい落ち着いた様子で屋敷に入っていった。
 
 僕は沢口氏の背中を見送りつつ、半開きの門の手前から半開きになったままのドアの内側を眺めた。
 遠目に見ても広そうだが、薄暗くてよくは判らなかった。
 しばらくすると、涼しげな照れ笑いを浮かべた氏が戻ってきた。
「先刻の方、現金を少し盗っていったくらいのようです」
「方って言い方もないでしょう。それで、警察はすぐに来てくれるんですか?」
「ええ、その、大したことはないようなので、今回は通報しなくても、いいかなあ、なんて」
「は?いい訳ないでしょう。まだ電話してないんですか?」
「はい。もうこんな時間ですし、警察が来たりしたら、御近所にも迷惑じゃないでしょうか」
「そんなこと言ってる場合ですか。泥棒が入ったんですよ」
「でも本当に、家の中も特には荒らされていませんしね、警察なんて、何だか面倒だと思いませんか?」
「思いません。そりゃ、あなたの事なんだから僕がとやかく言えないかも知れないけど、でもやっぱり、警察には言った方がいいですよ。下手すれば近所の治安にも関わってくる問題かも知れませんよ?」
「ああ、なるほど。そういう事なら、連絡しない訳にはいかないですねえ」
 沢口氏はやっと納得するように頷いて、それから思い出したように僕の顔を見た。

「ところで、田中さんは何か御用があって来られたんじゃないですか?」
「あ!そうです。僕は聞きたいことがあったんです。あなた百合に話したでしょう?」
「え?」
「大人の女が云々って」
「あ、ああ」
 彼は誤魔化すように笑った。
 僕は誤解を受けて、弁解しようにも出来なかったのだと訴えた。
「そうでしたか。ついついポロッと話してしまって、これはすみませんでした。と言うのもですね、私も少し不思議だったんです。あなたがやけに大人大人と言うものだから、私なりに想像していたんです。それであの雪見灯篭の方がイメージに合っていたので、そうかなと見当をつけていたところに、あの晩飲んでいたのがその根木さんとかいう話で、それじゃあ少しも大人っぽくないから、いったい田中さんの感性はどうなっているのかな、なんて」
「勝手に人の感性を疑わないでください」
「いいえ、なかなか良い感性をしていらっしゃると、私は今関心致しました」
 からかうように言う彼に、僕はすがるように言った。
「だから、あなたの誤解はそのまま百合に伝わるんですから、妙な想像はもう止めてください」
「そんな、人間は想像する生き物ですからね。そんなこと仰られても、私はあの雪見さんとあなたとが、いい雰囲気だったんだろうと、今にも目に浮かぶようで」
「止めてください。確かにデートはしていますけど、なんて言うか、そういう、そういうんじゃないんですから」
「判っています。私はあなたが羨ましいんでしょう。何だかんだ言いながら、結局は百合さんしか見えていないあなたが、人として羨ましいんですよ。だからつい、苛めたくなるんですね」
「苛めないでください。僕に本当に付き合っている人がいるんなら、それを隠す必要はないですけど、違うものは違うんですから、妙な誤解を受けるのは嫌なんですよ。判るでしょう?」
「承知いたしました」
「本当、お願いしましたよ」
 ニコニコしている沢口氏に僕はじゃあと言って帰ろうとしたが、思い出して一言付け加えておいた。
「警察。連絡を忘れないように」
「はいはい。判っています」

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