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90年代初頭の地元はマジ後進国だった話 -店内飲食編-


まだ日本に帰ってきたらばかりの頃、テレビでは「外国人観光客が店のものを食べてから会計しようとしてる」とよく話題になっていた。
この行動は私の育った地域では普通だったか?と聞かれれば間違いなく昔は普通だった。他の地域はどうかと気になったのでネットで簡単に調べてみたが、意見が
【一般的派】と【教養ある人はやらないよ派】で意見が割れていた。

実はこの問題、国や地域だけでなく見方や立場によって意見が分かれる話なので簡単に解説してみたい。

地元のスーパーの例

地元はヨーロッパの歴史ある小さな町だが、少なくとも90年代は人種国籍関係なく、比較的よく見られる光景だった。しかし、2000年代に入った頃には徐々に見かけなくなった。とはいえゼロになったわけではなく、たまに見かけては「あー、やってるやってる」となる程度で、つまるところ実際にやっている人は少なからず存在したことは確かだ。

とはいえ誰もが普通にやっていたか、と言うと実はそうでもないのだ。

どちらかといえば子供やどうしても我慢できない時のイメージはある。特に東京はスーパーの売り場面積が私の地元と比較するとすごく小さいので実感がないかもしれないが、入り口からレジまでが地味に遠いし、防犯の関係でゲートが付いていることが一般的で、一度出ると入るのにもう1周しないといけない。つまり夏場ものすごく喉が渇いている状態で買い物するとなると開けて飲みたい人はいるよねと言ったところではある。

やらないタイプの人はおそらくマジでやらないと思う。そういう道徳観の人からすると「普通の人はやらないでしょー」とはなるだろう。

つまるところお育ちが関係してくるので「一緒にされたくない」という人は結構いるかもしれない。日本と違って社会階層がはっきり分かれているので、ギャップが大きい。

店内での飲食の他にも「パッケージを開けて中身を確認する」という行為があって、これは二千年代でもそこそこ一般的であった。例えば電化製品で色展開がある場合、外箱に色が記されていないことが多いので中身を開けてないと何色かわからないという時代があったのだ。あるいは他の客がパッケージを開けて商品を食べたり、盗んだりしている例もある。
ただしこれは商品と他の客への信頼性の問題であって、買わない場合もあるので「買うんだからいいでしょ」という考え方によるものではない。

つまり、やらない人はやらないが、ぼんやりと全体を見るとやってる人は一定の数いた。

実は同じ頃、海の向こうでも同じ話題が

本帰国後、父を訪ねるために地元に戻っていた時、テレビをつけると「スーパーで中国人達が店のものを食べてから会計しようとしてる」とか言ってるのを見た。これがメジャーな言説だったかはちょっと記憶にない。

正直、今になって中国人のこと馬鹿にするなんていい身分だな?と思った。
自分たちを棚に上げてよくそんなことが言えたなと。

思うところと法的なところをざっくり解説

「世の中このくらい寛容でもいいんじゃないか」という意見もこの頃ネット上では見かけたのだが、私はこれは寛容さとはちょっと違う気がしている。そうでないと年月とともに減ったことの説明がつかない。逆に言うと徐々に社会が不寛容になっていったわけではない。

ちなみに私の育った地域ではスーパーなどの店舗において売買契約成立のタイミングは日本と全く同じで、レジで支払いが完了したとき初めて所有権が移行する。

"In zivilrechtlicher Hinsicht gilt, dass man vor dem Bezahlen noch kein Eigentum an der Ware erworben hat. Eigentlich darf man daher nichts damit machen – außer sie zu bezahlen. Erst dann erlangt man die vollständige Herrschaft über sein neu erworbenes Eigentum." Prinzipiell gilt also: Wer seiner Tochter die Gummibärchen schon im Supermarkt öffnet, verstößt gegen das Zivilrecht.

Frage & Antwort, Nr. 212: Darf man Ware vor dem Zahlen öffnen? - n-tv.de

上記を簡単に日本語で要約すると、店の商品を支払う前に商品を飲み食いすることは違法で、所有権の移行について、支払い以外の方法は民法上認められていない。

この記事では以下のように続いている:

窃盗の意思("不法領得の意思")がない限り窃盗罪/器物損壊罪は成立せず、刑罰は科せられない。(万引きGメンに見つかるなど、現行犯だと言い逃れは厳しくなるので成立しうる。)
そして民法では被害者が訴えない限り何もおきない。(最終的に支払われる限り、訴える必要がない。)

つまり、

日本では「不法領得の意思」がなくとも、他人の財物を、自己の支配下に置いたとき窃盗罪が成立し、刑罰の対象になるが、特段悪質でない限り、見逃す方が通報/裁判するよりコストが安いことが多い。(どこぞの誰かのように映像配信して「ほら平気だぜ!」ってやるのは模倣を誘発するので悪質と言えるんじゃないだろうか)。

私の地元では他人の財物を、自己の支配下に置いたとき民法に違反しているが、「不法領得の意思」がないため刑罰の対象にはならない。よって結果的に支払いが行われている限り、訴えたところで罰せられるわけでもないので、見逃す方がコストが安いと言ったところだ。

それは本当に「寛容」ですか?

寛容さで違いがあることもあるとは思うが、社会のシステム上発生している状況が結果として"寛容"っぽく見えているだけだったりすることを日本の人には知ってほしい。例えば嗜好品としての大麻が合法になっている地域があるのは薬物使用に寛容なのではなく、取り締まりきれなかったからだったりする。

法律は国によってロジックが異なるので単純比較できません。よって、そのロジックを理解しないまま「同じようにしよう!」と声高に叫ぶのは慎重にお願いしたいところです。

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