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偏見と平等 第三話【短編小説・ショートショート】

ピピピピピピピ……。

目覚まし時計が鳴り、私はガバッと飛び起きた。
睡眠時無呼吸症候群だろうか。起床してからも息が詰まっているような感覚がある。

酷い悪夢だった。人事AIが学習を重ねて偏見と不平等を身に着けるなんて。
けれど、あり得ない話ではない。人事AIが機械学習を重ねてどのように進歩していくかはブラックボックスで、開発者にも予測することは不可能なのだから。

『人事AIはいずれ必ず破綻をもたらす』。

私は考古学者となって元上司の言葉を掘り起こした。この忠告には黄金の価値があったのだと思い直し、元上司に対する評価を少し高くした。
私は出社すると社員たちを会議室に集めて、人事AIを再構築することを提案した。外見に関わるデータを教師データから排除してからAIに再学習させ、悪夢で見たような事態を回避しようと考えた。

「偏見を持たないAIを作ることには賛成です。しかし、一から作り直せば膨大な時間がかかり、一般企業への提供を延期することになります。『人事君』を市場に投入しつつ、並行して別のAIを製作していけばいいのではないでしょうか?」
社員たちはそう言った。

私はその意見には反対だった。
人事AIの開発を志したのは、人間とは違い偏見や先入観を持たず、公平・平等に人事査定をしてくれると考えたからだ。人間と同じような判断を下す可能性があるとわかった以上、改善せずに市場に解き放つわけにはいかない。
そう社員たちを諭すと同時に、ある対案も提示した。絶対的に公平・平等な判断を下す人事AI『天命君』を販売することを。

『天命君』は私が長年密かに温めていたアイディアが元になっている。『人事君』とはまったく別の思想で構築されるAIで、機械学習に頼らず、開発コストも開発期間もほとんど必要なく、明日からでも、いや一時間以内には運用可能になる。
悪夢の中で丁半博打が行われているのを見て、上手くいくかもしれないと直感が働いた。

社員たちは私の説得に応じ、提案を受け入れてくれた。『人事君』に関しては改良を施してから販売を開始し、それまでは『天命君』を先行して販売していくことが決定された。
いざ販売が始まると、『天命君』の売り上げはまずまずだった。数十社あまりの中小企業と契約を結ぶに至った。

おそらく、手軽さが受けたのだろう。
『天命君』は『人事君』とは違い、社内に監視カメラを設置する必要もなく、各企業に収められている既存の人事関係のデータを送信してもらえれば、二十四時間後には査定が出た。


三ヵ月後。
第一期の経過報告で『天命君』はプラス1%の営業利益を達成した。
すると、その結果は経済紙やネットの経済情報を扱っているサイトで話題となり、大企業からもオファーがくるようになった。

さらに三ヶ月後。
『天命君』は予想をはるかに超える成績を達成した。
大企業での営業利益が前年比プラス10%から20%も伸びていた。企業の規模に比例して、大きければ大きいほど営業利益が伸びていた。

この数字に私と社員たちは戦慄した。あり得ない数字を前にして恐怖を抱いた。
『天命君』は確かに、絶対的な平等の判断を下す。でも、だからといって営業利益に繋がるような人事査定を下しているわけではなかった。加えて、各企業には『天命君』を運用するために人事データを送ってもらっていたが、実際に必要だったのは社員名簿だけだった。二十四時間以内どころか、一秒の十憶分の一秒であるナノ秒後には査定は出た。私たちは嘘をついていたのだ。人事資料を精査しているのか疑いをもたれないようにするために、わざわざ二十四時間後と公表していた。

『天命君』の出した結果に怯えながら、私たちは一丸となり『人事君』のヴァージョンアップに努めたが、前年比プラス10%の好成績にはどうしても届かなかった。どうあがいてもプラス5%の壁は越えられなかった。
私たちが改良を施していたその間も『天命君』は売れ続けた。爆発的なほどに。

誰を昇進・昇給させるのか? 誰を他の部署や地方に異動させるのか? 誰をプロジェクトリーダーに据えるのか? 誰を本部に復帰させるのか? 誰を幹部候補として経験を積ませるのか? 誰を? 誰を? 誰を……。

『天命君』は的確な答えを出し続けた。人事における神のような存在として崇められるようになり、日本国内のみならず国外からも契約したいという企業が殺到した。その中にはあの検索エンジンで有名な超巨大IT企業の名前もあった。

『天命君』は企業風土の違いなど物ともせず、結果を出し続けた。超巨大IT企業では『天命君』史上最高の前年比プラス30%という営業利益を叩き出した。
この数字は私たちのやる気を完全にへし折った。
人間は偏見と先入観から逃れられない、捨て去ることができない。そのことを心の底から理解した。

『人事君』の改良なもはやど不要だと知り、自暴自棄になっていると、タイミングよく超巨大IT企業から買収の話が持ち掛けられた。
私はその提案を即座に受け入れ、会社を売却した。

会社を売って得た巨額の資金は、社員たちと平等に分け合った。一生遊んで暮らしいけるだけの金額だった。
会社を畳んだ私は、身を隠すように南の島へ移住した。他の社員たちも同じく身を隠すように日本国外へと移住していった。


数日後。
検索エンジンを手掛ける超巨大IT企業のCEOの執務室に、人事AI会社買収の責任者を務めたプロジェクトチームのマネージャーが飛び込んできた。

「大変ですCEO。とんでもない事実が判明しました」
「落ち着け。そんなに焦って一体どうしたというんだ?」
「『天命君』はパンドラの箱でした。『天命君』は解析してはいけないパンドラの箱だったんです。こちらを……覚悟を持ってこちらの報告書をご覧ください」

CEOは薄っぺらい一枚の紙切れを受け取った。詳細な報告を期待していたのだが、僅か一行の文章しか記載されていない。
CEOはそれに目を通すと絶句した。

「報告。『天命君』はランダムな抽選を行っているに過ぎない。」

そう書かれていた。

「CEOが驚かれるのも無理はありません。私も自分の目を疑いました。ですが、そこに書かれていることは真実です。私も自ら何度もテストを繰り返し、そのような結論に至りました」
「間違いないのか?」

「ええ。我が社の社員三千名について誰を役職に就けるのがいいのか『天命君』に繰り返し一万回ほど訊ねてみましたが、同じ結果になることは一度もありませんでした。『天命君』は社員名簿のデータを取り込むと、社員に番号を振ります。一から三千まで。その上で一から三千までの乱数を作り出し、抽選をしているだけでした。『天命君』はAIではありません。誰でも作り出せるただのプログラミングです」
「そんな馬鹿な……我々人間が行ってきた人事査定はサイコロを振るよりも劣っていたというのか……?」

「残念ながら、そういうことになるかと。人間は人間に対して総合的な判断を下す能力が備わっていない。ということかもしれません。どうしますか? この事実を公表なさいますか?」
「そんなことできるわけがないだろう。『天命君』は世界中の企業で運用されているシステムなんだぞ。真実を公表すれば、我々の会社の信用は失墜する。いや、それだけでは済まない。労働者からインセンティブが完全に失われる。ランダムな抽選で人事が決定されている事実が知れたら、誰もまともに働こうなどとは考えなくなる。そうだろう?」

「仰る通りだと思います。それに――」
「――それに、私や君が今の地位に抜擢されたのも『天命君』のお陰だしな……」

【了】

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