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【エッセイ集】①島のみえる海岸の街

 私たち家族は毎年、夏になると千葉・内房にある海岸から大きな島のみえる街へと出かけた。東京からは千葉駅で内房線に乗り換えて2時間ほどの場所にあった。昭和40年代の当時は、海水浴に向かう家族連れなどで車内は混み合い、座りきれないものだから床に新聞紙を広げて通路にまで座り込む光景など普通だった。その混雑に拍車をかけるように、子供達は海に着くまで待ちきれないものだから、車内で浮き輪やビーチボールを膨らませたから、ただでさえ狭くなっている車内はいっそう膨れ上がった。

 駅に着くと数千の蝉時雨と、どこか懐かしい磯の匂いと、露出した肌を容赦なく針のむしろごとく刺し込む夏の日差しが私たちを迎えた。海岸までの道のりは楽しい。海まで続く小さな川沿いの田舎道を歩いてゆくと、川辺に小カニがたくさん出てきて、いっせいにその両手のハサミを上下に動かす。その仕草がまるで蝉の声をたよりにラジオ体操をしているように私には見えた。
「体操しているよ」「そうだね、カニも朝は体操するんだね」と父が微笑んで言った。歩いて10分ほど、小さな橋を渡ると宿泊する海の家に到着した。一階は広い座敷になっており、日帰りの海水浴客が着替えや休憩、食事ができるようになっている。建物の横にはシャワーが並んでいた。座敷の正面は窓も壁もないフルオープンな空間となっていて、正面にはポッカリと島の浮かぶ海岸が広がっていた。「今年もお世話になります」と父母が馴染みの女将さんに挨拶をする。「坊やたちは見るたびに大きくなるね」と私と兄の頭を撫でた。私たち家族は宿泊するので二階の部屋へと早速案内された。八畳ほどの広さの和室に扇風機とテレビとテーブルがあるだけのシンプルな部屋で、出て直ぐのところにトイレが三つほど並んでいたと記憶する。二階の窓からの景色は海岸とは反対側にあり、小さな小道を挟んで崖の切り立った山が直ぐのところに迫っていた。その崖をバックに小道沿いに、数店の土産物店が並んでいるのが上からよく見える。
「早く泳ごうよ」と私は部屋に入るやいなや水着に着替え、プラスチック製の黄色いポンプを足で踏みながら言った。この頃の私は小学校に入学したばかり――やっと泳げるようになったのが楽しくてしかたなかった。でもまだまだ「ヨチヨチ泳ぎ」だったので、大きな浮き輪をかかえていなくては海に入るのが不安でもあった。海の家の前の川にかかる小橋を渡って、海岸が広がっている。レジャーシートの上に、海の家で借りた大きなパラソルを広げ、父はビールを飲みはじめる。その横で母は早速、日焼け止めを塗っている。私は兄と一緒に波打ち際で、寄せては返す波と一心不乱にたわむれて遊んだ。この当時、海岸とは反対側の入り組んだ岬の先が磯となっていて、海岸よりも水がとても澄んでおり綺麗なコバルトブルーの色を見せていた。水中めがねをかけて覗くと、ゴンズイの稚魚が球のような群れとなって海藻の揺れる向こうから歓待してくれた。潮だまりには小さなヤドカリや磯カニが無数にいて、仮面ライダーの絵柄のついた小さな青いバケツに、これでもかと集め取ったものだ。サザエやトコブシなども子供の手でも採ることができた芳醇な海だったが、この磯にも開発の波が押し寄せ、今は大きな漁港基地となって跡形もない。

 海外のブイのむこう、浮かんだ島へは海岸の切れる端の、磯のあった小さな船着き場から「ポンポン船」に乗って渡してくれた。十人も乗れば沈みそうな小さな木造船だった。それでも、深い海の上を島に向かってすすむ時は、そのエンジンの音がたくましく聞こえ、鼻に着く重油の匂いも、海風が消し去ってくれた。島へは20分ほどかかったか?幼い記憶にはそのくらいに思った。島には小さな桟橋があり、上陸すると島の岩を削って造ったと思われる大きな「洞穴」のような空間にテーブルや椅子が並べられており、簡単な軽食がとれるようになっていた。後に知ったのだが、ここの島の持ち主の「お爺さん」が経営していたらしい。
この島には海岸がない。どこも岩場の磯が島中を囲んでいたが、島といってもそれほど大きな島ではなく、平らな土地は、その「洞穴食堂」の周辺くらのもので、あとは切り立った崖にうっそうと木が生えていた。海岸とは違って水が冷たく、コバルトブルーに澄んでいる。ここでの一番の楽しみは磯場でのアクアラングだ。水中眼鏡をつけて海中を覗くと、小さなアクアブルーに輝く小魚の群れや、黄色の尻尾を優雅にくねらせて泳ぐ魚の群れなどが、幼少の私をさながら「竜宮城」へと招待してくれた。この島にはサザエやアワビもいて、持ち主のお爺さんは「いくらでも採っていいよ」といつもお墨付きをくれた。

 日が暮れる前に宿に戻ると、大盛りの舟盛りの刺身や煮魚やスイカなどのご馳走が待っていたが、私にはそんなものにはさして興味がなかった。早く夕飯をすませて、海岸裏にある「土産物店」を見て回りたかった。薄暗くなった中に立ち並ぶ土産店の明かりの中には「シャワーのように水のかかる下には、プラスチック製の緑のかごに入った黄色やピンクの色鮮やかな海ほうずき」がアセチレンの匂いの漂う中に浮かび上がった。店内には「紙製の箱に入った何列にも並んだ貝の標本」がいくつも並び、その横にはなんと「カブトガニの剥製」まであるではないか。
店の前に張り出した木製ベニヤ板の上には幾種類もの花火が「花畑の絨毯」を演じている。さっきから涼しい音色が暑かった昼間を忘れさせてくれている――うすく平たい貝殻を何枚も何枚も結んで笠の下のくくりつけた風鈴が白とオレンジのコントラストの中で輝きささやいている。
私はジーンズの半ズボンのポケットに折りたたんでしまっていた五百円札を広げて支払い買ったカブトガニの剥製の箱を大切にかかえて宿へもどった。その際に足下にたくさんいる「赤手カニ」を何度も踏みそうになりながらビーチサンダルの鼻緒型に日焼けした足でよけて歩いた。
海岸では花火があちらこちらで打ち上がり、ロケット花火の「ヒュー、バン!」という音が、波の音の上でハーモニーを繰り広げていた。

 帰りの車内でも大切にかかえてかえった「カブトガニ」はその後、私の部屋の机の棚上で、「あの暑かった夏の海岸の汐の匂いと輝く小魚の群れ」を見る度に思い出させたが、それもいつの間にか無くなっていた。いつから無かったのかは記憶にないが、その頃にはあんなに輝いていた海辺の街の景色もいつしかたくさんの興味の鉾先にかき消されていた自分に気がついたのだ。

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