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自己紹介㉑ 次男Part2

小さく生まれて心配した次男だが、とっても元気で可愛らしく成長した

私がワーキングママのため、翼は5ヶ月で保育園に。はじめは、なんでこんな場所に(。・ˇдˇ・。)と腹をたてていたのか、意地でも🍼を飲まなくて、何度も会社に

👩翼くんが🍼を拒否して、どうやっても飲まないんです。脱水になると怖いので帰ってきてください

と電話がきた💦

保育園からも哺乳瓶で🍼を飲む練習させて、飲めるようにならないと園に来てもらえないと言われて、めっちゃ悩んだ(´・_・`).。oஇ今思うと、もっとママとおりたかったのかな

もうすぐ6ヶ月くらいだったので、なんとか、麦茶と離乳食で誤魔化し、誤魔化ししながら、無理な時は保育園から呼び出され、早退しながらも頑張って出勤。今もそこに勤めてる。

仕方がないとはいえ、ワーママの子の試練だなあと思う。ごめんね、頑張ってくれてありがとう

クラスでもひときわチビだったけど、言葉も早くて、歩くのも早かった。1歳から見せたり聞かせたりした英語のおかげか、初めて🍎を言ったのは

👶あっぽー、アッポー(英語( ゚д゚))

だった。物覚えもいいし、人懐っこいし、ご近所さんにも人気者。どんな子に育つんだろうとワクワクした。

少し『ん?』と思い始めたのが、4歳くらいから。

〇絵が単色で🌀🌀🌀🌀だけなこと。
〇その頃通っていたECCの点結び、なぞりの課題も筆圧が激薄で、点から点へまっすぐ線がひけない。
〇周りの子は座って話を聞くのに落ち着きがない。
〇先生と目が合わない

何でだろ、何でだろ。でも、普通に喋るしなあ、ちょっとゆっくりさんなのかなあ。ホワホワほわほわしてるからかなあ。

と自分に言い聞かせて過ごしていた。

小学校の入学前診断のときに『支援級をお願いしたほうがいい』と保育園の先生に勧められた

今思うと泣くことでも無かったのかもしれないけど、我が子が普通の子供ではないと言われたような気がして、支援という言葉がとても重い気がしてものすごく不安になった。

主人とも話し合い、支援をお願いすることにしたけど、それまで全く支援が必要と思わなかった(現実と向き合ってなかったのかもしれない)私は一気に『どうしよう』星人になった。

長男の頃は、支援級というのが無かった。

空気が読めない子、クラスという集団に入れない子、勉強が遅れてる子、そういう子も含めみんな一緒くたんヽ(*´∀`)人(´∀`*)ノ同じクラスだった。私が子供のときもそうだったし、そういうもんだと思ってたが今はどうも違うらしい。

そんなことすら初めて知るレベル。

どうしよう、どうしよう、どうしようと毎日毎日発達障害について調べた。

うちの市は病院の判断がなくても、親からの依頼で支援を受けれる。なので、病院に行かないまま、どうしようといいつつも、どうにかなるのでなという心もあったのか学校だけの支援でやっていこうと思って入学した。

続きはまた🤗✨読んでくれてありがとう😊

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