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「沈黙の75日」②

翌日は朝早くに目が覚めた。彼女のことが気になったからだ。学校へ着くと皆が輪になり弥生ちゃんを囲んでいた。ふと私に気づいた彼女。それなのに大きく首をひねって目をそらしてしまった。違和感を覚えた私だったが、すかさず

「怪我、大丈夫?」と聞く。すると前にいた一人のクラスメイトが私に向かって大声で怒鳴ってきた。

「あんた彼女を突き飛ばしたでしょ!最低!」

一瞬、何のことかわからずに弥生ちゃんを見たが、忠誠高い家来に守られた王女のようにクラスメイトの集団の渦に隠れる。彼女は1ミリも視線をこちらへ向けてくれなかった。

私は必死に弁解をしたと思う。だけど口々に罵られるクラスメイトたちの言葉にかき消され、そのまま自分の存在は立ち位置を見失った。

その出来事を境にしばらくショックで口が聞けなかった。

先生にも本当のことを話そうとしたけれど、誰かしらが結託をしていつも私を孤立させていた。誰か一人くらいは本当のところはどうなの?と聞いてくれるんじゃないかと期待も次第に消えて行く。

だれも私を見てはくれない。「偽りの事実」がパンケーキみたいに膨らんで、都合のいい甘い蜜を吸う。味が染みたおいしそうな他人の不幸。周りのよだれを誘うのだった。

ただ私だけが悲しい。なぜ彼女を突き飛ばそうとする必要があったのか。理由がどこにもないのに誰も私を知ろうとしない。誤解を解く手立てが何もないまま時だけが過ぎていく。とうとう学校を休んでしまった。

 思い切って母に打ち明けてみた。膝の上にポタッと落ちた涙を見て自分が泣いているのだ、と初めてわかる。母は黙って聞きながら嗚咽に変わる私の震える背中をさすってくれた。あの日、真実を知る母がいてくれて本当に良かった、と心から思った。

「人の噂も75日。今の状態がそれ以上続くことはないよ」

田舎育ちだった母は、人が広める「噂話の限界」を教えてくれた。そこを無理に荒らせば、再び火がつき、燃え上がる。だからじっと静かに待ちなさい、と。

本当だろうか。実際に数えてみた。
75日迄まだ2ヵ月以上ある。
でも待つしかないのだ。

私は不思議な方向に気持ちが向き始めたことに驚いている。自分の弁明を早く晴らしたい気持ちよりも、噂話の検証を試したくなったのだ。人間、集団、空気の流れ。これらは“待つ”ことで姿形を変えるのだろうか。

ちょっと怖いけど信じて見たい。強く心を奮い立たす。大丈夫。
だって私はやっていない。たとえ口を聞いてもらえなくても、堂々としていればいつかは“今が変わる”75日の沈黙。
その日から私は一度も学校を休まずに行った。

 母からの助け舟があって先生へ誤解が解けたらしい。一カ月を過ぎた頃には重苦しく沈黙を貫いていたクラスの雰囲気が少しずつ変わっていくのがわかった。ぎこちなかった仲間たち。私を見て声をかけ、肩に触れ、笑いかけてくれる。わだかまりがないと言えば嘘になるけれど、無視されていた苦しみがほぐれていく。

同時にあっという間に今度は、弥生ちゃんが無視をされていった。
そして75日を待たずに彼女は転校をして行った。なぜあんな嘘を言ったのか。彼女の声を聞くことはできないまま。「嘘」は彼女の何を証明したかったのだろうか。今でも夏が来ると思い出す。

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