【考察2本立て】エロスと罪悪感について
今日はおとめ座の満月なのに、このタイトルって…って感じですが、
割と関係あったりします。
ちなみにおとめ座って禁欲的な星座でもあるので尚更って気もしますが。
エロスとは禁欲の隙間から滲み出るものである
私は開放的な性にあまりエロスをおぼえないタチである
あまりにあからさまな性は、現実的すぎるからかもしれない
フェチズムというものを考えてみた
コスプレ、SM、シチュエーション、舞台設定
そこには凡そ「禁欲」的な抑圧が絡んでいるのではないか?
快楽という液体を堰き止めるダム
緊張と弛緩は人の営みの反復するプロセス
昼間のあけっぴろげな明るさよりも
薄暗さでエロスが語られるのは
陰翳が醸し出す
肉体の立体感をも示しているのかもしれない
黒はタイトで引き締める役割を担う
禁欲的な締め付けが、かえって立体感を引き立たせる皮肉
リクルートスーツに男女ともときめきを覚えるのは、まさにそういったタイトで禁欲的な引き締めから、どうしても滲み出てしまうエロスゆえなのかもしれない
不倫、浮気、禁断の愛
禁忌や抑圧
だが、自由恋愛が浸透してきている世の中
決してビビッドで艶やかな色がエロスを奏でるのかといえば
そうではないのかもしれない
パステルな日常の中の、些細な倫理の壁
それすら、エロスがエロスとして滲み出るための舞台設定としての障壁なのかもしれないのだ
罪悪感の根底にあるもの
結論から言ってしまえば
「無自覚な強い欲望」ではないか?
罪悪感
この世にいてはいけない
存在してはいけない
許しを請わなくてはいけない
それらはつまり欲望の強さに対する
許容を懇願しているせいだ
誰それに許しを乞う必要があるだろうか?
許しを乞いたければそうしたまへ
我は我の強烈な欲を肯定する
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