見出し画像

第四章 私流・がんとの暮らし方(三) 抗がん剤を断って(4)玄米がつなぐ「食養の師」

岩盤浴やお灸、断食、瞑想法などの伝統療法も、思いつく限りチャレンジ

さて、がんの手術を受けたあと、私の中にどんな変化が起こったかということに、話を戻しましょう。

毎年、新たにがんと診断される人は80万人以上にのぼるという統計(国立がん研究センター)があります。

従って、世の中には数え切れないほどの「がん闘病記」があふれています。10人10色の「奮戦の記録」を読んで、是非、参考になる体験やノウハウを見つけていただきたいと思うのですが、「わたしの闘い方」はちょっと変わっていたかも知れません。

それは手術後、医師から再発防止のために抗がん剤治療を強く勧められたにもかかわらず、これをきっぱり断って「自分でやれることをやってみます」と宣言したからです。

私もがんになって、「命が惜しい」「まだ、ここで死ぬわけにはいかん」と切実に思いました。そして、家族や社員がこんなにも心配してくれていたのかと驚き、あらためて周囲の人たちの深い思いやりに感謝しました。

振り返れば、創業以来、がむしゃらに働き、タバコを吸いまくり、夜の中洲を飲み歩いてきました。青年会議所の活動にのめり込んで、付き合いごとも多く、帰りは午前様というのが日常茶飯事。その30代、40代からの不摂生のツケが、がんという病で一度にやってきたと思いました。

しかし、「自分でつくった病気だから、自分で治せるところまでやってみよう」と考えたところが、普通の患者さんとはちょっと違っていたかも知れません。

大地はお腹 枝葉は肺

本業が薬屋ですから、薬の効果も副作用もかなり知っているつもりです。若い頃から、薬が使い方によっては毒にもなるということを知りつつ、後ろめたさを抱えて商売してきたことは、先にもお話したとおりです。

そして、いざ自分ががんになり、かかりつけ医の幸運に恵まれて拾ったいのちと向き合ったとき、副作用が強い抗がん剤治療に身を委ねる気には、どうしてもなれませんでした。

そのとき私が選んだのは、食養を中心に据えて自分の体を根本からつくり直すという、日本古来の伝統に基づく健康づくりの「王道」だったのです。

◎手当たり次第に挑戦

手術後すぐに禁煙、禁酒を断行したのはもちろんです。

自分の会社で売ってきたアルファルファを原料とする健康食品や納豆菌・乳酸菌入り食品はもちろん、漢方薬、魚油を原料とするEPA(エイコサペンタエン酸)や人参のカプセルなどを手当たり次第に試しました。

さらに、岩盤浴やお灸、断食、瞑想法などの伝統療法も、思いつく限りチャレンジしたのです。

中でも、食生活の見直しは、術後生活の根幹をなすものでした。

食事を玄米食に切り替えました。玄米をおいしく食べるには、よく噛み続けることが大事。咀嚼することで唾液がたくさん分泌され、これが体全体を守る「クスリ」になるのです。家族も協力して一緒に玄米食を実践してくれました。

玄米と菜食を続けるうち、次第に体の変化が起こってきました。かつてはあんなにラーメンが大好きだったのに、ラーメンを食べると頬がピクピクと引きつけを起こしたようになりました。そのころには、体が添加物に敏感に反応するように変わっていたのだと思います。

いろんな療法を体験してみて、体は自分が努力した分だけ応えてくれるものだと、つくづく感じ入りました。

◎「食養一筋」の効果

手術後は、半年ごとに精密検査を受けました。一年ぐらい経ったころには、妻と中国旅行ができるほどになり、完全に健康を取り戻したつもりでいました。ところが、そのころ前立腺の腫瘍マーカーが高めの数値を示し始め、再発や転移を考えて不安な日々を過ごすこともあったのです。

しかし、その後も再発防止のために食養一筋の生活を続けた結果、前立腺マーカーの数値も次第に落ち着いて行きました。

現在は年に1回、検査を受けていますが、数値は正常で再発の危険は遠のいています。

「5年生存率35%」の宣告を受けて、既に11年目(15年2023年で)。周りのみなさんのおかげで命拾いをしたという喜びとともに、私自身の人生観も大きく変わったと思います。

 (4) 玄米がつなぐ「食養の師」

 食養一筋の暮らしを続ける中で、いろんな活動をしている「その道の達人」と出会うことができたのも、私にとっては大きな人生の財産になりました。

福岡市早良区で高取保育園の園長をされていた西福江さんも、その一人です。

高取保育園は、私が薬屋を創業した昭和43(1968)年に開園し、地域住民や食物アレルギーを持つ園児の親らとともに食育活動を続けてきたユニークな保育園です。

◎子どもたちに現れた変化

昭和30年代から食卓の洋風化が進み、高たんぱく・高脂肪の食事が増え、私たちの生活の中にインスタント食品やスナック菓子、清涼飲料水などがあふれるようになりました。それとともに、がんや生活習慣病が急増し、低年齢化の傾向も顕著になっていったのです。

西さんは、同園の食育活動を綴った「ゼロから始める玄米生活~高取保育園の食育実践レシピ集」(平成18年、西日本新聞社刊)の中で、「保育園の子どもたちにも、皮膚のかさつき、ちょっとした刺激でかぶれる過敏性体質、風邪をひきやすい、中耳炎を繰り返すなどのアレルギー疾患が、年を追うごとに増えてきました」と当時の状況を振り返っています。

◎ひと口100回噛む

このため、同園では「伝統の食べ物をとる」「季節のものをとる」「主食は玄米」「丸ごと食べる」「腹八分目で、ひと口60~100回噛む」「感謝の心でいただく」という食の基本を掲げて実践してきました。

給食に出される食材は無農薬・低農薬の有機栽培で育った玄米と、季節の旬の野菜。調味料も無添加で自然醸造のものを使い、「玄米和食」の給食を続けています。

この給食を続けてきて、アレルギー疾患の子どもの症状は軽減していったそうです。

西さんは、同書の中で「食事は体づくりの基本であり、味覚や人格の形成にまで深い影響を与える。健康な心と体は、毎日の食生活の積み重ねからつくられていく」と語っています。長い食育の実践で到達した「食は命なり」の信念が、強く伝わってくる言葉です。

私も西さんから勧められて、玄米を食べる時、最初はひと口100回噛むことを実践してきました。

噛み続けると、玄米はとてもおいしく感じます。よく噛まないと、そのおいしさは分からない。噛み続けることで、たくさん唾液が出ます。この唾液は、体が作り出す「クスリ」です。

私は幼いころから、母親にそう教えられてきました。そして、噛み続けることで、まさに「命をいただく」ということをも実感できるのです。

-------------------------------------------------------------------
フレッチャーの「完全咀嚼法」 日本綜合医学会の初代会長でもあった二木謙三博士(東大名誉教授、文化勲章受賞者)は、著書『健康への道』で米国の実業家ホーレス・フレッチャーの「完全咀嚼法」を紹介している。フレッチャーは一代で財を成した大富豪。40歳で肥満に悩み、当初はコックのせいだと思い込んでコックを代えたが、不眠症やリウマチ様の症状は治らなかった。胃腸が悪いと気づいたフレッチャーは、ドロドロになってなくなるまで徹底的に食べ物を噛む「咀嚼主義」を実践。食の量が減って痩せ始め、自転車や馬にも乗れるようになった。野菜が好きになり、1日2食になって体重も70キロ程度で安定したという。

 -------------------------------------------------------------------

◎「黒焼き玄米」を開発

福岡市早良区で自然食品のお店を経営されていた下司雅章さん(故人)も、わたしの「食養の師」の一人です。

下司さんは、食用家としての活動の傍ら、九州地域の自然食品の小売店と問屋に呼びかけて昭和49年に九州自然食品協同組合を発足させ、初代理事長を務めた人です。第二章でご紹介した安藤孫衛医師とともに、九州の食養運動で中心的な役割を果たした人物で、初の日本綜合医学会福岡大会開催などにも尽力されました。

私は、その下司さんから、玄米をフライパンで煎って作る黒焼きの製法を教わりました。漢方ではこれを「玄神(げん しん)」(=玄米の神様)といって、黒焼き玄米茶として飲むのです。

その後、しばらく忘れ去っていたのですが、あるとき知人から「赤米で黒焼きを作ってみてはどうか」とアドバイスを受け、細々と手作りをして商品化しました。赤米とはその名のとおり、玄米の種皮や果皮に赤い色素を含む野生種に近い「古代米」のことです。

その後、10年ぐらいは鳴かず飛ばずの状態だったのですが、平成23(2011)年に東京ビッグサイトであった物産展に「黒焼き玄米」を出したところ、同じく黒焼きを扱っていた大手の健康食品メーカーの目に止まりました。その後、メーカーの方が会社を訪ねて来られ、商品を納めることになりました。

◎試行錯誤で製造機自作

ところが、注文の量が多く、これまでの手作りではとても間に合いません。それなら、いっそのこと製造機械も自分で作ってみるかと、回転釜に遠赤外線ヒーターを組み込み、試行錯誤の末に完成させました。

元来、黒焼きは民間療法として伝わってきたもので、手作りするので少量しかできません。私は薬屋なので、和漢薬の製造技術を活かし、釜をほぼ密閉状態にして、空気を入れず蒸し焼き状態で大量に作る焼き方を工夫しました。

黒焼きの作り方は、基本的には炭焼きをするのと同じです。炭には本来、解毒作用があり、食べられる「食炭」という健康食品もあります。

私が黒焼きで使用する米は、有機農法で知り合った福岡県糸島市の農家が作る農薬不使用米。2台の自作機械を使い、1台約30キロの玄米を約十時間かけて密閉焙煎します。焙煎している間は監視カメラでモニターしているのですが、最初の仕込みと仕上がりのチェックは、今も自分でやっています。

今では、年間に使用する玄米が約一〇トンにものぼります。手軽に飲めるようにと、赤米の黒焼き玄米茶のティーバッグも発売しました。「薬用から見た炭」と「食養から見た炭」が合体したことで、息の長い商品になるのではないか、と思っているのです。

1分でわかる 体の基礎が整うメンテナンスシリーズ「玄米シリーズ」
https://www.youtube.com/watch?v=W3XFhgFWFY0

次回は

第五章 病気はチャンスだ!(一)がんがくれた気づき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?