見出し画像

J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』


30年ぶりに読みました

ここ半年くらいでサリンジャーの『ナインストーリーズ』『フラニーとゾーイ』を読みました。年を取ったせいなのか、読んでいるとなにか不安な気持ちになってくる小説でした。なにがそうさせるのかはわからなかったのですが、初老の男性のこころをゆさぶる力を持っているのは確かでした。サリンジャーの小説のなかでも最も有名な小説、それはこの『ライ麦でつかまえて』でしょう。私も30年ほど前に読んだ記憶があります、なぜその時読もうとしたのかは覚えていません。当時、翻訳された小説は推理小説くらいしか読まなかった自分にも読まざるをえなかったほど有名な小説だったのかもしれません。

なにがここまで惹きつけるのか

最初に読んだときの感想はなにも覚えていません。ペンシルバニア州ペンジー高校を中退したばかりの主人公ホールデン・コールフィールドとほぼ同世代だったその頃の私にはあまりにも自分の話しすぎて直視しずらい内容だったのかもしれません。物語のラスト付近でホールデンはヒッチハイクでニューヨークから西部へ行きガソリンスタンドで働くことを思いつきます。その地で暮らすことを妄想していくうちに、勝手に盛り上がって生活のルールまで考えてしまします。

フィービーに、夏休みやクリスマスの休暇や復活祭の休暇のとき遊びに来いと言ってやるんだ。それからD・Bにも、執筆するのに気持ちのよい静かな家が欲しかったら、しばらく出かけて来たらどうだと言ってやる。ただし、僕の小屋で書くのは短編や本だけで、映画の台本は書かせない。それから僕を訪ねてきたら、インチキなことをするのはまかりならんという規則をつくる。誰でも、インチキなことをやろうとする人間は、すぐ追い出すことにするんだ。

白水Uブックス野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』P318

ホールデンの理想とする潔癖な生き方が表れています。ホテルの部屋に売春婦サニーとなにもしなかったことや朝食を食べによったスナックで出会った尼さん2人組に寄付したりしている、読者からしたらかなり小っ恥ずかしい気取った行動はその理念が元になっているのでしょう。一方で彼は実際の行動がまったく理想と逆であることに苦悩し続けます。ペンジー高校の寮で同室のストラドレーターと嫉妬心からケンカしたりアントリーニ先生に頭をなでられたことで同性からのレイプを恐れててみたりします。自意識過剰すぎるところは大人になる過程でだれもが経験することです。彼の行動には人を好きになりすぎていくことに反発していく感情が自然に湧いていくような感じがします。同じ対象に異なった感情をもってしまう。そんなところに共感を感じてしまうのでしょう。

美しい思い出からの出口

彼の揺れ動く感情の源になっているのは一つの美しい思い出になります。彼の兄弟は脚本家である兄のD・B、すでに亡くなっている弟のアリーと小学生の妹フィービーがいます。

弟のアリーはね、ギッチョの野球ミットを持っていたのさ。あいつ、ギッチョだったんでね。アリーの奴が、ミットの指のとこにも手を突っ込むとこにも、どこにもかしこにも、いっぱい詩が書いてあったんだ。緑色のインクでね。そいつを書いておけば、自分が守備についている場合、誰もがバッターボックスに入っていないときに、読み物ができるっていうんだ。もう死んだんだけどさ、弟は。うちじゅうでメイン州に避暑に行ってたとき、白血病になって死んだんだ。

白水Uブックス野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』P61

彼の唯一の美しい思い出です。彼が年齢を重ねることに美しさが増していくのでしょう。そのことを妹のフィービーに指摘されてしまいます。その後、フィービーが遊園地でメーリーゴーランドに乗っているのを見て、彼は少しだけこの世にも美しいことが起こり得ることに気づきます。

『ライ麦でつかまえて』タイトルの由来

でも、ひとつだけいいことがあった。一見してどこかの教会の帰りだとわかる一家おそろいの人たちが・・・父親と、母親と、それから六つぐらいの子子供の三人連れだったけど・・・、これが僕の前を歩いていたんだ。あんまり裕福そうな家庭ではなさそうだったな。父親は、貧乏な連中がめかした格好をしようとするときによくかぶる、パール・グレーの帽子をかぶってた。そして、奥さんと二人で話しながら、子供はほったらかしで歩いて行くんだ。その子供がすてきだったんだよ。歩道の上じゃなくて、車道を歩いているんだ。縁石のすぐそばのところだけどね。子供はよくやるけど、その子もまっすぐに直線の上でも歩いていくような歩き方をしてんだな。そして歩きながら、ところどころハミングを入れて歌を歌っているんだ。僕は何を歌っているんだろうと思ってそばへ寄っていった。歌っているのは。あの「ライ麦畑でつかまえて」っていう、あの歌なんだ。声もきれいなかわいい声だったね。べつにわけがあって歌ってんじゃないんだな。ただ、歌ってるんだ。

白水Uブックス野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』P179

この情景が浮かんでくる、美しい文章に急にタイトルが出てきます。その後、フィービーとの会話の中で彼が将来の夢を語ります。ライ麦畑のなかで逃げ回る子どもたちを追い回す役目につきたいという、冗談か本気かわからない叶いそうもない夢です。ここでもフィービーに間違いを指摘されます、その歌のタイトルがロバート・バーンズの詩『ライ麦畑で会うならば』だということを。兄ににずに早熟なフィービーとどこにでも出てくるロバート・バーンズに恐れ入ってしまいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?