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『ビリー・サマーズ・下』スティーヴン・キング

上巻の舞台はイリノイ州南部の街でした、主人公のビリー・サマーズは小説家志望になりきってターゲットが現れるまで待ち続けるという役割があったのでその街から出ることはなく話は進んでいきました。下巻では最後の仕事を終わらせるためにアメリカ中を走り回ります。イリノイ州→オクラホマ州→カンザス州→コロラド州→ネバダ州→ニューヨーク州とすべて車で移動します。上巻での動きがまったくない状態から下巻になった途端に動きまくります、ロードノヴェルといった感じでしょうか。

上巻でディヴィット・ロックリッジとして生活しているときの近所付き合いをしているときに気をつけていることがありました。

ビリーも楽しんでいる・・・ひとつには、ここでは「お馬鹿なおいら」を演じる必要に迫られないからだし、この人たちが好きだということも理由だ。

文藝春秋『ビリー・サマーズ』上P59

しかし、ビリーは誘わない。人と会うのはいい。人から好かれ、そのお返しに人を好きになるのはいい。しかし、親しくなってはいけない、親しくなるのは危険だからだ。引退したあとなら事情も変わるかもしれないが。

文藝春秋『ビリー・サマーズ』上P69

ビリーがこれまで殺し屋として失敗しなかったのは自分に課したルールを守ってきたからなのだろう。こうゆうルールは下巻でも出てきます。

ビリーは運命論に支配されていた。建物にいまから突入しようとするときには、毎回かならずベルトの穴に吊るした赤ん坊の靴を確かめた。怪我もせず死にもしなかった日が一日増えれば、あくる日に怪我をしたり死んだりする確率はそれだけ増える。サイコロ賭博で七を出しつづけたり、点を稼いだりすれば、いずれ大負けするに決まっている・・・そんな運命論が、ビリーの友人のような存在だった。

文藝春秋『ビリー・サマーズ』下巻P14

ビリーが海兵隊時代にイランで偶然手にした赤ん坊の靴をお守り代わりにしていました。そして今回の依頼のなかでもディヴィット・ロックリッジとして近所付き合いをしていた少女からもらったフラミンゴの絵をお守り代わりにするところは印象的です。キングはこのような小道具の使い方が上手いですよね。

「きみは人間になるんだよ」ビリーは言う。「悪人は、自分のおこないの代償を支払う義務がある。代償は高くつくと決まっているんだ」

文藝春秋『ビリー・サマーズ』下巻P57

このようなある意味ルールを決めそれを信じて生きてきたビリーにとって、クライアントの裏切りというのはわかりきったことだったのかもしれません。ドルトン・スミスというもう一人の自分を作り出したときから、復讐のプランができていたかのような流れです。

ビリーが小説を書くことになったのも、アリスという旅の仲間と知り合うことも運命だったのでしょう。この旅はビリーが自分の殺し屋としての最後の仕事というだけではなく自分の人生にけりをつけるという意味もあったし、書きかけの小説をアリスに託すという意味もあったのかもしれません。






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