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「人は、いつから大人なる?」を考えるきっかけになった出来事

大人と子供の境目って何処なんだろう。

小学校の頃、何気ない日常の中で先生は「君達からした大人の基準を教えてよ、大人っていつからが大人だと思う?」
と当時小学5年生の私たちに問いかけた。

小学生の私達は「先生が、また授業を始める前に変な事言い出したよ」と教室内でザワザワとしだし、

次第に「大人なんて20歳からじゃないの?選挙もタバコも酒も20歳からで、成人式だって20歳にするもので、20歳になれば子供の枠から出て大人として認められ、子供にない自由を得てきっと色々できるから、そうに違いない!」と小学生の頃の皆がそれぞれ自分が思う「20歳からが大人」と言う思考を口に出し答えていた。

先生はそれを聞いて、どこか遠い目をしながら一点見つめ「そっか〜」と何処か悲しそうに呟きながら

「今から年齢を1歳ずつ言うから、自分が大人だと思った年齢にそれぞれ手を挙げて」っと言いだし
生徒の私達に手を挙げさせた、周りを見渡すと皆「20歳」ちょうどに手を挙げていてそのほかの年齢に手を挙げる人は居らず、その他の答えなんてなか
った。

私もその中の1人で、輪を乱したくないという気持ちと、どこか1人取り残されないようにと周りに合わせて手を挙げていた。

誰1人欠けない、その綺麗に揃った挙手を見るに、
先生は教壇に立ったまま教卓に手を置き前屈みで、いつもの「これから語るぞ」と言うような姿勢のまま
「君達の大人の基準は、『社会的に大人とされている年齢の基準』なんだね、
じゃあ選挙もタバコも成人式も無かったとして、大人と表すものがなかったら、君たちの大人の基準は変わるの?」と、語りかけた

そんな事を言う先生を前に「先生は何を言ってるんだ?」と皆頭にハテナを浮かべてキョトンとしていたと思う。

それを見た先生はただただ笑っていた、君たちも20歳になれば分かるよって。ただそれだけ。

今思えば、小学生だったあの頃は「子供の時代なんて早く過ぎさってしまって、カッコいい大人になりたい」と大人への憧れと大人ならではの自由に憧れていた。
子供特有の自由に気付けないまま、無い物ねだりで子供の自分自身が想像した、かっこいい自由な大人に憧れていた。

大人になれば、おしゃれして化粧もできる、免許もとれる、夜中に出歩いたって怒られないし、タバコや酒だって呑める、結婚もできるし、バイトして働く事だってできる、自分でお金を稼ぎ好きなものだって好きな時に買える、
なによりも親の干渉がなくなる。
そんな事を考えていた。

自由に何処へでも1人で行ける大人になって、
色々な事を自分でして自分で何かを得たいと、子供にはない大人の自由に憧れてたから、先生(大人)が思う大人の年齢なんて、
あの頃は興味が微塵も持てなかったけれど、

今思うと先生はとてもズルい人で、そんな疑問を一方的に私達に押し付けておいて先生自身の答えを教えてくれなかったのは今考えると、とてもズルい事だなと思う。もしかしたら先生自身も分からなくて、答えを出せてなかったのかもしれないけど。

私達に何気なく大人と子供の境界線を刻んでった先生。
答えを用意してくれなかった先生。
先生の納得のいく答えは何だったのだろうか。
先生は良く笑顔を見せる人だったけど、子供の私でも分かってしまう様な、目は何処か笑ってない、笑顔を貼り付けたような、何処か胡散臭い笑顔をしていた。

私はそんな先生のことを多分子供ながらに、きっと信用してなかったし、そこまで先生の事を好きになれなかったんだと思う。
ただ先生の問いは記憶には残る程の問いで、ふとした時に思い出す。
私は今も大人と子供の定義を見出せてない。

あれから数年経ったけど、あの時のクラスメイトや先生はどうしているのだろうか...
皆は、皆の思う様な大人になれたのだろうか。

ただ今になって思う事は、多分きっと私達にそんな質問した先生も大人になれなかった子供心を何処かに隠して生きてるんだろうなって、ハタチになった私は勝手に思った。

先生が笑った理由が今なら何となく分かる気がした。

-夜道ミチヅ-

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