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「自分がされて嫌な事はするな、嬉しい事をしろ」の思考は上手くいかない

【自分と他人の思考の境界線について】

題名の通り、私は幼少から
そう教えられて育ってきた。

その言葉は、私からすると
半分正しさでもあり、手っ取り早く
『他人にしてはいけない事』と、
『善意の気持ち』を子供に分かりやすく教えられる言葉でもあり、

善悪の定義が定まっていない子供に対して、「相手の気持ちに寄り添う心」の大切さと「他人に、してはいけない事」をそれとなく教えやすい言葉であり、

子供にも伝わりやすい言葉なんだろうな、
と今でも考える事がある。
実際私は小さい頃にそう教えられ、相手の気持ちを考えると言う習慣を身につけたし、
それらの大切な事を理解した。

ただ、それだけを念頭に置き子供に
教え、子供がそのまま育ってしまうと、
他人との距離感や考えに『ズレ』が出てしまう場合があるのではないか?
(※人によります)

その思考が暴走し行き過ぎてしまうと、
無意識の内に自分の考えを突き詰め
気付かぬうちに自分の意見を人に押し付け、自己中になってしまっている場合もあるのではないか?と個人的に経験を通し、自分に対してそう感じたので

今回はそう言った
他人と自己の間にズレを感じ人との、
距離感がおかしい私が

『良かれと思って行動したのに!』
『悪いと思ってなかったのに…(汗)
傷付けようと思って言ったんじゃないけど、相手を傷つけてしまった』という

痛い経験と、どうしてそう思考が歪んだのか…そう考えるようになったのか?と言う事を!

アホで自己中人間である私の体験を交え、自己を振り返りながら、自己分析し説明していく。

また「なんだか、似たような経験をした事があるな…」と言う人や「えっ、そう言う思考や心理の人もいるんだ!?」などなど
読んでくれた人の【気づき】になるのではないか?
そうなれれば幸いだと思い、noteを書くことにした。

•第一に言わゆる私は、世間で言うところのどうしようもないバカなノンデリ野郎だ。
(急に自分を卑下して「どうした?」と思われるかもしれないが…)

ノンデリや自己中的な考え…そうなってしまった理由は色々あり積み重なってバケモンになってはいるのだが、そうなった原因で
大きな心当たりが1つある。

それが、タイトルのやつだ!!!

⚪︎冒頭でもあった通り、私は小さい時から『自分がされて嫌な事は、相手にしてはいけない』『相手がどう思っているか考えて行動しろ』と言う、言葉を耳にたこができるくらい言われて育ってきた。
(親の教育が悪いとか、そう言う文句ではない。当たり前だが、何事も行きすぎると大変なことになる。なった)

そして、その言葉を元に逆に
何事もまず最初に『自分基準』で考える癖がついてしまっていた。

当然その結果、自分の思い込みなどで思考は偏りまくるやら…
別の意見、考えが頭を遮らず
対人関係において、客観的にみたり相手本位で考えるのが大の苦手で、
「こうと決まったら、きっとこうに違いない!!!自分はこうだもの!相手もそう思ってるに違いない」と言う、
よく分からない自信や頑固な部分が、成長されていくにあたり形成されていった。

そうなってくると、もはやバケモンである
(※自分に向けての言葉です)

それが自分にとって、いい方向に作用すれば意志が強く夢に向かって頑張る人みたいな感じで、幾分か役に立つことはあると思うが…

大体は自分で気付けず、悪い方向に思考を巡らせている。

私のこう言った例は、極端すぎると思うが
「自分を基準に考えてしまう癖」は中々やっかいで、抜けきらず無意識のうちに思考の基礎として、用いられている。

では、読んでいて「何が悪いのかな?」とピンと来てない方に

「自分を基準に考えて行動するせいで、悪い方向や思考になる」と言うことは、どう言うことか実際にあったことを例にして例えると、

•分かりやすいよう例えで『プレゼント選び』を挙げてみる

1〜2年ほど付き合っている友達への誕生日プレゼントを贈るとする、プレゼントのセンスは人それぞれだが、
そこで皆は、相手へのプレゼントを選ぶ時、何を考えプレゼントを決めるだろうか?
例題を見て一緒に考えて欲しい。

•これは、私が実際に友達に誕生日プレゼントを贈った話で、

私は相手が、文房具など主にペンが好きな事を知っていたので、良かれと思い文房具をプレゼントした。

勿論選んだものは、
人気で安過ぎず高過ぎず相手が困らない程度の良い値段のペンを選んでプレゼントに贈った。
またお揃いだと嬉しいと個人的に思いお揃いとして、色違いで自分の分も買った。

友達の誕生日当日

私「お揃いにしたんだけど…文房具好きって言ってたから選んだんだ!」と言って相手が喜んでくれるかなとドキドキしながら渡した、

しかし、相手はそのプレゼントを見て一言

「文房具?????文房具って、自分で選んでる時間が楽しいんだよね…、それにペンって描き心地とか人によって変わるから…プレゼントなら尚更自分で気に入った文房具を選びたかった、
いやプレゼントのセンス…」と言われてその子をガッカリさせてしまった。

笑って受け流してしまったものの、
その反応は、全く私の中の想像と違っていた、喜ばれると思ったのに…
何故か論破されてしまった…でも相手が言ってる事も分からなくも無いような…?
確かにそう言う考えもあるよなぁ…といろんな気持ちが混ざる中ガッカリし、その時は笑って済ませたが、
後から沸々と「プレゼントしたものにケチつけるなんて…!!」と思いつつ、
せっかく相手を想って選んだし、お揃いにしたのに悲しいなと思い「そんなに言うんだったら、その子は相手へのプレゼント選びが、上手いんだろうか…」なんて、心の中で思っていた。

ただ実際その子は、プレゼント選びが上手で他の子が喜ぶようなプレゼントをあげていて、貰った人も好感触で好感度が上がっているのが目に見えた、
当のその子は「やっぱ、私プレゼント選びが、上手いでしょう♪」と自信があるようだった。

私もその子から漫画を何冊かプレゼントで貰い、中々手に入らない漫画だったので嬉しかった。加えてその子が「漫画の置き場所に、もし困るなら私の家にその漫画おいていいよ、私も読みたいし」と言ってくれたので、こう言う形の気遣いもあるんだなと、当時感心した事を覚えている。(※家に漫画を置かせてくれる理由は、その子自身が漫画を読みたいだけとかは、置いといて)

そこで私はプレゼントの反省をいかして、
彼女と自分のプレゼント選びでの違いってなんなのか?相手に喜ばれるプレゼントってなんだろう?と考え、自分なりに分析してみた。

そこで自分と彼女のプレゼント選びの違いで、大まかに浮かんだのが

1『相手の普段の素ぶりや、趣味などを思い出し、相手が1番好きなものを贈る(貰っても困らないかを考える)』

2『自分と相手がプレゼントで、貰ったら嬉しそうなものを、相手に贈る』

彼女は1だった。
相手の欲しいもの、好きなものを把握しプレゼントで貰ったとしても誰もが困らないものや、仮に置き場所に困るものは自分の家に置いていいと提案してくれたり、
態度は酷くても相手のことを考えプレゼントを選んでいて、そこには客観的に見た相手への気遣いがあった。

それと比べ私は断然2よりの考え方だった、大体は「自分があげたいな〜、これなら喜んでくれるかな?」「オソロだとテンション上がりそう」といつの間にか自分本位で、良いと感じたものをあげていたし、
〇〇会などのイベントでのプレゼント交換では相手が驚く顔やプレゼントにツッコまれるのを見たくて、贈りたいものや自分がもらったら嬉しいもの気に入ったものを、基準に贈っていた。
大まかに言うと、その違いだった。

ここで、自分が無意識のうちに
『自分がされて嬉しい事を相手にする』
『自分がされて嫌なことは相手にしない』という考えが行き過ぎた結果、そのつもりはなくとも、結果的に自分本位の行動になっていた事や、自分の思考の歪みと言うものに、気付いた。

行き過ぎた思考で『相手の喜ぶ顔が見たい!自分はこうされると喜ぶから、相手にもしよう!相手も喜ぶはず!!!!』(こう思ってしまう事これが…エゴなんだね)

《※相手のことを考えいる風で自分でもそう思って行動してるだけど、その根底は自分優先的な考え方》これが本当に人間関係において、いけない事なんだと私は思う。


一見そこまで悪く無さそうに見えるが、気付かないうちに自分中心で考えてしまっている上に、その考えの元に動いている為

「自分が嬉しいと感じるものだったとしても
、相手からしたら迷惑なものかもしれない」「相手は自分とは違う」「色々な意見がある」という当たり前の考えが頭からすっぽりと、抜けていたのだった。

自分中心で考えていると、「相手も自分と同じ考えだろう!」と無意識のうちに考え決めつけてしまい。

相手の気持ちや、「相手視点で、相手はどう思うか?」「自分とはちがう意見を持った人もいる」「賛否両論は、人それぞれ」という人間関係において『個々の意見や想いを尊重する』と言う大事な考えを、忘れがちでは無いかと思った。

そこで、ようやく私は自分主体の自分中心で考える事の恐ろしさに気づいた、当然ながら、人にはそれぞれ個性や感性が違っているので、

自分が『自分はこうだと嬉しいし…なら相手も、嬉しいと喜んでくれるに違いない!』
と勘違いの善意でした行動や、発言が相手にとってはお節介だったり、地雷だったり、余計なお世話だったりする場合もある。

そして、今までその事に目を向けず、気がつけなかった私はキョトンとした顔で
「えぇ、なんで今のダメだったんだろう…私だったら嬉しいのにな…?」と頭にハテナを浮かべていたのだった。それだけで相手は腹を立ててしまうかもしれない。


「いやいや…当然である相手は、お前じゃないんだから…人の感じ方はそれぞれなんだから…それされて嬉しいのって自分だけよ…
相手も喜ぶだとか、勝手に決めつけるんじゃ無いよ…(引)」「それがエゴ!」
などと、読んでる人に思われてしまいそうだが

「自分が嫌なことは相手にしない」と言う考えを優先していくあまりに、行き過ぎてしまい、そのままその思考が癖となり、
相手を慮るという、大事な事を優先できずに忘れたり、そもそもそこに気づいていない人が世の中に少なからず
いるのでは無いだろうか…?
(私だけだったら、どうしよう。私には、そう言った点に気づいたので反省します)

また、この自分主体(自分本位)の考えは
悪いとこまで行くと逆に
『自分がされたら嫌なことは人にしない=自分はこう言われてもなんも思わん、きっと相手もそうに違いない!』と言う
ヤバい思考に転換される事もある、いやむしろ癖になっていて、ヤバい考えになっている事すら自分では気づかず、結果「相手の事を理解せず、知らず知らずのうちに傷付けている人」になりかねない。

当の傷付けた本人は「なんで、相手は怒ってるんだろう?私は言われても平気なのに…」の、ノンデリ状態である。

という思考の歪みのまま成長し怪物になってしまった話だったが、

全員が全員私みたいに、歪んでそう育つとは限らない…

けど、それに気づくまで色々あったものの、数十年生きてて、自分だけではその思考のヤバさに全く気づかなかったのだ。
人と関わったり、相手と自分の違いを探し思い返してようやく気づけた部分もある。
だから、友達や関わってくれた人には感謝している。

自己中になってしまっている本人は、
自分の思考の歪みに気づかず無意識の中で、自分本位で考え発言している場合もあるし、途中で誰かに言われて、私みたいにそこに気づく事もあるだろう。
思い返してみると、そのせいで他人とのズレがあり対人面で上手くいってなかった事に気づく、1番はそう言った自分の思考の歪みと癖に、気づいて気を付ける事が大事だと思った。
気づいたとして、すぐに治せるものではないが少なくともそう言った「自分の悪い思考回路や習慣」に気づいて、ちょっとずつ変えていく事が大事だと思った。

そこで私は、思考が自分中心に偏って誰かと衝突しないように、1つの考えばかりを突き詰め、貫き通すのでなく、『柔軟な発想』を目標に、視野を広げる為に、まずは思考の逆張りをしていこうかなと思っている。

個人的に思考のリハビリとして、真逆の意見や思考を脳裏に二つ浮かべてみると思考が偏り過ぎないのではないかと思った。
(※自己流なのと責任取れないので、真似しないほうがいいかもしれない)

最後に、このnoteを読んで「なんだコイツ、ただの最低野郎!!!」と感じる方や、「その思考が理解できないし、不快な文!」と思う方も中には、いると思う。

この記事に対して思う事や、肯定する人否定する人、色々いるだろう。
ただ、否定や肯定する人がいたとしても賛否両論として私はどちらも受け取りたい。

本当に私の思考は偏っているので不快に思う方もいたかもしれない、その方には本当に申し訳ないと思うもし嫌な気持ちにさせてしまったのであれば、ごめんなさい。

ただ、私のこう言った自業自得を交えた苦い経験談が、読んでくださった誰かの気づきや発見になったり、反面教師として受け止めて貰える事があれば、幸いだと思う。

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