信用

 こんばんは、今日は信用という話です。この話をしようと考えた理由が私のせいで私の大切な友人に迷惑をかけている可能性がでてきたからです。私には凄く口の軽い先輩がいます。彼が口を滑らせて私の友人に必要のない面倒くさい絡みをしているということが私の懸念です。それによって友人に"嫌だな"や"面倒くさいな"といった感情にさせてないかが気がかりです。彼の口の軽さは絶望的で私はそれに対しかなり苦戦しています。
 私は彼と会ったことで人に対しての認識が大きく変わりました。というより思い出したというほうが近いかもしれません。信用する奴と信用しない奴、仲良くする奴としない奴という2つのパターンを作って自分と接する人をその2つの指標に当てはめて考えるということに注力していくということを再認識しました。これは結構大切なことかと思います。彼の場合は仲良くするけど信用はできませんね残念ながら。しかしこれが職場の上司になると特段仲良くすることはないのですが信用がかなりできるかと思います。このように仲いいから必ずしも信用する、仲がいいとかではないから信用しないというのは必ずしも当てはまるものではないなーと思います。まあ彼に関しては仲良くするとまた不用意な発言をしかねないので距離を取りたいなーと思います。
 信用をするしないの基準には色々なものが入ってくると思います。口の軽いというのは結構な判断基準になりますよね。特に"伝書鳩"と言われる行為は一見は本人のためになると思われるかもしれませんが(〇〇さんはあまり秘密を守ってくれないんだなー)というように人からの信用をかなり無くす行為なのかと思います。行動に関しても自分というより他の人のためにすべきこととして行動の基準やパターンを定めておくということも大切かなと思います。(〇〇さんはこの仕事をしているから俺はこれをしよう)や(△△さんはこれを結構重点的にやるから彼女が苦手なここをサポートしよう)というようにパターンや好き嫌いや得意苦手を把握してもらうというのはもはやチームにとって必要なことだよなと思います。そういう部分も能力や行動パターンに対しての信用と言えますよね。
 駄文ながらここまで書いたなら信用されることのメリットデメリットというのも書きたいですね。メリットとして自分をカバーしてくれるようになること。友人や上司、部下などが心を許してくれることによって相互に理解し不安の無い関係性が作れることなどが考えられます。その他にも友人が優遇してくれたり優しくしてくれる等はかなりのメリットであるなと考えられます。デメリットは信用されることによって様々な負荷がかかることなのかなと思います。信用されるからこそ仕事を回されたり、人の相談を受け過ぎたりすることは身体的・メンタル的に対するダメージを受けてしまう可能性もあります。このように様々な信用はメリットでありデメリットでもあると大きく感じます。まあその上でメリットの方がかなり大きいと思うので基本的に人からは信用されるようにすべきだと思います。
 長々とお見苦しい駄文を書いてしまいましたが何となくこう感じたのを文章にしてみました。まだ若いから経験値が足りなくこれを書くことに関しては躊躇する部分もあったのですが今の見解を整理できて良かったです。

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