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詩を書くということ

 詩を書くということは、自らの内面と真っ向から向き合い、その内面を吐露することである。
 詩は、本来、私的なものである。個人の体験などをもとにして、それを文学的に昇華させる。それが、詩の本質であろう。
 この仕事は、とても苦しい。詩を書くことは、苦しみである。
まず、自らの内面と向き合うのが、苦しい。逃げ出したくなる。でも、詩人、芸術家は逃げられない。どこまでも、追いかけてくる。
 そして、その内面を表現という手法で、吐露しなければならない。傷だらけの自分を人前に晒すのだから、尋常な精神ではできない。
 しかも、芸術作品であるのだから、美しくなければならない。ニーチェ『悲劇の誕生』における「アポロンとディオニュソスの融合」である。
 こんな人とは異質なことをしているのだから、詩人は、社会から孤立し、おのずと孤独になる。この孤独と寄り添い生きることが、詩人の仕事である。私に関して言えば、それほど、孤独に強くはない。やはり、人と繋がっていないと寂しい。でも、詩人だから、孤独に耐えるしかない。
 詩人の仕事は、会社で偉くなるとか、綺麗な妻がいるとか、子供が何人いるとか、年収が高いとか、そうした社会的尺度で測れるものではない。
 詩人は、生きることが仕事なのである。それゆえ、具体的な仕事は、無い。詩さえ書いていれば、他は、何もしなくてもよい。まさに、ボヘミアンだ。その日暮らし、風まかせ。明日は、どうなっているかなんて、分からない。でも、ひとつだけ言えることがある。それは、誰にも読まれなくても、認められなくても、ひたすら、自らが理想とする詩を書き続けているということだ。ただ、それだけでよい。
 悲劇であれ、喜劇であれ、自らの独創的な人生の主人公になれる者だけが、詩人であり、芸術家と呼ばれる資格がある。
 まあ、随分、偉そうなことを述べたが、私の詩や詩人に対する考え方は、このようなものである。

 詩人 たいいりょう
 
 

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