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利己より利他②今日のニュースで思い出したこと

私が6歳前まで住んでいた
ある港町の下町は、お金のない人達が住む浜手と山手がある
もちろん浜手の長屋に住んでいる、子たくさん一家の私には
3人の兄がいる。

三軒となりがやくざが住んでいたり、早くそこを出たから兄が普通の社会人になったんだろうか?というくらい環境が悪かった。そんな長屋のお隣にじゅんこちゃんという2番目の兄と同じ学年の女の子が住んでいた。

2番目の兄のその頃は俺ほんま子供ときおかしかったと自分でいうくらい
やんちゃな男の子であったので、おとなしいじゅんこちゃんにちょっかいをかけては泣かしていた。
今思うと、お世辞にもかわいいと言えない容姿で少しボーとしている感じの女の子だったので、やんちゃな兄には格好の獲物だったんだろう(妹は私があんた最低やったで)と大人なった兄にいうと反省しきりで当時の自分が恥ずかしいと言っているくらいだ。
兄の因縁は当時藤純子さんという、今は女優寺島しのぶさんの実母といったほうがわかると思うが、東映のやくざ映画のヒロイン(古っ)で美人の代名詞だった彼女と同じ名前なのに、ブスなのがあかんと・・・文句いったりして
おいっ因縁にもほどがあると大人になった私が兄をぶんなぐってやりたいほどおバカないじめをしていた兄。

兄の悪さに怒ったじゅんこちゃんの母親がうちの母に何度か抗議してきたこともあり、うちの母はもちろん息子の悪さに謝るだけで、ほんますいませんと何度も謝って兄を叱っていたのを覚えている。
そんな昔話を年老いた母としていたある日
「そういえばじゅんこちゃんの家の前であそぶとかならずうるさい~~とさけぶ、おじさんの声が聞こえてたけど??」
聞いてみたことがある。
「あ!あれなじゅんこちゃんのおとうさん戦争行って頭おかしなって家でずっとおってん、お母さんが必死に働いて苦労してたのに、うちの次男そんなかわいそうなじゅんこちゃんをいじめて最低やったなあ」
と母、そうやったんやと驚いた私。
私の年齢を考えても少し年齢に差がある兄だし、確かじゅんこちゃんのお宅でも彼女が末っ子らしいので年齢的に、第二次世界大戦(つまり太平洋戦争)の復員兵だったんだなあとわかる。

その話がよみがえったのは最近2度目で、一度目はNHKで放映された番組を見たとき、内容は太平洋戦争の復員兵が戦場の体験から精神を病んだ人たちの結構いるのに、社会から抹殺されていた状態だったことを取り上げたドキュメンタリーだった。
あ!これじゅんこちゃんのお父さんもこれやん!!とすぐ理解できた私。

そして2度目の原因は今日ウクライナの戦争の報道だ。
戦争中・いつくるかわからない戦後とPTSDでどれだけの傷が残るのだろうとなんともいえない感情が起こる
そして
陳腐に聞こえてくるセリフになっているのが悲しいが、戦争はしたらあかんって、いつ人類が理解するのか?いつも答えがないことを思ってしまう


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