「がんばろう」という気持ちだけ湧く。
ふと、携帯にある「読んだ本の言葉たち」というメモをひらく。
そこには、これまでに読んだ本の中で、印象的だった文章が、書き写してある。
何行もある文章もあれば、いくつかの言葉で終わるものもある。
共通しているのは、「一字一句そのまま」ということだ。
これらは、いつかnoteで引用したいとおもって、書き留めていたものだった。
でも、そうでないときでも、度々ひらくようになった。
そこには、わたしのお気に入りの文章たちが、作者の言葉どおりに並んでいる。
わたしの考えは、ひとつもない。
文章たちは、ただそこに居座って、わたしが来るのを待っている。
わたしがそれを、noteの記事に引用できなくても、人生に活かせなくても、何も言わない。
ただ、置物のように並んでいるだけ。
それなのに、メモを見返すたびに、わたしの心にパワーが溜まる。
べつに、綺麗な言葉ばかりではない。
強くて鋭い文章や、読んでグサっと刺さるものもある。
でも、どの文章もわたしが選んだ。
わたしのために、わたしが選んだ。
そのおかげか、どの文も言葉もわたしの心にピタリとハマる。
だから、心が満たされる。
お気に入りの家具をそろえた部屋に住んでいる人は、こんな気持ちなのだろうか。
大好きな料理ばかり並んだテーブルは、こんな感じなのだろうか。
わたしにとって、お気に入りの家具、大好きな料理は、心に響いて書き残した「だれかの文章」と同じようだ。
中でも、いちばん目に止まるのは、やっぱり島田潤一郎さん。
今、いちばん好きな方だからだろうか。
書き留めているのも、島田さんの言葉がいちばん多い。
これは、島田さんが本屋で見た、くたびれたサラリーマンや名も知らない若い女性に、声をかけたいとおもった話からの引用である。
夜の本屋にいる彼らが、どんな悩みがあるのかわからない。
でもみんな、本棚の前に立って、なにか答えを探しているように見える。
そんな彼らに声をかけてみたかった、と島田潤一郎さんは書いている。
就活で、何十社も立て続けに落ちて、最愛の従兄も亡くなった島田さんの言葉。
これを読むと、わたしもふしぎと「がんばろうかな」という気持ちになれる。
なんの解決もしてくれない。
役に立つ情報はひとつもない。
それなのに、「ぼくもがんばるから、きみもがんばって」というひとことで、わたしは大きく息を吸い込める。
今日も、思うように書けないし、好きなように眠れない。
自分の時間はぜんぜんないし、咳も出るし、外は暑い。
しょうもないようで、切実な悩みを、わたしもみんなも、抱えている。
でもわたし、がんばります。
明日は、がんばれるか、わからないけど。
とりあえず今日も、がんばってみます。
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