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「じぶんの時間を過ごす」ということ。

ひさしぶりに、ひとりでカフェにいる。

たまたま仕事が休みになった夫が、「今日しかない」と送り出してくれた。
大急ぎで、車に飛び乗る。
40分かけて、隣の市のスタバに到着する。
このスタバが、いちばん「最寄り」なのだ。


いつもどおり、ホワイトモカをマグカップに入れてもらい、お供にシナモンロールを注文する。
平日とあって、空いている。
2人ほどが座る、窓に面した席のひとつに腰を下ろし、車道をながめながらホワイトモカを飲む。

ひさしぶりだ、ほんとうに。
ほんとうはもっと遠くの町に行きたかった。
午前中はカフェでのんびりして、昼からは買い物をして、夕方は温泉に入るという「ひとり贅沢プラン」を決め込もうかとおもったが、時間がないので断念した。
ロングプランは、また今度だ。

ひとりになってみたので、自分の心に問いかけてみる。

今、何がしたいですかー?

いつもなら、手書きのノートをすぐに取り出し、ボールペンでかつかつと「やりたいことリスト」を書き出すが、今日はしない。
そんな気分には、ならなかった。

パソコンも、持ってきていた。
「note」の記事のストックもないし、すぐにでも記事づくりをしたいような衝動にもかられたが、なんとなくはばかられた。

今日ばかりは、「限られた時間を有効に使おう」みたいな、焦りの感情にふりまわされたくないとおもったのだ。
しばらく、黙々とナイフでシナモンロールを切っては、フォークでさして口に運んだ。
いつもなら途中で冷めてしまうホワイトモカも、今日はどんどん飲むので、減りが早い。


飲みながら、もういちど自分の心に問いかけてみた。

で?今、何がしたいのですか?

何度問いかけても、帰ってくるのは「じぶんの時間が過ごしたい」という漠然とした答えだけだった。


じぶんの時間が過ごしたい」。
まったくそのとおりの気分だが、何をすれば「じぶんの時間を過ごした」ことになるのか、よく分からない。
じぶんのことなのに。

しかたなく、持ってきていた村上春樹の短編集をひらいてみる。
『一人称単数』というやつ。
読みたいとおもいつつ、1ページも開いていなかった一冊だった。

村上春樹どころではない。
ここ二週間、ほとんど本が読めなかった。


寝かしつけたあと、「本を読もう」という気になかなかなれなかった。
携帯を眺めるとか、パソコンで記事や小説を書くとか、漫画を読むとか、そういうのはできた。
でも、どうしても「読書」を選択できない。

それでも、読書の習慣が台無しになるのがイヤで、いくつか読んでみるも、集中が続かない。
パラパラと飛ばし飛ばしに読んで、そこから得たいくつかのカケラを記事にした。
でも、なんか違う。

小説に浸りたいなあ、とおもっていたのに、取りかかれない。
そんな状態が数日続いてからの、ようやく今日。
やっと、村上春樹をひらく気になれた。


読みだすと、ぐいっと入り込む感覚がある。
あれだけ読めなかった小説の言葉たちが、すらすらと入ってくる。
その惹きつける力が、村上春樹のすごさなのだろうか。

しかし、以前『羊をめぐる冒険』を読んだときもそうだったから、分かる。
わたしは、村上春樹を一気には読めないのだ。
数ページ読んでは、いったん目を離し、テーブルに伏せて置き、ひと呼吸。
シナモンロールを食べ、ホワイトモカを飲み、物語の情景をまぶたの下で想像してから、もう一度、続きを読みはじめる。
それしか、進む方法はなかった。

けっきょく「石のまくらに」と「クリーム」というふたつの短編を読んだのち、本はカバンの中にしまった。
もう、おなかいっぱい、という感じだった。

気を取り直し、今度はカバンの中からノートパソコンを取り出した。
夫のお下がりの、古いパソコン。
いちど落としたせいで、左の角が割れてしまったパソコン。
起動して、すぐに「note」をひらき、この記事を打ちはじめる。
おどろくほど、すらすらと指が動いだ。

◇◇◇

じぶんの時間を過ごす」というのは、何なんだろう。

読みたかった本を読み、食べたかったものを自分のペースで食べて、飲んで、時々目をつむり、頭のなかを整理して、吐き出すことだろうか。
わたしの場合は、「note」に。

あるいは、今ずっと書いている小説の続きを打ち続けるのも「じぶんの時間」だ。
最近、夜な夜な書いている小説は、展開も結末も決めずに書いているせいで、終わりが見えずに、永遠と続く作業と化している。
それは、ゴールのない長旅で、途方もなく疲れるのだけど、同時に途方もなく楽しい行為だ。

そういうことを、思う存分楽しむこと。
じぶん自身に、焦点を合わせること。

それが、「自分の時間を過ごす」ということなのだろう。
少なくとも、いまのわたしは、そんなふうに過ごしたいようだ。
だから、「有益な時間を作ろう」なんて焦らず、ただ心の声に従えばいい。


◇◇◇


ふと顔を上げて店内を見渡すと、5人ほどだった客は、10人ほどに増えていた。

イヤホンをつけて、勉強している学生。
資料を睨む、シャツにネクタイのおじさん。
かっこいいヘッドフォンをつけた、お兄さん。
向かい合って携帯を見せあい、ひそひそと笑う女の子たち。

みんな、「じぶんの時間を過ごしている」のだろうか。
それとも、やらなきゃいけないことに、追われているだけ?

わたしから見て、その人たちがどんな気持ちでそこに座っているかなんて、分からない。
わたしのこともよく分かんないのに、ほかの人のことなんて、分からないのだ。
だから、なにも気にしなくていい。

いまはただ、自分の世界だけ。
じぶんだけ、見つめていればいいのだ。

今日は、もうすこしだけ時間がある。
まだしばらくは、この席に座って、読書や書きものを楽しめる。
おそらく次のひとりカフェは数か月後。
それまで、ここにはきっと来られないだろう。

めいいっぱい、味わって帰ろう。

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