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「育児はつらい」と嘆くブルースを。


最初の数ページは、ずっと泣きそうだった。

どうして、こんなに鮮明な言葉で、あの日々のことを書きのこせるんだろう。



島田潤一郎さんの著者『父と子の絆』。
読みながらわたしは、産まれたばかりの息子の世話に追われた日々を、思い出した。

「かわいい」よりも「恐怖」だった初日。
不安で泣きながら実家に帰った、退院の日。
夫が別れるとき、大きな声をあげて泣いた夕方。
それを見て、一筋だけ涙をこぼした夫。

あのとき、母になったわたしの世界は、絶望の灰色だった。
何をしたらいいか分からなくて、頭は真っ白。
かわいいはずの赤ちゃんを、「かわいい」と思えなくて。
心のなかは、罪悪感で真っ黒い闇のなかだった。

ぼろぼろの体で狼狽えながら、息子を抱いて部屋を歩き回った夜。
あの夜を、島田潤一郎さんは、ぜんぶ見ていたのではないだろうか。

そう思わされるくらい、「同じ」だった。
わたしと同じ。
同じ絶望を感じていた人は、ここにいた。

◇◇◇

いちばん心に沁みたのは、息子さんが生まれたあとすぐの日々を書いた「Her Majesty」という話。

ほとんど眠らなかったという息子さん。
そのお世話で、日に日に消耗していく島田さんご夫婦。
奥様のことはあまり書かれていないのだが、島田さんの正直な気持ちは、ありありと綴られている。

幸せというのではなかった。ぼくは妻と交代できる午前四時が来るのを待ちわびながら、いつまでも暗い部屋のなかをぐるぐると歩き回った。

同書、p.25

実際に、ぼくは自分のことをもっと大人だと思っていた。どんなに大変だろうと最終的に理性的な判断をし、自分の心のうちから無限に愛情を汲み出して、それを赤ん坊に惜しげもなく注ぐものだと思っていた。
でも、現実はそうではなかった。

同書、p.31


わたしは、赤ちゃんが産まれると、夫婦は自然と「幸せ」になるとおもっていた。
でも、そんなに簡単じゃない。
夫婦どころか、ひとりの人間として、試されるような覚悟と挫折の日々が続く。

わたしも、自分の不甲斐なさを、まざまざと思い知らされた。
これまで、およそ挫折のない人生だったのに。
親になって分かってしまった。
わたしはまだ、こんなに未熟で、幼稚で、短気で、自分ではなんにも決められないんだと。

その言いようのない絶望感を、言葉にしてくれているのがこの本だ。
愚痴でもない、文句でもない、悲観的な言葉でもないし、暴力的な感じもない。
ただ、あの日の言い表せない「負」の感情。
だれかにこぼすのもはばかられるような、苦しみの感情。
それを、淡々とそのまま文章にしてくれているのが、島田さんなのだ。

◇◇◇

島田さんは、別の著書で、こんなことを書いている。

ぼくがこんなふうに、あけすけに子どものことを書くのは、こうした文章がだれかの支えになったら、と願うからです。
子育ては大変で、孤独で、そしてどこまでも個別的なことです。
ぼくも息子の成長にともなって、さまざまな本を手にとりましたが、ぼくを励ましてくれたのは、いつも「子育てはたのしい」というタイプの本ではなく、「子育てはつらい」と嘆く、ブルースのような本でした。

島田潤一郎『電車の中で本を読む』、p.134


「子育てはたのしい」
「親ががんばらなければ」
そんなメッセージが込められた本も、たくさん読んできた。

「東大生の親がやったこと」、「自己肯定感を高める子育て」、「親が子どもにすべきこと100」。
こんな本は、今でもたくさん本棚に並んでいる。

でも、今はもう、どれも読んでいない。
それらはたしかに役に立った。
0からの育児の指針になった。
でも、それ以上に「プレッシャー」だった。

わたしはただ、寄り添ってほしかっただけだ。
「育児、辛いよね」って、言ってほしかった。

尊敬する人たちが、「子育て」に思い悩み、苦しみ、失敗し、もがいているような本を読むと、励まされた。
親として、後ろめたい気持ちになるようなことばかり頭に浮かぶとき、「あの本の著者も、同じことを悩んでいた」と思うだけで、自責の気持ちが軽くなった。

島田さんも、おなじように子育てに悩んでいるのだとしたら。
わたしはそれが、とてもうれしい。


もし、いま「育児疲れたなあ」とおもっている人がいたら。
ぜひ、読んでほしい。
優しい文章に触れてほしい。

お役立ち情報はひとつも載っていないし、読んだあとで我が子のために仕える小ワザはひとつもないけど。
もし、後ろめたい気持ちにつぶされそうで、自分の気持ちを押し殺している人がいたら。

この本はちょっとだけ。
そのどこにも吐き出せない、絡み合った本音を、ほぐしてくれるかもしれない。






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