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いつのまにか、こんなに渇いて。



息を深く、吸えなくなった。

それは、単に不摂生でお腹周りが太り、ズボンとの隙間が足りないから、というのもあるかもしれない。

でもそれにしたって、吸いこめない。
深呼吸、腹式呼吸ができなくなった。
やりかたが、よく分からないのだ。


次男を連れて、よく晴れた森林公園を歩く。
緑が多くて、木々のあいだの散歩道を歩きながら、大きく息を吸いたくなる。

すうー、と胸にまでは入る。
でもそこから先が、できない。
息は、うわずった感じで体のまんなかあたりで止まり、そのまま胸だけを膨らませて、すぐに出ていく。
そのすぐ出ていってしまったときの、もったいなさが何とも切ない。


せっかく今、緑に包まれた新鮮な空気があるというのに。
わたしはこれを、からだの隅々に巡らせたいのに。

できない。
毎日を目まぐるしく過ごしていると、呼吸までいそいそとしてしまって、ゆっくり深く吸えなくなる。

息の吸い方って、忘れちゃうんだね。



たまに、ママのヨガに行くと、「大きく吸ってー」と声をかけられるけど、あれ、みんなできてるのかなあ。
並んでいるママの列の中で、わたしだけひとり、スーハースーハーと浅い呼吸を繰り返すのは恥ずかしい。
黙って、ひっそり息をしている。

いつか、大きく胸を広げたとき、お腹の膨らみいっぱいに、空気が吸い込めたら気持ちいいだろう。

忘れてしまった深呼吸。
たまには、思い出してやりたい。




できなくなったといえば。
涙もすっかり、出なくなった。

わたしはもともと、すごく泣き虫。
感動しても泣くし、自分のことが嫌になった時も、おうおうと泣いていた。

とくに、育児一年目は、できないこともうまくいかないことも溢れすぎていて、毎晩情けなく涙が出た。


でも、そんなことももう、すっかり稀だ。
今年の3月頃、あまりに我慢の限界で爆発したときは泣きに泣いたが、それ以外では、最近涙が出たことはまったくない。

育児は相変わらず、しんどくて、泣きたくなるようなことがたくさん起こる。
自分の時間が持てなくて、心が詰まるときもある。

でももう、なんていうか。
泣いても仕方ないないんよなあ、って。

ようやく、そんな気持ちに辿り着いた。


泣いて、誰かが助けてくれるなら、何度でも泣くよ。
夫が心配してくれて、母が飛んできてくれて、育児が楽になるのなら、おいおい泣く。

でももう、そんなことはないのだ。
わたしは、親になったのだ。
泣いても、夫も母もいないし、我が子に心配をかけるだけなのだ。
それどころか、目が腫れるし、化粧が落ちるし、ティッシュがもったいないし。


だから、涙は枯れたのだ。

それは、頼もしい大人になった証拠なのかもしれないし、自分の心が渇いてしまったからかもしれない。
複雑な気持ちだ。
泣かないでいられるようになりたいって、ずっと願ってきたはずなのに。
いざそうなると、何かを失った気にさせられる。


もし、泣かないでやり過ごそうと思うあまり、自分のほんとうの悲しみに気づいていないんだったら。
それはやっぱり、ちょっと自分がかわいそうだ。


おいおいと泣く必要はないけれど、泣くべきところ、泣いてもいいときには、ちゃんと泣けるようにしておきたい。
深呼吸もそうだ。
吸いたい時には、大きく胸を広げて、息が吸える自分でありたい。


忘れ過ぎてしまわないように。
たまには、涙をほろりと流して、大きく息を吸い込もう。

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