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年を経るにつれ、原体験に戻っていく

あなたの原体験はなんですか?

原体験とは「その人の思想が固まる前の経験で、以後の思想形成に大きな影響を与えたもの」。検索するとそのように出てきます。

子供の頃にあった強烈な体験や出来事、ずっと記憶にとどまり、その後の人生に影響を与えている何か、と言えます。

私の原体験は、子供の頃の母の実家のあるところの自然。
山の麓の昔ながらの農家で、池や井戸、ぼっとんトイレ、竹やぶ、土間、茅葺き屋根、蔵がありました。広い庭からすぐ山に続いていましたので、散歩がてら山探索にいったものです。といっても、まだ小さな子供ですから、すぐそこまで、ですが。

また、もう一つの原体験はなぜか寺山修司の映画『田園に死す』。

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大人になってから、思わぬきっかけで、この映画を子供の頃に見たことあると気づきました。ストーリーはまったく覚えてませんしたが、見覚えあるシーンがあちこちに出てきました。独特な映像なので、その時にきっと衝撃を受けたのでしょう。そのせいなのか、もともと似たものをもっていたのか、この映画の感性が私のそれと似ているのを感じます。といっても、寺山氏の感性は卓越して素晴らしいですから、似て非なるものですけど。

原体験は知性ではたどり着けない生々しい生の領域

子供から大人になる過程で、いろんな出会い、体験、学びをします。その間、原体験のことは覚えていることもあれば、忘れていることもあります。自分がやっていることと直接関係しているとは限りません。でも常に根底に流れているものがそこにつながっています。

人生、試行錯誤を続けて、より一層、自分の核に近づいていくほどに、子供の頃の印象深い体験がカタチを変えて、おいでおいでと手招きしているように感じます。

それは知識や理性とは関係なく、感覚的なものです。いろんなことを学んできて、いろんなことを考えてやってきているのだけれど、根源的なところ...それは知識では扱えません。

原体験は、知性で解釈されるより前に、五感でもって直接的に感じ取った出来事です。音楽がストレートに私たちの心に響くように、その体験がストレートにあなたにぶつかっています。

原体験はあなたの人生のコアな部分を形成する

原体験が自分の人生にとって最も大切なことか、というと、そういうわけではないですし、それなしで自分が語れないかというとそんなこともありません。

でもそれなしでは、アメリカンコーヒーのように薄味人生になるような気がします。そこを突き詰めていくことは、社会的成功、成果や結果を出すということにまったく関係ありません。自分のディープな生の根源みたいなところに関わっていくように思います。

しかしながらそれを追求していくことは、自分の生の根源の扉を大きく開く行為です。通常の社会認識とはまったく別な観点から、独自の世界を切り開いていくのに最適だと思います。

原体験を表現し、昇華することで、あなたの生は輝く

寺山修司は、自分の生い立ちと関連させて『田園に死す』の映画を作っています。彼にとっては表現活動が自分を知ることでもあり、内面を昇華させることでもあったでしょう。

映画では、成長して大人になった主人公が、少年時代の彼に会いにいき、過去を確かめようとします。ある会話の中で「原体験は首輪みたいなもので、人間は記憶から解放されない限り、本当に自由になることはできない」と語ります。

原体験をトラウマや障害と見て、そこから解放されようとするのか?
それに直面して、自らそれを表現し、昇華しようとするのか?

私としては後者が望ましいです。若い頃はいろいろ学んだり、体験したりしますが、ある程度人生を経ていくと、それらがつながりはじめ、もといたところに強く引っ張られていくように感じます。

芸術や創造にはそういう要素がありますし、表現の力や生命力はそんなときにパワーを持ち始めます。

現代美術がだんだんと知的ゲームっぽくなり、根源的な力を感じないものが増えましたが、寺山修司の作品は生の根源を見つめ続けたものと言えます。

他の人の原体験がどういうものかわからないのでなんとも言えませんが、原体験を追求していくほどに、自分の生の根源に接することができるのではないか?と思います。

外の世界に飽きたら原体験を探究しよう

年を経ていくにつれ、外の世界の魅力がだんだんと上っ面に見えてきて(あるいは、今の時代性かもしれない)、自分の中の奥底にしまい込んでいた、生々しい生の息吹、それがそれまでの人生の集大成として、あらためて顔をもたげて、じっとこちらを見つめている、、、そんな心地がしています。

若いうちはいろんな誘惑がありますから、いろんな体験をすることをお勧めします。そしてある程度、いろんなことを体験したら、自分がずっと興味を持ち続けていることはどんなことなのか? いつも戻ってしまう分野や領域はなんなのか? 夢中になれることはなんなのか? だんだんと見えてきます。

いろんなことを体験したのちに、また原体験を探求しよう

ただしこれは収入や社会貢献とごっちゃにしないほうがいいです。それらとは関係ない領域ですし、人の理解を求めるものでもありません。が、結果として高い評価を得る人もいます。草間彌生さんがいい例ですね。

あまり何も経験せず、毎日を過ごしてしまえば、それさえもわからないままです。「やりたいことがわからない」という人は、圧倒的にいろんな経験が不足している可能性は否めません。

ずっと昔から呼ばれていたけれど振り返らなかった自分の根源。なぜならそこにいくことは、社会から逸脱してしまうことになりかねないから。

仮面をかぶって生きていくことをやめ、我が道を行くほどに、その世界はあなたを魅了していくでしょう。

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