見出し画像

勉強をしなくても幸せに生きられるこの時代に、なぜ勉強をするのか

※タイトルは完全に私個人の感想であって、これが世の中的にも絶対に正しいとは言っておりません。

※世の中の多くの事を知らない30代の人間が、自分の経験と周辺の人間を観察した結果、勉強しなくっても幸せになれるんだな~って信じるに至ったアンポンタンだというだけのことです。ご了承ください。


昔から学校の先生には怒られ、学校の成績は平均以下、かろうじて大学を卒業して教員になったものの、働き方が合わずすぐ退職、それからずーっと非正規雇用として生きている私が、

「せめてこれだけはっ!」と胸に抱えて大切にしている事は、どうやったら自分がもっと楽しく生きられるかを考え、実際に行動するということです。

頭やられてるのかな?って思われてもいいんですが、実は私、人生は楽しく生きられると信じています。そして、私はもっと自分の人生を楽しんでいい、とも思っているんです。

昔からポジティブな性格だねぇって、よく言われてました(照れ)


そんな私が考えるに、人生を生きる上で大切なことは、学ぶチカラ・考えるチカラを身につけるという事です。

これは、自分にとって楽しい人生を送る、自分が生きたいように生きる為に、絶対的に必要になります。

だって、制限ってもんが、本当に多いんっすよ。


私の中の制限は、例えば、「社会人なんだから正社員にならないといけない」とか、「30代にもなってふらふらしていたらいけない」とか、細かいもので言うと「退職する時は選別のお菓子を配らないといけない」とか、そういうですね、自分の行動になんかこう、見えない足枷がはめられるような、重くて邪魔なのに、つけていないと落ち着かない何かです。

この足枷は、たぶんこれまで自分が生きている上で、”正解”だと思い込まされた姿なんです。

この足枷がはまっている時の私は、本島はしたくない、そのスタイルは自分には合わないと思っているのに、その足枷にあった言動をしてしまいます。

そうなんです。これは、そうじゃない姿の時の自分があたかも劣っている、もしくは間違っていると思いこんでしまう何かでもあるんです。


この足枷を外すことは難しい事ではありません。

しかし、明確に「外すぞぉっ!!」と思い切らないと、意外と外せないものです。

ちなみに、この見えない足枷を外せた分だけ、自分が今よりも軽い気持ちで、自分の人生をもっと自由に楽しむことができると思い込んでいるのが、この私です。


この見えない足枷を外すためにぃ!

必要なものがぁ!

学ぶチカラ・考えるチカラなのだぁ!


そういうチカラっちゅーのはですね。

持っているピースをどうやって組み合わせると綺麗かを想像したり、そもそも足らないピースをどうやって見つけるかを考えたり、ピースの形が合わないのなら電ノコで削ってみるか!と創意工夫できるような、そういうチカラのことです。

こういうのは、学校の勉強だけではなく、生活の中でも十分身につくものです。

ただし、学ぶってどういうことなんだろう?とか、知識を身につけるって何?って思っちゃう人には、勉強をしてみる経験があるといいなぁとも思うんですね。

だって経験してると、それを違う場面でも活かせるでしょう?

だから、勉強してみる事ってとっても贅沢な体験なんだよって、私は思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?