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寄付できないほどのビンボー信者のおはなし

こんにちは。
こんばんは。
志田わらびです。

今日は、うちがビンボーすぎたために、
寄付があんまりできなくて、
結果どうなったか
というおはなしです。

エホバの証人だけに限らず、
宗教の二世の方の多くは、
高額な寄付で苦しめられている現状があります。
そんななか、
これは軽はずみな気持ちで
題材にすることではないと思います。
ですが、
宗教という
集団心理を操作して、
ひとりの人間をまつりあげ、
さらしものにして
そこからまたお金の動きが生まれて
一か所にお金が集まっていくのが
たまらなくくやしいのです。

その他大勢の集団のほうにいるうちは、
にっこり笑って
沼に浸かっていられるでしょう。
でも、いつ、その集団の
攻撃の的になるか、誰もがその可能性を持っているのです。
いつも目を光らせて
餌食になるやつはいないか。
もう、そこには、神の愛は
感じられません。

私の記憶では、
エホバの証人の組織の運営は、寄付によるものでした。
各種書籍の販売は参考価格だったと思います。
「あなたがいいと思うお値段でお求めいただけます」と言って、
一冊の聖書が3000円くらいだとしたら、
「ほんじゃ300円」
という方には、300円で配布して(聖書を手に取っていただけたのでOK)
「その価値300万円」
という方からも、遠慮なく300万円いただくのだ、と
習いました。
これは、私の子供時代の記憶なので、
実際どうだったのか、曖昧ですみません。

だいたいいつもは集会のあとに、
会場の後ろあたりにおいてある寄付箱に
任意の金額で
お金を入れていました。
私も、お小遣いから50円とか入れたことがあります。
でも、
それも、ほんの数回のこと。
私は寄付ができるほど、
お小遣いをもっていなかったからです。

そして、信者だった私の母も、
がんばって、寄付をしていました。
でも、やっぱりビンボーだったので
上限があります。

「貧しくて寄付のできない方も、祈りは神に聞き届けられます。
ですが、今月は、いくらほど足りません」と
長老(地域の集会のなかでいちばんリーダー的な男性)がいうと、
集まる寄付金額が上がる不思議。母は
「なんでみんな増やせるんやろ?もう、これが私のせいいっぱいや。」
と言っていました。
みなさんは
「エホバはその金額ではなく、気持ちを見ていらっしゃるのよ」
と、
たくさん寄付のできない母を
慰めてくれていました。

最初のうちは。

それが、
だんだん変わっていくのです。

「志田さんは施しが必要な人」

そうして、母は、
みんなから、”かわいそうな人、助けてあげなくちゃいけない人”
という分類になりました。

集会のお話のなかでは、集まった全員に向かって
長老が
「みなさん、愛をもって、困っているかたには手をさしのべようではありませんか!」
「ぱちぱちぱち」全員で拍手。
これってー、うちらのこといってるんですよねー
と私は子供心に察知していました。
母も、きっと内心くやしい気持ちでいただろうと思います。
こればっかりは母の頭の中をのぞけないので
わかりませんが、
私だったら、この公開処刑には耐えられません。

ある方は、食事の差入れをくださったり、
ある方は、衣服のおさがりをくださったり、
ある方は、私たちこどもを家にお食事招待してくださったり、
若い方は、公園に連れていってくれたりしました。
そうやって”手をさしのべて”くださいました。

本当にそれは、感謝なんです。
うれしいことばかりです。
たのしい思い出です。
でも、でも、でも。
色々していただいていうのも
ばちあたりなんですけど、
「あなたたち貧しいんでしょ」
「私たちが助けてあげるからね」
という大人のマウント?優越感?
「あの人ができない分、私が寄付する!」と
寄付を増やしていく大人を見ていて、
それから、
あんまりうれしそうじゃない
母の顔を見ていて、
複雑な気持ちでした。

それからもうかなり何年もたって、
私が集会にもついていかなくなっていた頃、
母が
「なんかさー、みんなで私のこと
”助けが必要な人”って言ってくるやろー、
あれ、いやなのよね。内緒よ。」
と、言っていました。
その母の言葉を聞いて、
私の複雑だった気持ちにもはっきりと結論が出ました。
やっぱり、いやだったんだー!あーよかった!
母の感覚も、私の感覚も大丈夫だ、と思えました。


そうやって、少しづつ、
母も組織に対して、うっすらと
疑問を持つようになり、
魔法がとけていくように
最後、母は【排斥】されるのですが、
これはまた別の機会に書きたいと思います。

私は、エホバの証人全員を糾弾するためにnoteを
書いていません。
本当に親切にしてくださったほとんどの方に感謝しています。
これからも愛に生きて、幸せに暮らしてほしいと思っています。
そして、このことが原因で傷ついた私の一部分が、
「本当の愛の存在がすぐそばにずっとあった」ことを思い出して
幸せな気持ちで暮らしていきたいなと思っています。
私が、私の気持ちを整理するために、書いています。
ひとりよがりでごめんなさい。

今日書いたことは、
宗教の組織内に限ったことではなく、
どんなコミュニティにも
人間が集まる以上、発生してくるおはなしかもしれません。

最後まで読んでくださってありがとうございました。


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