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遺書となるはずだった文


前書き


遺書本文は2023年2月6, 7日の2日間で執筆した文章となります。
本記事を投稿しようとしている現在、2024年5月31日の時点で私は存命でありますことを伝えておきます。

さて本文は題の通り、私本人が自死決行に向けてしたためた、「遺書となるはずだった文」となっております。
当初は実母に向けて書き始めたものの、途中から友人にも読んでもらおうかなどとも思い始め、最終的には私の常日頃の思想として発信「しなければならないのではないか」というような謎の使命感を受けつつ書き納めました。
以前も一度この遺書を公開発信したことがあるのですが、この度私は自分の遺書を売ることが出来ないかと考えたのでした。
「売れる遺書」となると思い浮かぶのは松本人志さんの『遺書』がありますね、読んだことはないのですが。
遺書を売るということに何か倫理的な違和感のようなものを感じる気もするのですが、この感覚は生きづらさを生んだりするのでしょうかね。

ところで、以前この遺書を読んだある方から「読むのにめちゃめちゃエネルギーを使う」というようなことを言われました。
「文章構造や表現的に読みにくくエネルギーを使う」という解釈も出来るかと思いますが、私は「読んでいると様々なことを考えさせられてエネルギーを使う」という意味で解釈しました。
読むと何かを考えさせる文章、私にとってはケースバイケースです。
「ああ今は考えたくないよ〜」という時にはこのような文章、ニュース、その他の媒体で情報が侵入してくることにストレスを感じることがあります。
無料で使用できるサービスにはこのような弊害がある、そのように感じることが多々あります。

「いや人の遺書なんて今は読みたくないねんけどな…」なんて時に私の遺書がどこからともなく突然現れたらどうでしょう?
楽しい気分でnoteをサーフィンしてたらおすすめ記事で遺書が出てきたら?
そうなんです、「有料にする」ということは「受信者を守る」ことにもなるのです。
私のこの遺書を読みたい人はお金を払ってでも読むでしょう。
無料であったならなんとなく惰性で読んでしまったかもしれないこの遺書を有料記事とすることで、1つのハードルが生まれます。
「有料ならいいや」、そう思った貴方はおそらく今この遺書を読みたくない、準備が出来ていないということもあるかもしれません。
そんな貴方の中に土足で入ってくるようなことはしない、それが有料記事なのです。

電車の中で、聞きたくもないのに耳に入ってしまう誰かの声。
耳栓をするかノイキャンで防音しましょうか、すると聞きたかった自然音が聞こえにくくなってしまうかもしれない。
手に入れたい情報だけを手に入れればよいではないか、そんなことを考えながら、遺書を有料化することを正当化出来ただろうと思い込みながら。


遺書本文

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