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幸福と呼ぼう

なんやかんやで書く。
ダルいなあと思いつつも書く。
自分のことは自分が一番分かってんねん黙っとけやカスと思いつつも書く。
思った以上に私は自分のことを知らないから。
いや違うな、「自分のことを理解しているという自信を持てない時がある」とでも言えるだろうか。

自分という乗り物を上手く運転している、コントロール出来ていると感じられる時がある。
対して自分というものがよく分からない、思うように動かせない時もある。
冷静に考えてみれば無理をしていたように思う。
本当は拒絶したいものを許容しようとしていた。
許容出来たならばその先に得られるものがあると思っていた。
これが曖昧だった。

美しい肉体を手に入れるために、筋トレをする。
目標のために負荷を受け入れる。
最近のストレスに見合うだけの対価が得られそうだというポジティブなビジョンは見えなくなっていた。

まあそんなことを考えていても、母親と少し話したりNetflixのライブラリを眺めているだけで、さっきまで頭の中を占領していた思考もどこかへ行ってしまった。
何気ない日常に没頭できることこそ

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