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★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~ ⑧"こうすべき" をすべて外したときに ~優しい無重力の中で~」

※連載のあらすじ※
「自分のカラーや感性を大事にして生きる人」をコーチとしてサポートする丈二(joji)の、シンガーとしての挑戦記録。偶然うまれた機会から行うことになった1stLIVE(歌、語り)。しかもいきなり憧れの素敵すぎる場所(渋谷JZ brat)で行うことに。ドタバタの中で自分と向き合い、仲間と取り組んだ数々の学びや気づきを連載しています。
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前回のおさらい (コチラから)
偶然から大きなLIVEを一人で開催することになり、ばたつく心。
切り札として受けたコーチングは効果てきめん。長年の自分がはまりやすいパターンを知って、それをはずしながらLIVEづくりと向き合っていく。
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自分自身がコーチでも、自分のことは盲点になる。
ジタバタする心をどうにかしたくて、コーチングセッションを受けた。
長年「分かっていても、それでも絡まっていた糸」がほぐれた。
言われてみれば本当にシンプルなことが、時にとても難しい。
人間だもの。
逆に言えば、シンプルなことにとても大事なことが潜んでいたりする。

「人生にhave toなどない」
これはコーチングの祖、ルータイスの言葉。
やらなきゃいけないこと、なんて無いというのだ。
その反対にあるのがwant to、やりたいこと。
それだけで人生を生きることが可能だと言う。

親だからといって子供のお世話がしたくないなら、
ベビーシッターを雇えばいい。あらゆる立場に関わらず、自分を犠牲にする必要はない。
料理が嫌ならば食事もデリバリーすればいいし、
運転が嫌なら運転手をやとえばいい。
そうしてあなたは自分の才能とやりたいことだけをすればいいのだ、と。

そう聞いてどう思うだろう。

そりゃそうだよな、と思うかもしれないし、
とはいえ難しいとか、そんな自分勝手な、とか思うかもしれない。
その答えのどれもが自分や自分のスタンス、マインドをうつしだす。

"考えてもみなかったけどそうだねー" とあっけらかんと笑える人は、
自然とそうやって生きているかもしれない。

一方で、"want toで生きなきゃ" という焦りや、"そうじゃなきゃダメなんだ" ということそれ自体がhave toになってるかもしれない。

want toに生きようとして、want toに生きなきゃ、と縛られることになる。
自分を生きていそうと思う人と比べたりする。
人とくらべることから卒業して生きることをしたいのに。
そんな矛盾に満ちた状況はよくわかる 
滑稽だけど、本人は大真面目、まさにかつての私だ。
have toのプロフェッショナルと言ってもいいくらいだった 笑

どこまでwant toに生きているか、
それは奥深くて、「螺旋階段」のようだ。
同じ場所をぐるぐるまわっているようで、
その実、違う高さに到達できている。
かと思えば、とても登ったつもりでも、
上から見ると場所は変わっていない、なんてこともあるかもしれない。

話を戻すと、コーチングセッションで一つの大きな鎖をほどいてもらった。
「立体駐車場にある回転するやつみたいに、登りも進みもせずその場でまわるだけ」になりがちな作動バグをほどいてもらった感覚だ。

立体駐車場

(ターンテーブルというらしい。まわりを見渡したり、向きを変えることは大事だけど、そこから出なければどこにも進めない...笑)

「あなたは自由だ」 
それだけいわれて自由に生きれる人は
はじめからそう生きている

不自由な天井は勝手に自分でつくりだしたものだから、
そりゃそうだ。

話を戻す。そう、LIVEの話だ。
"何人くらいは呼ばなきゃ"
"盛り上げるにはこんな構成にしないと"

これはみんな "人の目" 、"体裁"。

表面的にはやってること自体は良い事に見えても、
コーチング的には微妙だ。
必要なのは自分自身との対話。
誰かがどう思うとか、採算を成り立たせないととか、
それをすべて取っ払った時にどうしたいのか

さらっと書いたけれど、とんでもなく奥が深い。

よし、何にも縛られずに自由に取り組むぞ、
そう決めた次の瞬間、鳴り響く心の声が言う

"いやいや、言うてもこんなしっかりしたライブハウスだからそれなりに"
"それだけで食べているプロの人ですら活動が限られているこの時勢に、自分なんかがやるって..."
"好きな場をつくった結果、お客さんが5人とかでもいい、気にしない、、
っていやいや100人近いキャパの場所でそんなのだめでしょ"
"みっともないし"
"歌は何曲くらいやらないともたない?"
"落ち着いた曲ばかりじゃノリが悪いかな?"
"来てくれた人に最低限満足してもらうのってどれくらいの長さ?"
"語りとかいれたら場のテンポがわるくなるかな?"
.
.
.
あーーー好きにせーーい!!(過去の自分に向けて)
ほんとにその通りである。 

それでも実際に向き合う瞬間には
誰だってそんな声がやってくる
(それは挑戦している証拠でもある。安全地帯では不安の声はない)

"だってそうじゃん、〇〇はどうしようもない点じゃん?”
"お金ないと結局困るし、誰も来なかったらやっぱり困るじゃん?"
"だからやっぱひとを集められる見込みがなければ厳しくないか?"

などと騒ぎはじめる。
ここに書いている量はかわいく思えるくらいに、そういう声はしつこい 笑

けれど、
引き算や逆算じゃなくて、
ゼロのところに好きに何を足していくか
、なのだ。

"ライブというのはこういう形にしなきゃ"、
”人に来てもらわなきゃやばい” ではなくて、

「こんなメッセージを届ける場所にしたいな」
「それでいうとこんな構成にしたいな」
「この人に届けられたら嬉しいな」

なのだ。
とりかこむ状況がどんなものであれ、
何にもとらわれず、思うままに動ける状態、
そんな無重力の状態が必要だ。

逆に言えば、たくさんの重力に僕らは縛られている。
どちらが正しいとか、上と下だとか、そんなものがあるような気になって。

1人では気付けなかったり、
無重力に生きることは簡単ではない。

コーチングというと、前に進もうぜ!と
ひたすらにプッシュするイメージを持っている人もゼロではないと思う。

でも、大前提として、
「それ進みたい方向なん?
 行きたい方向を前と呼ぼうぜ、
 社会じゃなくてさ、自分の」
と言っているものなのだ。

そしてそこに進もうとするときに【つい踏んでいるブレーキ】とか、
【知らないうちに装着していて視界を悪くしてるグラサン】とか、
そういったものを外していく。

そんなわけで、
挑戦には怖れや "こうじゃなきゃ" がつきものだ。
"とはいえマインド" とでも言うものを何度もはがしながら、
どこまでも自由にライブをつくる時間がはじまっていく。

ちなみに、葛藤がでた時点で、本当はつくっていきたい方向性は
本心では大体分かっている。

"語りなんて入れたらテンポが悪いかな?"と思うのは、
語りを入れたいからだし、
ノリの良さを出さなくていいのかな、と気にするのは、
とことん落ち着いた場にしたいからだ。

そうやって本音を拾い上げながら、動いていく。

その時にカギとなるものがある。
次回、
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~ ⑨〇〇〇〇1000本ノック」

ここまで読んでいただきありがとうございます♪ (丈二)

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初回の記事はコチラから
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~①はじまり 」
https://note.com/joyandefficacy/n/ndfc6047e2369

前回の記事はコチラから
★連載「本音で生きる~LIVEエピソード~⑦切り札・開ける視界 」

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