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走ることは球体を磨くようで、そしてそれは人生のようだ

わけの分からないタイトルで恐縮だ
浮かんだイメージを、この熱の冷めないうちに。

先日につづき、今日もまた温かい光に誘われるようにしてジョギングへ。
まだ咲いている桜の美しさも、二回目になって目に入るようになった桜以外の青々とした木々の輝きも捨てがたい。

だがそれ以上に今日感じたのは、走ることで見えてくること。

先日も走ったとはいえ、まだまだ運動不足の身。
試しにいきなり軽くジョギングをはじめようとしたら、
さっそく脚に違和感。
いきなりはやめてウォーキングから始める。

足の指先をひらきながら、可能な限り地面を感じながら、歩く。
左右のバランスの違いを自覚しつつも、おぼろげに感じるあるべき重心や足の感覚をイメージしながら、無理はせずに歩いていく。

だんだんと右足は地面とお近づきになってきたような気がする。
そう、いつも左がどこかぎこちない。
それでも少しずつ温まってくる。
足を踏みしめると腰や背中、肩、頭といったところにも意識が向かう。
この足取りを支えるには腰が安定しないと、、
などと言葉にする以前の、身体の連動している感覚、とでもいうべきか。

その感覚だけを頼りに、脇腹をほぐしたり、手をラジオ体操にでてくるように回したりしながら、全体をほぐしていく。

人間の足というものが本来もっている "ばね" の感覚を取り戻してきた時、
ふっと走り出す。
焦らない、スピードではない。
身体の欲するままに脚を交互に前に出す。

元も子もない話ではあるが、
人は動くと元気になるらしい。
元気だから動ける、という状況もあるのでどっちが先やねん、という話はありつつも、理屈を越えてそれを感じる。
歩きながら、エネルギーをより感じる。
つい走り出した、という感覚でゆっくりと進む。
しだいに身体のばねの感覚が増してくる。
走ることがより楽しくなってくる。

かつて、学生時代に同じ場所をランニングしていた頃。
可能なかぎりスピードを上げ、多く周回し、脚力を最大限につけながら
完全燃焼することが正義だとでも言うかのように、
アップもそこそこにハイスピードで飛ばして走っていた。

それはそれで楽しかったが、よく足を痛めた。
今思えば、それほどまでに何か振り払いたいものがあったのかもしれない。

でも今、走るということは違う形をしている。
身体の重心を確かめ、手先足先の感覚で行き届いていないところを
確認しながら、そこに血流を通していくかのように。
あるいは、ただ前に脚を出して進み続けるという行為の中に、
歪んだ身体のクセに気づき、より自然に動ける使い方を模索するかのように。
そうして走っていると、身体が上下にゆれる。
その時、地面にトッ、トッ、トッ、と音を立てながら進むのにあわせて、
肩や首まわりの凝りが流れていく。
走ることは、身体をほぐすことでもある。

そうしていると、走るということには無数のパターンがあることにも気づく。
脚の筋肉や左右のばねを確かめるような走り方、
身体全体の体幹をぶれないように保つ走り方、
脱力して凝りをほぐすような走り方。
それぞれの筋肉や部位、意図することによってさまざまだ。

そうして、その時に訪れる一歩ずつの感覚にしたがって
足を進め、身体を動かしていると、
球体を磨いているような感覚になる。

はじめは足先だけだった地面を踏む感覚が、腰までつながり、
しだいに頭までへとつながっていく。
連動する感覚。
そして、偏り、凝りを感じるところをほぐし、流していくと
分離していた肩と背中の間から、こわばりという境目が消えていく。

何かそれと同時に、「こうあるべきだ」
「こうじゃなきゃいけない」という考えや、
肩に力が入っている状態が、ほどけていく感じがする。

やさしく球体が磨かれ、凝りがほぐれ、
より自然な姿になっていくような感覚。

きっとその目指す先は、
誰もがユニークで、誰かと比べての "答え" なんてないはずだ。

けれど日常の中で、つい何かに寄せていく、ということをしてしまう。

バスケットボールとゴルフボール、テニスボールにボーリングのボール、
一口にボールと言っても、大きさ、固さ、色、素材、何もかもが違う。

それなのについつい、「今の時代はバスケットボールだ」と言われれば
中途半端にそれを目指そうとしたりする。
そしてまた次のタイミングで「ニッチでいこう、ゲートボール生き残り戦略」という言葉をきいてそれを目指したりする。

楽しくやっているのなら、きっとそれも良いのだろう。
変幻自在のボールでいたい人もいるかもしれない。
けれど、誰もが何か "答え"のようなものに寄せる必要のない、
ユニークな存在だとしたならば(そして実際そうだ)、
すべきことは、自分らしい磨き方、あり方を追求することの方なのかもしれない。

そしてこれは、ある種言葉や理屈を越えたところの話でもある。
私にとっては、お風呂や走っている時、歌っている時に、
思考がゆるみ、自由な発想に開くことのできる状態がやってくる。

きっと人それぞれその手段は違う。
今日なのか明日なのか、でも違うだろう。
みなさんにとって、"それ" はどんな時だろう。

こんなにも世界の見え方はそれぞれ違っていて、
その多様さが美しい。

心地よい汗を流したシャワーのあと、
浮かんだイメージが消えないうちの、備忘録。

そうだ、心が動く瞬間って、些細でもこういうことなんだろう。

自分という球体の、ありたい姿を浮き彫りにしていく。
そのアンテナは心が動く、開ける感覚。

あぁ、走ることは球体を磨くようで、そしてそれは人生のようだ。
そんな思いに満たされた今日でした。

丈二

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【プロフィール】
丈二(じょうじ):コーチ、シンガー
人間の個性や多様性を生かした生き方を模索し、実践しています。
歌、コーチング、哲学、アート、感性/個性、自分らしく生きる。
ピンと来た方はLINEからの情報もぜひ♪
日々を自分らしく生きるための相談や、セッションなども行っています。

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