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「念のため」を、嫌悪するムードが漂っている?何が原因なのか?

❶「輪止め」の手間を嫌った工事業者は、はっきり言ってプロじゃない!

公費を受け取る資格がないということです。言い換えれば手抜き工事、更には内々の詐欺とも言いたくなる状況です。

坂道途中(勾配十分にあり)の工事現場で、工事用運搬車両(2tトラックトイレカー、移動用車両等)に(まさかと思いましたが)輪止めがありませんでした。日曜日のためか、工事看板に掲載の電話番号は不在でした。「もしも動いたら!?」という発想はなかったのでしょうか? 休日前に慌てて仕舞いとしたのでしょう。工事途中の「段差あり!」の注意喚起も何もない状態です。「管理者も不在ですか?」。


❷絶対にあってはならない事が発生した責任は重い。重過ぎる。

「絶対なんてあり得ない。」何の言い訳にもならない言葉です。200%でも大丈夫と胸を張れる信頼なくして、この街中で仕事をする姿勢に疑問が尽きません。究極は「私の家族や知人は、ほとんど100%ここを通行することはありまでん。」だから安心ですか?他人の命があまりにも軽んじられているのではないでしょうか?

不測の事態は何処にでも付き物ですが、許容範囲は時と場所によって大幅に異なります。


❸自然を相手にする仕事(大工事)は土木の醍醐味です。把握仕切れない世界に結果的に勝つことで「醍醐味」と言葉できる!

1⃣住宅地の地下を潜り抜ける工事は難しいでしょう。間違いが許されないからです。事前にもう少し(全てにおいて)できることがあったのではないでしょうか?

2⃣陥没という現象を目前に恐怖に怯える住民を待たせ過ぎですね。被害者への手当(対処)はいつも最後だという印象があります。原因究明、責任追及、対処法検討、予算確保、そして執行では遅ぎますね。先ず、一番困っている住民への手当(対処)でしょう。仕組みや制度が難しいのでしょう。だから遅くなると言い訳ができる時代ではないのでは、ないでしょうか?「旧態依然」。残念ながら、この言葉で上手く説明できそうですね。特殊な思考も不要で、普通に違和感として感じる話題です。


おわりに

全てが形骸化、希薄化しているように感じるのは、異常でしょうか? 何かに急ぎ過ぎ、追われ過ぎ、「本質の命の尊厳」を見失い過ぎでは、ないでしょうか?

世界の終わり?

GARY MOORE -Guitar solo ~ The End Of The World - 1984 LIVE

59才という若さで急逝。多くの驚きと感動と勇気と希望と心の拠り所を与えて頂きました。次の世でも素敵で華麗なギターを披露して頂きたく。♥。
心からご冥福をお祈り申し上げます。



私達が携わる先に「命」が必ずあるのだという自覚を、再確認したいものです。

この簡単で素朴な想いが届きますように。

儚く尊い命を守りたい。

誰かの命を救いたい。


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