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「光」を失う恐れと向き合う「心」。



Hide with lovely Mayは私の妻です。一つ問題が浮上しました。「光」を失う可能性を指摘されてしまったのです。先週の緑内障の検査の中で分かったことです。


元凶は多発性硬化症。その他、連鎖反応的に複数の病症があります。

多発性硬化症の病を患ってから27年目にもなります。その病は、所構わず襲う激痛、痺れ、麻痺感に近い痒み、虫ずが走るような不快感など、表現すべき材料が豊かで嬉しくなるほど。「それでも生きろ!」、いっそ「楽になってしまえ!」と言わんばかりに休む暇なく「全身・全神経」へ「強烈なメッセージ」が襲来するのです。

この「強烈なメッセージ」と対峙するために、日に三回の「大量の薬」を服用しています。痛み止め、痒み止め、精神安定剤、睡眠導入、睡眠剤、胃の保護、下痢止め、糖尿病対策薬・・・。一回の量は小皿に山盛りの溢れんばかりです。


短期決戦ではなく、何十年単位となってしまったのです。辛かろう、辛かっただろう、そしてこれからも辛いだろう。もうこれで十分な筈ですが、輪をかけて「失明」の恐れという「暗闇のメッセージ」が重なって来ました。


「光」を失う恐れと対峙する「力」、支える「心」。

個別の肉体と心を各々に所有していますが、目の当たりにする行動、仕草、表情からは「悲痛」としか表現できない「何か」が、ドシッと、そしてザックリと「胸のど真ん中」へ、えぐり込んで来るのです。

もしも「楽観の部屋」と「悲観の部屋」の気付きを得ていなければ、二人揃って「昭和枯れすすき」の世界を体験することになったことでしょう。

昭和枯れすゝき - さくらと一郎


Kiss MTV Unplugged Goin Blind


そして「毛むくじゃらの妖精たち」の「無邪気な生命力」と「笑顔のエネルギー」も、途轍もなく大きな「陥没へのブレーキ」となっています。


もしもこの2つの「プラス」がなければ・・・考えるのが恐ろしくなります。


生まれつき全盲「鍼灸・マッサージ」先生の存在。

全身の痛みを少しでも和らげるために、「鍼灸・マッサージ」の出張サービスを受けていました。その先生(ご高齢の貴婦人)は、「光」を知らない、生まれつき全盲の方でした。とにかく剽軽でお喋りで、鍼灸・マッサージ施術の質を疑うほど朗らかな方でした。容姿を表現するとセクハラに該当するかも知れませんが(エイヤっ~!言っちゃいます:小柄でぽっちゃり、色白で可愛らしい感じです)。

朗らかさとお喋りには悪い意味は全くなく、そのひと時の空間そのものに「癒し」を与えてくれるという表現が正しいのかも知れません。

施術中に、ぽつりぽつりと、勉強(修業)中や仕事として始めた当初の苦労話しや、セクハラ、パワハラに災悩まされた記憶や印象を表現されていました。

例えば、「赤い色」。分かるらしいのです。もちろん「自分なりの解釈」で。体に感じる温度、手触り、柔らかさ、匂い、響き(音)、衝撃波(風圧)などを総合して「赤い色」を映像化するらしいのです。全ての耳から入る言葉は、視覚以外の全ての触覚で感じ取り、読み取り、分析して、頭の中の引き出しを開けまくり、ようやく映像化できる。しているらしいのです。

ですから、「あそこのパン屋さんのアンパン、美味しいね。」「小豆が大粒で、あんまり甘くなくて。」「幾らでも食べちゃいます。」「だから、ぽっちゃりなんです。」「あはははっ~。」「でもね。上に乗っかってる胡麻はね~。」「もうわたし、入れ歯でしょう?。」「間にハマったら。」「痛くて~。」「せっかくの味が台無し。」「嫌だわ~。」「あはははっ~。」

という具合で、「ホントに見えていないの?」と違和感を感じるほどなのです。(心の中では冗談半分で、本当は見えていても見えない振りの方が救われるね。といつも苦笑いができるほど、空間を溶きほぐしてくれるのです。)


七色の「光」を失う怖さ。

妻の場合は前提が大きく異なります。既に七色の「光」を知っているのです。もう50数年も観て来たのです。それが「全くの暗闇」となったなら。少なくとも今のこの時点で「暗闇」の意味と暗さ、辛さ、怖さ、切なさ、情けなさ、申し訳なさ、悔しさ、尊さ、全てを想像、映像化できてしまうのです。

この衝撃は、余りにも大き過ぎるのです。庇い様が全くないのです。慰めようがないのです。他に代わる「視力」の提案など、はっきり言って嫌悪でしかなく、「クソ食らえ」なのです。

長年に渡って対峙してきた「痛み」や「鬱」を知っていることで、辛うじて「正気」を保っているだけなのです。

心の内を代弁するとなれば、きっと、「畜生! 何でここまでするの?」「わたしが何か悪いことした?」「あぁ~。狂いそう。」「もう、どうでもいい。」「何もかも無くなってしまえ!」。

これまでの「辛さ」に追い打ちをかける「光」の問題は、重さと衝撃の質が異なり過ぎているのです。


近況と今後の予定。

明日19日に、多発性硬化症の観点からの再診察の後、その最新の結果を持って、来月初旬に改めて、評判と実績と権威ある眼科で再度の検査、診察と、今後の見通しと相談をすることになっています。

あまり芳しくはなく、楽観的ではいれないかも知れません。

こんな状況もあって、現在はnoteへの投稿意欲も失せ(それどころではなく)、自分と一生懸命に向き合うことが精一杯の状況なのです。


今、こうして書き表すことの皮肉。

平静につらつらと他人事のように書いてしまう自分を呪う一方で、「表現してみれる先」のnoteの世界には、ある意味で感謝しています。

この想いを生身の「心|気持ち」だけで匿うことは危険な行為だと、今だからこそ言えるのかも知れません。せっかく学びつつある「言葉による表現」を、ここで発揮できるとは。・・・

皮肉なものです。


「誰かの命を救う」活動を始めた矢先に、最も身近な存在の「光」を失う可能性があるなんて。



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ここまで書いて、一旦止めました。余りにもそのまま書き綴ったからです。誤字脱字、推敲は全くありません。作品ではなく、ただの日記かも知れません。それでもいいのかなとも思っています。

もう一巡、読み直してみて、項目を立てるかも知れません。記事の引用や動画を挿入するかも知れません。ただ、感じるままに、できる範囲で表現を装飾してみようと思います。


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最後までお読みくださり、ありがとうございました。

健康とは。健常者とは。病とは。障害とは。障害者とは。老いるとは。高齢者とは。

色々と考えさせられる日となりそうです。

良いことと、悪いことは、常に、ほぼ同時にやって来るものですね。それでバランス(平準化、平等化)されるということなのでしょうか?

桁外れですが、一長一短として受け入れるしかないのですね。

今は、ただ、書き表せる世界があることに、感謝しつつ。

心の平安を保つ工夫と努力を目指します。


_(._.)_🌹

※ペコリ _(._.)_ は、誤字脱字(見直し)の確認の印です。
(発見された方は、是非ご指摘願います。真摯に受け止めます💝)



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※この記事の悩みどころ(表現や判断に迷った事などをメモしています。)
・日記に装飾が必要か否か。アナログの世界なら答えは一つしかない。否。
・この時代、このnoteの世界だからこそ、コピペ一つで装飾ができてしまう。素直に感謝すべき、感動すべきこと。


※参考・引用など


<イメージ写真・動画など>

明暗の狭間
https://www.photo-ac.com


以上


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