真理を求めて
schoolの元となる単語のscholarには「学者」という意味があり、語源は「暇人」です。
私はせっかちなのですが、早合点せずに人生をかけてマイペースに学問を楽しみたいです。
楠学問だなぁ。
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真理≦哲学<宗教
真理…万物に対して揺るがないもの
哲学…人間に対して揺るがないもの
宗教…価値観の合う人間同士に対して揺るがないもの
不等号が右に行くほど(大きくなるほど)、解釈が『自分にとって』goodの度合いが強い。
私達は主観で生きているから、常に客観的に正しくある必要はない。
とはいえ、正しく生きたいというのもその人の持つ価値観の一つ。
↑という思考を皮切りに、真理を求め始めました。暇人ですね。
文系は、人による視点で解釈して、人の創った言語で表現する学問だから、異なる国や文化の人と擦り合わせをすると齟齬が生じる。
答えが一つにならない。
だから、そこが私的には『真理では無いな〜』と感じていた。
(けど、その齟齬や差こそが浪漫だったのかも。
と今では感じます。)
哲学は、人による視点で解釈して、人の創った言語で表現するから、本当に真理か?と疑ってかかっていた。
凄い面白いのだけど、真理に対しては≒でしかない。
やっぱり解釈に過ぎない、と感じました。
論と論で矛盾が起こりうるのが哲学の面白いところだけど、真理ではないかなと。
哲学とか宗教を学び始めたら、物理とか数学にも興味が湧いてきて、(得意ではないが好き)
理系のさまざまな科目を物色して真理を求めた結果、物理→数学という所に辿り着きました。
人による視点で都合よく法則や式を見出してることは否めないけど、人間同士では少なくとも共通の言語を使っている。
『現時代で同じ世界を生きる人達の間』では共通の真理でありうるのかなと。
未来では真理とされるものが変わってるかもしれない。けど、現段階では正しい。
(だけど、数学や物理を極めている人は、既存の論よりも自身の論が真理だと認められて、今迄の論が覆されていくのを快感だと感じるし、それを目指しているのだろうな)
統計学は?と聞かれたこともあるが、あれは人が望む結果を元に式を使って『予想と一緒だったね、何か相関がありそうだね』って言う、数学よりも人の解釈ベースの学問なので、私のやりたいこととは少し違うかなと。
大学で勉強した一般教養のレベルの統計学は面白かったです。
式の意味を本当の意味で理解してないにしても、式を使えるというだけで理解してるつもりになりました。便利そう〜!
でも、未だに信頼区間のことを信頼してない節はあります…
(例えば洗剤のCMは99.9%除菌!を売りにしてるのに、統計学の信頼区間は95%でいいの?
まずその95%という定義が曖昧なんじゃないの?と感じました。
ちなみに、信頼区間の割合は変更できます。)
この出来事をきっかけに、統計学とは真理では無い、と感じました。
便利だけど、所詮人のつくったものだからね。
人による定義を疑ってかかっている、反抗期。
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ここからは好みの話なので、話が飛躍します。
時を経て気づいたことです。
様々な思考を経て、そもそも私は真理を愛してるのか疑問に思いました。
これは私個人の好みの問題ですが。
私自身が求めてるのが『真理』というよりは、「時と場合により変化するが、真理とされている概念」を知りたかったのかもしれない。
例えば、美とは何か。愛とはどんなものか。
人により解釈が違うのも面白い。
国や地域でバックグラウンドが違う人によって真理とされる解釈や価値観が変わるのも面白い。
芸術で○○主義っていうのが生まれたのも、人による真理が変化したのが由来。
真理が一つには定まらず変わるとはいえ、それぞれの人に対しては絶対的な真理である。
でも宇宙も物理も数学も神秘(真理)に触れると感動します。
もはや、映画や小説の作品を鑑賞しているような楽しみ方ですが、触れてみて少しでも理解できて、それが絶対的であり他の言葉では言い表せない究極の形なのだと感じられた時、なんとも言えないグッと来るものがあります。
やりたいことが1つに定まったわけではないけど、漠然とした『真理を求めたい!』というイメージからは少し絞れたように思えて良かったです。
文理選択がいまだにできず、何したいのか見えていなかったので、進歩したかな〜
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