大胆さ、行動力の元となるペルソナとは


私は『大胆だ』『行動力がある』と言われることがあります。
そのペルソナは何に起因しているのか、今回考えてみました。

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大胆だという周囲の評価とは真逆で、
私はかなりの心配性です。
有る事無い事、考え得る全通りの結果をシミュレーションしてから行動します。

私的には、行動により生じる結果の最小値と最大値を知っておくことで、その結果に至った時に受けるダメージを最小化したい。

『石橋を叩いて渡る』のではなく、石橋の強度を心配するあまりに、石橋を叩き割ってしまうような性格なのだと思います。

友人からは、
『自分に自信がないんだね』
と分析されたことがあります。

自信がないから、もっと頑張らないといけない!と自分自身に暗示をかけているのではないかという説です。

大胆さや行動力というのは自信に基づくものだと考えていました。
(成功体験があるからこそ、それが推進力となり自信を持って前に進めるのではないか。)

『自信が無いからこそ行動する』という説は、私の思っていた大胆さとは真逆でしたが、納得のいく考えでした。確かに。

『大胆』という言葉のように「人の想像するその一歩先を行ってみよう!」と敢えて段階を飛ばしているわけではなく、
思考を何回も繰り返しているうちに、人の想像する段階やその一歩先の段階をいつの間にか通り越してしまうのだと思います。
ただ、ちゃんと同じ道は通ってきているので他の人の悩みに対して、理解も共感もできます。

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もう一つの大胆、行動力のペルソナの生じる理由というのは「熟考の末に選んだ選択肢が失敗だったら怖い。傷つきたく無い」というものです。

傷つくのが怖くて、思考を放棄する。
気づいてしまわないように心に目隠しをする。
誰しもそんな経験があると思います。
(あると思っています。)

私の大胆さや行動力はこれに起因してると考えます。

何度も行動をシミュレーションするが、失敗することを恐れて行動することが出来ない。
ある時思考を放棄する。
『元々私は悩んで無かったことにしよう。』と責任転嫁してしまう。
すると、迷いや心の中のブレーキがなくなり、それまでは恐れていたことも案外簡単に出来てしまう。

自分の思考に基づく行動で傷つくのが怖いので本能的に自分の身を守るために、このようなことをしていたのかもしれない。

大胆な人は強い、とは限りません。
今回は私の場合にフォーカスしていますが、
『大胆さ』とは、寧ろ心の弱い人が持つペルソナではないかと考えます。

一度行動を起こして仕舞えば等しく傷つく可能性もあるけど、手を下したのが精一杯悩み抜いた自分なのか、思考を放棄した自分なのか、というのは後からその事象を振り返った時のダメージが違います。

悩み抜いた結果、一度全てを手放して自分を超えた存在に選択を任せることは、私の性質であり、なんだかんだ選択した事柄に対しては頑張れてしまうので好きなのですが、

悩み抜いて選択して行動まで一貫して責任を負う人は、最後まで自身の手で舵を握っていてかっこいいと思います。そういう人が好きです。

けど、責任転嫁した結果、『まぁ選んじゃったんだし、あとはやるしかないよね〜』と、
いつまで経っても悩んでばかりで行動に移せない心配性な自分とは対極的な、
軽々しく悩みを超えていく「選択者」が自分の人生を先導してくれてるようで、
そういう私の大胆さは愛おしいです。

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大胆であることが良いことなのか、悪いことなのか、というのは行動を起こして努力して結果が出るまでは判断できません。
しかも、ケースバイケースです。

『神のみぞ知る』という言葉に帰結しますが、
程よくいい加減な私の心配性と、
それに起因する大胆さを、
私の一つの性質として愛したいと思います。

今回の話題にした、『大胆さ』のペルソナの原因は誰しもが持つ性質であると考えます。

ジョハリの窓のように、知らない自分自身のことを知るきっかけになれば幸いです。

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