会話が苦手という話

メモが他にも溜まっていたので文章にします。

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サシの会話が苦手

会話に関しては、穴埋め問題・山手線ゲームだと(勝手に)捉えている節がある。
だから、一対一だと踏み外した時に応急処置をとれないし、アッアッ(カオナシ?)ってなりそうで怖い。

グループでの会話は誰の持ち物でもないけど、サシだと発言の一つ一つが自身の所有物だと感じるから重い。

最近は「仲いい人」とのサシの会話も苦手。

私は、決して交わらない互いの思考の果てにそれでも君に理解して欲しい!という働きが会話だと思う。
だから、互いの思考世界・思考時間・沈黙は肯定派。

「うまく言葉にならないな、難しいな」
という1人では尻切れトンボな考えも、
対話しているうちに、他の人の解釈に対する違和感が積み重なり、自身の解釈が研ぎ澄まされ、思考が形になっていく。
その過程が楽しい。

だけど、
もし沈黙を気まずいと捉える人が居たら、
その人に対しては
『互いの共通認識として存在している文脈を崩して会話の展開の意外性を楽しむゲーム』
というふうにリズムよく会話が弾むように、やり方を変えないといけないから事前申告してほしい。(コミュニケーション難しい)

私は、素の貴方の変わりゆく価値観や思想を知りたい。

逆に沈黙が気まずくならないように、と配慮してくれてマシンガントークの人も居る。
その人と話すのは相槌を打つだけでいいので楽しいし、考えてることを知れて興味深いけれど、それはやはり一方的なもので、考える隙をつくらせずに神経反射的に的確な反応を繰り出さなければならないので、苦しいという意識がある。

注:私の場合だから、違う捉え方の人もいる。

今迄はそれほどでもなかったのに、最近は凄いサシの会話が怖い。
ふざける方に逃げるか、無理やり他の人を巻き込んで会話をグループにするか、無理矢理会話を終わらせるか(よくない)
何を言っても嫌われるような相手でないことは理解してるけど、それでも恐れてしまう。

あと、他人に興味がないのも原因の一つ。
相手に対して全く興味がない訳ではないけど、咄嗟にサシになると、今現在、貴方と私で一対一で話すことある?と思ってしまう。
これは、さっきの『互いの思考の果てに〜』という考えを私が持っているからなんだけど、
基本自分にしか興味ないから、相手に対して何も思いつかない。
それを「沈黙にならないようにリズムよく!」となると、尚更難しい。

その人のことを嫌いなわけではない。
自分の世界を生きているだけ。

人に対して好き!!と思うことはあるけど、ここ最近はその対象範囲が狭くなったし、好きだとしても『個を尊重した好き』に移行した気がする。
君の世界丸ごと愛してる!好きなように生きてくれ!みたいな。

私がLINEを苦手なのは、こういう理由です。
報連相しかしないから、日を跨いで長期間会話が続くとしんどくなってしまう〜
自由に生きよう!!お互いに!

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猫被り

どの人にも360°心をひらくことが出来なくて苦しんでいたけど、それが不可能だと気づいてからかなり楽になった。

人によって会話のやり方やキャラクターを変えてしまう自分が嫌で、「常に誠実でいなければならない」と自分にルールを課していたことに気付いた。

全ての人に360°心をひらくことが出来ないとしても、それも含めて本当の自分である。
色んな人格(ペルソナ、キャラクター)が生まれたとしても、「自分自身を社会の中に適応させる過程で生まれた」という根本的な理由は変わりない。

人格の完璧な否定ではなく、自己の拡張。
新たに生まれた自分のキャラクターのことを、
"貴方自身の主観的なモノの見方"では、本物でないと否定的に捉えるかもしれない。
けれど、その新たに生まれた人格は本物の自分の延長線上にある。
(しゅごキャラというアニメでは、成長過程で幾つものキャラを持つ)
どれが本物でどれが偽物…という話ではない。

『学校で猫被っている私は非自己だ』『この人と話している時は本当の私だ』って自身を排除することなく、どんなキャラクターの私でも全て私だと認めてあげられるようになった。

だから、私とどんな形式のコミュニケーションをとっている人でも、猫被りをして接しているとしても、全て大切にしたいと思う。
互いにコミュニケーションのタイプの得手不得手はあるにしても、私という存在を面白がって大切にしてくれてるのならば、私もその人のことを大切にしたい。

心をひらく度合いを増やしても減らしても、猫を被っていても『相手と会話してるのが私』であることには変わりない。
(発言の根本が自分自身である。)
その人に対して、その場に対して、心をひらかないって判断しているのも私。
全て白状しろ!っていう相手でもなく、有難いことに私と関わってくれてる人は「それでもいいよー」って言ってくれる人ばかりだから、そんな人との関係を大切にしていきたい。


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