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優しくて甘い、けど辛い。彼のこと

 皆さんは好きですか?
 なにがって、バターチキンカレーのことですよ。知ってるんですからね、私以外にも、彼のことを好きな人がいるってこと。

 優しく甘い口当たりなのに、徐々に辛さが効いてくる。口が完全に辛くなっている状態から、スプーンで運ぶもう一口がさらに甘くまろやかに感じられて、手が止まらなくなる、アレです。

 それはさながら、危険な香りを周囲にふりまきながら、わかったような顔をして懐に入り込んでくる、誰とでも友達になれてしまうような甘い顔つきの優しい男。名前からわかるように、皆大好き「バター」と「チキン」が入った親しみのある彼なのだけれど、ある日突然気付いてしまうのです。”私、名前以外の彼を何も知らない――”と。
 なにって、カレーといえば香辛料でしょ? と一口にいったって、このとろみは何で構成されていて、どうしてこんな色になっているのか、原料が結果としてこのかたちになるまでの原理を知らないわけです。どこのインド料理屋さんでも彼を目にする私は、いつの間にか彼を知ったような気になって、その実、手のひらで転がされ、そのまま沼に堕ちてしまい、底まで行きついてしまったのです。

 なんの話をしているのか、ですって。決まってるじゃないですか。
 カレーの話ですよ。

 今日も今日とて、友人に教えてもらったインド料理屋さんで、うちの人と食べていたわけです。ええ、評判のバターチキンカレーを。私はナンとカレーの比率を逐一チェックし、ごろごろのチキンをいつ食べようかタイミングを慎重に考慮しながら、マンゴーラッシーを挟みつつ、確実にゆっくりと味わいつくしていきました。
 個人的にも食べるスピードが速いほうではないので、悲しいかなカレーは、情熱的なアプローチを繰り返す私を差し置き、どんどん物理的に冷めていきます。

 そしてふと、猛烈なスピードで熱を失っていくカレーを惜しむ私の前に、ひとつの疑問が浮かびました。

「そういや、どうしてインド料理のカレーって、陶器の皿に入ってないのかね?」と。

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 インド人ぽい方々がやっているインド料理屋さんに足を向けたことのある人ならば、おそらくイメージがつくはずなのですが、料理が出される食器は必ずガラスやステンレス、銀などの金属なのです。カレーの場合はたいてい、直径7センチくらいの銀色の浅いボウルに入って、小さめのお盆くらいの銀色のトレイでナンやライスと一緒に出されます。
 
 陶器のボウルならば保温性もあり、我が愛しのカレーとの関係は冷めずに良好なままでいられるわけです。せっかくの料理なのに、最大限においしく食べてもらえる工夫をあえてしないのはなぜなのだろう。ゼロを発見した悠久の国・インドが、カレーをおいしく食べるコツを発見できないはずがない。

 バターチキンカレーを腹におさめ終えると、私はさっそく手元の電子カマボコ板で「インド 食器 銀」と入力し、その旨を調べました。ねえ、バターチキンカレー。君のことを知る前に私はまず、君のルーツを知ることにするよ。
 彼に内緒でこっそり、彼の両親の名前を検索にかけるようなものですね。すると、こうした記事が出てきました。

インドでは生活の中の多くの行動が宗教的観念によって決められています。インド人の行動を決定する大きな要因の一つに「浄と不浄」と言う概念があります。この「浄と不浄」は実際に汚いかきれいかではなく、宗教的に「浄か不浄」かを意味します。
人との使ったものや汚くなった衣類、汚れた食器などが宗教的に不浄とみなされています。陶器の食器は食べた後、完全に清潔にできないから不浄です。土から作られているので金属よりも不浄だという見方もされています。

 驚きました。確かに、カレーって食べたあとの食器に色が残りやすいです。カレーを入れたタッパーも、レンジにかけるとルーの表面が高温になって接しているところがちょっとだけ溶けて黄色くがぴがぴになりますし。さすが大いなるインドは、着眼点が違う。そういうことすらお見通しだったとは、己の考えの浅さを恥じました。……もしかしたら、解釈の方向性が違うかもしれないけど、私はそう捉えました。いや、これ、多分違うな。

 それ以上に、私がいまここで食べていたバターチキンカレーに、宗教の観念が直接絡んでいたことが不思議な体験でした。私は宗教にあまり関心がないうえに、日本という宗教観が多様化する環境に身を置いていることもあって、そういったことに対する感覚が希薄になっていました。宗教が銀の皿の形をして私の目の前に現れるとは、つゆにも思わなかったのです。
 
 人を散々たぶらかしておいて、実は私の知らないところで、家族ルールを重んじ、守っている――。そんな彼の本当の姿をこっそり垣間見てしまったようで、そのギャップがまた、私をそそる理由のひとつになりつつあるのです。

 多くの人間を虜にするバターチキンカレー。銀の器にのった罪な料理に、また近々会いにいくと、人たらしの彼へ胸のうちで勝手に約束をしました。

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