人々を 説得したくて 嘘をつき(5.7.5)

大体の嘘は、他人(特に不特定多数の大勢)に認められたくて、始まる。

本人の能力の問題もあるが、そもそも他人は説明しようが解き明かそうが、受け入れないものである、ということの認識が甘い。

言葉が正しいか、役に立つか、等は人からわかってもらうという点では二次的な要素でしかない。(TPOと動機が合えば、確率が上がる、という程度)

それでも強引になんとか説得したようにしたければ、次元を下げるか相手の都合に合わせる以外にない。

人気が出た、これで正解だ! と安心した瞬間

それが嘘とまことが入れ替わるときである。

プラトンとアリストテレス 全く同格でないどころか 後世の都合で双璧の巨人に仕立てられた2人

上でも書いたアリストテレスが悲しき駄文を生涯にわたって書き連ねたのも、ほとんど動機は同じである。

プラトンは相手に分かってもらおうという理由から本質を曲げたことはおそらくないだろう。常に本質>表現法 である。彼の表現からは常に余裕が感じられる。それでも人が付いてくるくらい見えていたのだ。

これは「見えている者」に共通する特徴だ。

一方、見えない者はその寄りどころを、他人からの評価に求めざるを得なくなる。

アリストテレス君の例でいえば、彼は見えなかったが、論理という武器に矜持を持っていた。

誰にも負けない己の論理性だけは死守しようと。

しかしながら、それさえ、他人からの評価に気が散って甘くなってしまっていたのだ。

それくらい、見えない者にとっての他人からの評価とは、本人を「じたばた」させ、その著作等も「じたばた」させるのだ。

嘘を死守する世の中に、己を売りわたさずに、何かを提示し、奇蹟を見たくば、「見える者」になる以外にないということだ。

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