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将来が不安で仕方がない時にやること。

将来のことを考えると、不安で不安でしょうがなくなる。


この年齢なら、ある程度の預金や資産、武器となる仕事術や胸張って話せる経歴があってもおかしくないのに、大したものは何も持っていない。

先のことを考えて計画を立てると言っても、計画通りに行ったためしがあったか怪しい。イレギュラーなことが起きる前提で、それでもある程度のプランを立てるべきなんだろうけど、時々自分がどうしたいのかもよく分からなくなる。


したいことは、20代でほぼやり尽くした。
結婚もしていなければ、仕事に燃えているわけでもない。
目標にしたい人生のロールモデルがあるわけでもないし、どこに向かって進めばいいか分からない。


そんな時は、10年前の自分がどうだったか思い出し、この10年で出来るようになったことや、成し遂げたこと、叶った夢などをノートにできるだけ多く書き出してみる。ささいなことで断然よいのだ。ここは、人と比べる所じゃない。比べるのは10年前の自分。

何も成し遂げなかったように思えても、10年スパンで考えれば変化が見えるものだ。

全部出し尽くしたら、次はこれからの10年で「こうなっていたい」「これをしたい」と思うことも一覧にする。普段は思いつかないような事も、10年前を振り返った後だと「これが出来たんなら、次はこれもできるかも」といった調子でアイディアが出てきたりする。



    *  *  *


私の場合は、今年で35才なので10年前は25才である。
学生時代からずっとお世話になっていた場所を離れたばかりで、自分の足で歩いていけるか不安でたまらなかった。


だが思い返してみると、自分には無理だと思っていたことも、たくさん実現していた。自分史の中では、上下しながらもちゃんと上がっている。

一つ例に上げると、こんな感じ。


私は昔、対人恐怖症で不登校の引きこもりだった。
対人恐怖を克服して学校を卒業してからも、しばらくはお世話になった人の所でお手伝いをさせて頂いていたので、そこを離れた25才の時もまだ正社員として勤めたことがなかった。「スーツを着て街を活歩するキャリアウーマンになりたい」と言っていたことを覚えている。25才の時は、職を得て働く事で社会人として成長することを、目標の一つとして挙げていた。

数年後のある日、私は勤め先のオフィスに向かうため高層ビルのエレベーターに乗り込んでいた。一般的なものの四倍はあろう広さの箱が静かに上昇し、見下ろす街並みはどんどん小さくなっていく。ガラスに映るサラリーマンの一人、自分自身と目が合った。あ、あの時描いていた「なりたかった自分像」と絵的には一緒だな、とふと思い出した。



私がやってきた事は、きっと多くの人にとっては道端のコインを拾うのと同じくらい簡単なことだし、この成長はマイナスからゼロになっただけ、って見方もできる。だが、「想像できることは、実現できる」と証明したことは確かだ。


それなら。
これから先の5〜10年を、想像するのも悪くないなと思う。


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