毒親だった母の介護…

今、親の介護ですか苦しんでいる人へ

今介護をしている人へ少しでも参考になればと思います…

私の場合1人でほぼしていましたが、住む場所は別で電車で1時間程度離れていました
過去の記載した内容をお読みいただければ、何となく伝わるかと思いますが、改めて今その当時を思い出すと、いろいろ頭をよぎります

介護の難しさ、訪問介護はケアマネと訪問介護をしてくれる業者、実際に来てくれる人たちの連携で成り立ちます

要介護3がスターとでした。
月…看護師さんが状況を把握に来てバイタルチェック
  本人への多少の問診と体調の変化を診てくれます
火…デイサービスの日
  朝1時間をかけて朝食を食べさせてくれて、エレベ    
  ーターで1Fのエントランスまで脇を抱えて連れて
  行ってくれる訪問介護業者
  1Fでデイサービスの方とバトンタッチでデイサー
  ビスへの往復(帰宅は17:30頃)
  朝の訪問介護の方が1Fで17:00家に着き17::30に
  1Fエントランスまで迎に行きバトンタッチで母を
  部屋まで連れて行き夕食を食べさせて帰宅される
水…かかりつけの病院・街医者などへ、私が連れて行
  く日。なるべくまとめられるようにしました
木…デイサービスの日
金…デイサービスの日
土…街医者だったりもする
日…介護の日

※ほぼ水土日は私が母の介護をしたりして1週間の献立を考えて食材を準備して、1つの食材事みじん切り・千本切り・いちょう切り・輪切りにしたりしてタッパやZIPLOCに入れたりして、介護の方がきてすぐに使えるようにしておきました。
簡単なお料理の下拵えも含めて用意をして交換ノートに記しました。
なぜなら少ない時間で用事をしていただくので、最後には私への交換ノートへ記載していただく時間も含むし企業への報告も記載する事があるから、私が出来ることは簡単に済むようにしていました。
次第に母はアルツハイマーにも足腰もすぐには動けなくなったり、何度も同じ動作を繰り返したりしてかなり皆さんも負担が増えはじめてきたりして行きました

足が思うように上がらなくなりすり足になったりして、杖をつくようになったりベッドから起き上がるのも大変になっていきました

耳の聞こえも次第にどんどん遠くなり、あったはずの洋服や下着も入れ物がバラバラになってきたので、なるべく早く私よりも忘れてしまう事やどの順番で着れば良いのかさえもわからなくなってきたり、転ぶと危ないので、外出は全て車椅子で移動することになりました

ケアマネからは、介護用品を頼める企業に連絡してくれて介護用ベッド・車椅子を用意しました

介護生活は遠方に居るご家族も総出で全員で動くことになります
もちろん介護度が上がれば家族の負担もより大変になるので介護離職も当たり前となり、お子さんがいるご家族では介護のために事件ができなくなる場合もあります

私のように1〜2時間程度しか離れていない場合は基本ご家族がデイサービスや訪問介護を入れない場合には多少遠くてもご家族の誰かが介護することになります
先程までの生活が180度変わり、介護中心の生活になるので、周りの家族たちの動揺は半端ないです

これは命に関わる問題なので、知っていて1人で放置するわけにはいかないのです
親を引き取れない場合ご家族の誰かが会社や学校を休んでまでも介護に携わらなければ、介護される親は誰にも看取られず他界してしまいます…
これは人の命がかかっています
分かっていても誰も介護をしなければ家族を見殺しにした事になり最悪一生罪を背負うことになりかねないのです…

そしてどのご家庭にもこの重圧は重くのしかかってきます

誰もが今の平穏な生活を崩したくはありませんが、親ですから放置するわけにはいきません
次第に精神的にも追い詰められてくると思います
介護期間が長ければ長いほど…
両親を施設へ入れることが出来ても、果たしてそれで関わらなくても良いのでしょうか

また、施設へ入れたくても変な話し入居者の誰かが他
界しなければベッドは空かないので入居は待ちです。あるいは入居されていた方が他へ転居しなければ施設へは入居できません…
入居できるまでどのくらいの月日がかかるかは分かりません。
それまでは確実にご家族が診るのです。
もちろん奥様のご両親・ご主人様のご両親合わせて4名です
ご兄弟や姉妹がいて誰かに任せることができますか。
初めは交代で行っていても、お仕事や外せない事などで、その内にいざこざが絶えなくなり問題が出てきます。ご家族のお互いの押し付け合いもあるでしょう

幸い、私だけなので私が診ました。
もちろん子供もいるので学校帰りにお手伝いしてもらう事も、休日にもお手伝いしてもらっては、宿題を持って母の家で宿題しながら、最悪は受験を諦めてもらうこともあり、子供には本当に申し訳ないと今でも、多分一生思い続けるでしょう

中学受験をしたくて塾に通わせていたけれど、母の悪化で夏期講習さえもまともに行かせることができなくなり、1人で頑張ると言っていましたが、最悪は費用が賄う事さえも難しくなり受験は諦めざるを得ませんでした…
高校受験と大学だけは何とかしてあげたいと思って、今高校生になりました。

話しは戻り、このように家族の生活が一変するのです
。決して甘くはありません。
気が狂いそうなほど、おかしくなりかけていました。

ましてや私の母親は毒親でしたので、最悪でしたが、それでも母は母なので最後まで看取りました。

介護生活での内容は、少しずつ手順などをお伝えしますね。

このような現実を冷静に受け取りください

いつかは、また現在介護生活をされている方、これから本悪的にお考えの皆さまへ、少しでもお役に立てられれば幸いです。

前を向いて行きましょう…
貴方なら出来る⭕️貴方だから出来るのです🙏

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